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人が死にたくなるきっかけなんて、ネットでポチっとタップするのと同じくらい簡単でありふれているのだと久しぶりに気づかされて衝撃だったの

もうすぐ還暦だっていう私は父と母の子どもで、だから春に母が逝って冬になってもうすぐ父が逝ってしまうという時に届いた有名デパートの薄墨薔薇模様の包装紙に薄墨名前の熨斗付きの贈り物が届けられて、もう飽和状態だった私は泣きながら薄墨薔薇模様に薄墨名前の熨斗付き贈り物をそのままゴミ箱に突っ込んだのは言うまでもない。
そのすぐ後に目の前で父が逝ってしまって一瞬ポチっとしかけたっていう経験は、思い出すといつだっていつだって私を痛めつける。

時間が痛みを和らげてくれるとしても、私はもう長いこと生きて来たから解決できる残り時間はもうあまりない。だからずっと痛い痛い痛い。
そして、痛くても笑って冗談飛ばして仕事して生きて行かなきゃならないから、私は時に攻撃的になる。痛いから攻撃的になる。

理不尽な思いやら無くならない痛みやら抱えて背負って飲み込んで稼いで生きて行きてかなきゃならない人はみんなそんなもんだろうと思う。
噛みつきたいのは自分が痛いからだ。

まだ引きずっているのしつこいねと言いたい人は言ってください。
若いお嬢さんが薄墨熨斗で私を殺しかけたできごとについて、まだ辛いんだよ。そしてずっとずっと辛いんだよ。と面と向かって言ったら色々全て破綻するから言わずに書くの。
傷つけられた私が言ったら、傷つけた若いお嬢さんがみんなに同情されて私はいい歳して大人げない悪者になってそれだけなら別にいいけど仕事が色々破綻するから言わないし笑顔を向けるよ。
でも事実だから書くの。自分まだ壊れるわけにいかないからさ。

人が心に深く傷を受けるとき、傷つけた奴は何も気づいていないものよね。
そんなふうに、私も誰かを傷つけて来たのかもしれないし。
だから、そのお嬢さんを少しも恨んだりはしていない。
母が死んで1年経たないから、もう一人の親をもうすぐ見送らなきゃならなくて打ちひしがれている人間だとしても、贈るお歳暮の包装紙は白黒薄墨の薔薇模様で熨斗の名前も薄墨でいいんだよね?
世の中でそう決まっているんだよね?
常識ってやつなんだよね?
ネットにそう載っているんだよね?
でも私がそのお嬢さんを大嫌いなのは仕方ないでしょう?

私は嫌いな人間の前でもにっこり笑って仕事を遂行する、そのうえいつだって号泣できる立派な大人で、間違えてポチっとしないように、細心の注意を払って息をしているんだってこと、書いておくね。


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