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スタッフストーリー#1(前編) / リビングサポーターというマルチな仕事のおもしろさ

午後2時。
場所は青梅慶友病院の病棟ホール。
ホールいっぱいに芳醇な香りが広がっている。
そのわけは、本日この病棟で『コーヒーの会』が開かれているから。

本格的なサイフォンを前に蝶ネクタイ姿で香り高い一杯を淹れているのは、青梅慶友病院のスタッフである矢須康平さん。

この病院に9名在籍するリビングサポーターの一人である。

今日の仕事はバリスタ

リビングサポーターとは、青梅慶友病院独自の職種でイベントの企画やレクリエーション活動、入浴のサポート、果ては車イスの整備まで病棟でマルチに活動する介護職員である。
若手の男性職員がこの仕事を任されることが多い。

青梅慶友病院で働く職員を紹介する
『スタッフストーリー』シリーズ。
第一弾はリビングサポーター、矢須康平さんのストーリー。

将来の夢は「野球選手」ではなかった


小学生の頃に、将来なりたい職業を聞かれるじゃないですか。
嘘みたいな話なんですが、小学3年生ですでに介護の仕事をしたいと公言していました。
野球少年だったのでまわりの友達がプロ野球選手になりたい、なんて言っている中で介護の仕事をやりたいと言っているわけですからちょっと浮いていたかもしれません。

プロ野球選手より堅実な職業だと思ったから?と訊ねると、そういう理由ではないと、矢須さんは笑って否定した。

小学校3年生のときにクラスで行った老人ホームでのふれあい体験がおもしろかったんです。
「なんかいいなあ、こういうの」って。
大人っぽい感性の子供だったかと言えば、そんなことは全くなくて、元気だけが取り柄の、ふつうの小学生だったんですけどね。

学生時代はずっと野球部でした。
典型的なムードメーカーです。
打つのも、走るのも、守るのも嫌いではなかったのですが、何よりも好きだったのは「盛り上げること」。
この性格は今でも変わっていないと思います。

元気があればヒットが打てる

子どもの頃の「将来の夢」を持ち続けることは難しい。
しかし矢須さんは中学、高校と、その目標がブレることなく突き進んだ。
高校卒業後は介護を学ぶため高崎健康福祉大学へ進学。
志を同じくする同級生に囲まれ、よりくっきりと「介護の仕事」が意識できるようになったという。

介護実習でいろいろな施設を見ることができた、というのが大学に行って良かったことの一つ。
それに、同じ目標を持つ仲間がいたということは本当に心強かったです。

中でも特に親しくなった友人のことは、ときどき思い出します。
会えなくなってしまった今でも自分を奮い立たせてくれるので。

青梅とは何の縁もなかった

熊谷で生まれ育ち、群馬県の大学で学んでいた矢須さんにとって、
東京、それも青梅には何の地縁もなかった。
それがなぜ青梅慶友病院で働くことになったのか。

ある日、
大学へ二人組の男性がやってきて
「私たちはこんな病院です」

と紹介していったことがあったのですが、それが青梅慶友病院でした。

介護の仕事をするなら介護施設でと考えていた自分にとっては、思いもしなかった選択肢が突如現れたわけです。

「そうか、病院でも働けるんだ」と。
 
学生インターンの受け入れをしていると聞き、申し込みました。
2泊3日のプログラムでしたが、「衝撃」の連続です。

院内で本当にイヤな臭いがしない!
テレビ番組(『カンブリア宮殿』2013年6月20日放送分)で言っていたとおりだ、と。

介護実習でいろいろな施設を体験していたので、臭いがするのは仕方のないこと、と決めつけていたんですが、ここは違った。

それにスタッフの態度にも驚きました。
患者様に対してはもちろんですが、職員に対してもみなさんが親切で丁寧に接している。
ピリピリとか、ギスギスした雰囲気は全くなくて、ホスピタリティの水準は想像以上でした。


《後編へ続く》