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がんばれ、かもっちゃん

「かもっちゃん」

やたらめったら"かまってほしいおっちゃん"たちのことをそう呼ぶことにした。気づけばFaceboobのタイムラインがおっちゃんたちの投稿で埋もれていた。

Facebookのアルゴリズム上、コメントやいいねが増えるほどにタイムラインに浮上しやすくなっているが、彼らはその仕組みに乗っかりやすい。社会的地位がそこそこ上がってきて、発言に反応をもらいやすくなっている(場合によっては、部下たちからすればパワハラまがいになってるかもしれないが)。

ランチや飲みの席(というか料理の)写真や、「どこどこ行ったきたで」という報告、更にはピンの自撮り写真などいろいろときつい。「空港おじさん」は、それらを組み上げた上級テクニックとも言えよう。

さらには、だれかの投稿に対して、やたらとコメント返しをしてくる。投稿者がちょっとした有名人なら、その人と対等にやり取りしてる感をだして、自分のつながっているFacebook友達にマウンティングする。でなくとも、若い人(特に女性)に対してはアドバイスするように説教じみたコメントをしたり、別に議論したいわけでもないのに持論を投げかけてきて、もはややっかいである。

究極は、BLOGOSのようなさまざまな自論が漂うメディアのFacebookページの投稿にコメントするおっちゃんたち。たまに「(投稿されている話題について)どうでもよい」と書き込む人いるけど、それなんなの!! その「どうでもよい」すらどうでもよいのですよ! 書き込んでくるなし!  心の中だけでそう思ってろよ! 加齢臭がマイルドになってきたいい大人が抑えきれない感情漏らしてんじゃねえよ!!!

・・・と、やや荒ぶってお恥ずかしい姿を晒してしまったが、最近ではそういうことが頻繁に起こっている。先日、ある大学生と話をしていて「Facebook使ってないんですぅ」という言葉が出てきていたが、その理由はなんとなく察した。彼らからすれば、40~50歳のおっちゃんたちはすでに老害のように感じているのかもしれない。

まあ、カッとなってしまうことはちょくちょくあるのだけど、じゃなんでおっちゃんたちはFacebookで投稿やコメントをし続けるのかってのを考えると、そりゃさみしいからなんじゃないだろうか(バーでのアレに似ている)。さみしさが、かまってサインを間接的に生んでいる。注意として、ここらへんに関しては、若者の承認欲求とはちょっと訳が違う気がする。


若い頃や、奥さんと付き合いたての頃、子どもが小さかった頃には、自分をフォーカスしてくれる人やその頻度が多かったのかもしれないが、歳を重ねるにつれ、離れるものが増えてくる。若者の「かまってちょーだい」を"第1のソーシャルかまって期"とするならば、おっちゃんたちは第2弾を今迎えているわけだ。

さみしいなら何をやっても許されるわけでもないし、SNSでさみしさを昇華させようとしても、根本的には何も変わらない。リアクションもらえて一時的な心の平穏はないるかもしれなが、時間が経てばむしろさみしさが募るだけじゃないだろうか。

あなたたちほどの経験と知恵と、社会的地位があるのであれば、それをもっと建設的なことに活かせばいいんじゃないすか。SNSで打ち上げ花火を連発しているよりは、次の世代の見本となるような、次の世代が活躍できる場をつくっていけるように、そっちに力を使ってみてほしい。ぶっちゃけ、そういうおじさんのほうがぶっちゃけモテるだろうし(モテようとしていろいろがんばってるおっちゃんがいるからあえて言ってみるけど)。だから、

日本のすべての、かもっちゃん、がんばれ!!!

若輩者ながらにそう思っている。これはおじさん予備軍(三十路)からの切実なお願いでもあり、未来の自分への警告でもあるわけですけどね。

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