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申請主義社会においては、知らないは死に直結する。受けられる社会保障があったとしても、誰も教えてくれない社会だからである。

母の葬式は仕事のイベントと重なって、でもそんなこと社会人ならよくあることだから何とかどっちもやり遂げた。いや、やり過ごした。
さっさと離婚したひとり親家庭という環境下で機動力と環境適応力と生活力とその他もろもろがそれなりに育った私の子どもたちはいい年になり、それぞれ力を発揮していたから。

多忙で覚えていない日々は多忙のため過ぎてみればあっという間だった気がするが、その日々はまぁまぁ辛かった気がする。
生きるって辛さを塗り替える経験をし続けることなんだ、って気づいたのは20歳前だったか後だったか。
この年になると(人によるだろうが)辛さの線引きが難しい。辛いと平気の間のグレースケールは相当な幅のグラデーションを描いている。どこからが辛いかは例えば40歳の頃と来年還暦の今ではだいぶ濃さが違う。

それでも生きてるし、ご飯食べてるし、適温で過ごせる家があるし、だから幸せだ。もっと辛い思いをしている人が世界中にごまんといるくらいは私にも想像できるから、今日も娘の作った上海餃子を10個食べた私の辛いの線引きなんてできない。

母の四十九日は仕事が休みの5月の連休に合わせて行い、納骨を済ませた。
昨年秋に、「ここ見に行きたいから一緒に行って欲しいんだけど」と連絡をもらって出かけた、家から車で30分近く離れたところにある墓地を見て、「景色がいい」からと気に入って、すぐ契約して墓石も選んで、どうせなら文字は手書きにしたらいいんじゃないか、ばあちゃん習字上手いんだし、と孫である私の息子が提案し、ついでに好きな言葉も手書き文字で入れようということになった。
文字入れ等制作についての業者とのやり取りは息子が、契約云々支払い代行は私が行って、2020年12月、横長の墓石に「○○家」その下に「千の風になって」と母の文字が掘られた墓碑が出来上がっていた。

父と連れ立って仏具屋さんで選んだ花がたくさん彫り込んである仏壇への魂入れと納骨が済んで私が次に行うべきことは、母がずっと傍らに置いて面倒を見て来た自閉症の姉の社会デビューだ。

まず、診断書を書いてもらうための精神科病院を探す。
姉がその昔(本人の記憶で小学1年か2年くらいの時)行ったことがある精神科病院は診療受付が午前中のみで、私が行くことができず、やむを得ず別の病院を探すことにした。姉は当時、多分学校からの勧めだと思うが、精神科病院、そして児童相談所での宿泊を伴う措置?を経験している。(これは本人の記憶プラス私が母と迎えに行った記憶プラス父の昔の日記にも記載してあった)が、それらの記録が古すぎて探せないと言われてしまった。

家から一番近い病院に電話をかけてまず私からの聞き取りの予約を取って、姉の育ちについて知っていることを話す。
次の予約を取り姉を連れて診察を受ける。
後日診断書を受け取って、姉を連れて市役所の障害福祉課に出向き、手帳交付の手続きをする。

生まれた時からの障害ではあるが、手帳申請をしていない、つまり障害認定をうけていないので、62歳で初めて精神疾患の診断を受けたという扱いになる。これが、姉にとって不利益なことになってしまった。

姉は老齢基礎年金を前倒し受給していたのだ。
「老齢基礎年金を前倒し受給していると、障害年金は受けられない」のだそうだ。
姉の精神保健福祉手帳には障害1級と記されていた。つまり、基礎年金よりも障害年金の金額が多いことになる。「老齢基礎年金を前倒し受給してしまった以上障害1級だったとしても障害年金に変えることはできない」
年金の窓口でそう説明を受けた。簡単な決まり事があって私たちがそれを知らなかっただけのことだ。

申請主義社会においては、知らないは死に直結する。
受けられる社会保障があったとしても、誰も教えてくれない社会だからである。そして知らない人たちは知る術を使う知識や機能を持たなかったりという、姉のような人たちだ。

「私は早く年金もらうのは嫌だったんだ。でも親に逆らえないから」
障害特性で数にこだわりがある姉はお金にも執着がある。
もう覆せないことを説明したら、「ええっ!」と目を見開いて叫んだあと、たるんで垂れ下がった瞼に皺を寄せて「知らなかったぁ」と悔しがっていた。母が姉の障害を自分で何とかできると思い込んでしまった経緯の全てはわからない。しかし、生まれついての障害が環境との摩擦を生み続け、どうしていいかわからない母と適切なかかわりも助けもしない社会は軋轢を生み続け、いつしか母は、助言もしたいし手も出したいと思い続け、出来るようにもなった私の声も思いも入り込む隙が無いほど、密度の高い石と化していた。

時すでに遅し。
時間は1秒たりとも戻せないし、過ぎ去った時にやるべきだったことは今はもうできないのだ。



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