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「チー牛」という民族:陰陽戦争とメガネを掛けないオタクたち


🤓の「チ」

 俺は大学に5年も通っているが、一度も学園祭に行ったことがなかった。なぜなら広告研究会(以下広研)やら委員やら、面白くないことを「オモロい」と称してつまらない内輪ノリを全世界に向けて発信してしまうゴミの祭典だと思っていたからだ。しかし行かずに評価するのも悪いので、今年になって初めて訪れることにした。けっこう楽しかった。1番よかったのは「広研狩り」だ。団体名の入ったユニフォームを着て群れている広研を探し、彼らを一人一人じっくりと指を差してみたり、目の前で顎をしゃくりあげて奇声を浴びせたりすることで、普段”広研以外の人間が感じていること”をご本人たちに伝えてあげる慈善事業だ。

 その慈善活動中、ある団体の客引きを見た。呼び込みのためか、可愛い女にプラカードを持たせていた。書かれていた内容は、いかにも冴えない男性の絵に「すいません。◯◯大盛り△△トッピングでお願いします。」という文言が加えられているものだった。これは明らかにネットスラングである「すき家で三種のチーズ牛丼を頼んでそうな顔の男性(以下チー牛)」をオマージュしたものであることがわかる。

チェ・ゲバラくらい描かれた絵

 これがもし不細工な女性を模して作られたりしようものなら、フェミニストあたりからルッキズムだという批判がくるはずだ。しかしその学園祭が終わって数週間経っても何も騒がれていない。悲しきかな、弱者は弱者でも男性である彼らは守るべき対象どころか差別対象だ。根本的には人種や容姿差別と同じ構造を持つこうした行為が容認され、当たり前に笑いのネタにされている現実がある。俺はこういうものがあくまで自虐的であったりして笑えるものなら楽しめた。今になって、”持ちたる者”から”持たざる者”への差別に変貌しており懸念している。大学に入ってまでこうした陽キャの陰キャ差別の無意識を見ることになるとは思っていなかった。いや、むしろ地元の枠組みから初めて解放され、新しい自分のポストを探す大学だからこそか。

 思えばこんな無意味な抗争はいつでも起こっていた。幼稚園のボスザルも一番弱いヤツをみんなでボコしていたし、小中のアタマも弱者を見つけてはぶっ飛ばしていた。俺の地元では天皇と呼ばれる権力者がいて、弱いやつは”コロシアム”に出場させられていた。山みたいな公園の遊具の上で観戦し、選ばれた弱者二人が文字通り殺し合いのバトルをするのを観て楽しむ。天皇の側近である左大臣右大臣たちはその戦いを実況をし、どちらかが泣いて帰るまで終わらない。もちろん戦わされていたのは俺である。

 考えてみればキリはないが、平安末期の武士の台頭義経と頼朝の兄弟喧嘩信長VS光秀 秀吉VS家康 武士と徴兵二二六事件黙れ事件などの軍文対立・・・。日本の歴史をチラリと覗いてみれば、大抵の争いが一つのストーリーに集約するように思う。それは「性格の根本が明るいか暗いか」つまり「陽キャか陰キャか」という二項対立においてどちらかに属する二者が互いの利益を奪い合ってきたというものだ。

 結局、乱世だった日本の覇権を握ったのは、穏健でビビりのイメージが強い徳川家康だった。その後260年という太平の時代の末に、血気盛んな薩長によってポックリと江戸幕府はその名の通り幕を下ろした。しかしあれやこれやと戦争が終わり、たいていの軍人が命を散らしたのだった。これを踏まえて、誤解を恐れずに言えば、熱血な漢が平和的社会や戦いの中で自然淘汰されて、生き残ったのが我々の祖先であると言える。日本人の性格はどうして暗いのかという疑問に対しては、こういった経緯を説明してやれば察しがつくだろう。盛大な陰陽戦争という自然淘汰圧がこの国を覆っていて、命に甘んじたもの達の子孫であるから根暗であってしかるべしということだ。

  

最近暗くね?という単純な疑問

 俺が生まれた頃は、もっと明るかった気がする。ギャルが騒いでて、よくわからない格好をした若者がズカズカと街を闊歩していて、どれだけダサくても自信満々。とにかく陽気な音楽をウォークマンにぶち込んで、ナウい若者言葉がポンポンと生み出されていくイメージがあった。俺は思った。陰陽戦争が起こって、また陽が負けたんじゃないかと。

 音楽のランキングで一目瞭然だ。JOY SOUNDの年別ランキングでは、00年代は、モー娘。 浜崎あゆみ モンパチ SMAP ロードオブメジャー 大塚愛 EXILE オレンジレンジ 湘南乃風 ケツメイシ GREEEEN など。10年代に入ってボカロ曲がランクインするが、メルトやWORLD IS MINEなど曲調は明るいものだ。他にはAKB48 いきものがかり ゴールデンボンバー ゆず セカオワ 西野カナ 星野源・・・と一通り明るいアーティストがトップを占めている。

 そこで平成最後の年(2018)になって、シャルル、アイネクライネ、Lemon、糸などとボカロ出身やスローテンポの曲がトップ10に入り込んでくる。この勢いは令和元年から加速していく。あいみょんや菅田将暉のようなサブカル風(笑)もスローテンポ、流行ったヒゲ男も明るいようでマイナーな曲調だ。本来オモテで人気が出なそうなKing GnuやAdoなども首位を占めはじめている。明るい曲もそれなりにあるとはいいつつも、平成のあのバカみたいな明るさに比べてしまうと、どうしても暗く感じる。それに「さあカラオケで馬鹿騒ぎしよう」となったときにみんなが知ってて盛り上がる曲の定番は決まっていて、どれも平成懐かしソングだ。最近のナンバーでは唯一『女々しくて』くらいじゃないか?

 これだけで、リスナーの質や感性が変わったと感じたわけではない。一番その機微を感じるようになったのは、ロックというジャンルが終わった頃だ。あの時、ロック界隈では何が起きていたか。基本的にロックバンドというのは何かへのアンチテーゼだった。そのためか、自分の知る限りロックバンドにはSyrup16gのようにものすごく暗いイメージがあった。クラスの片隅にいる奴がやってる究極の陰鬱みたいな。

 それがいつの間にかクリープハイプみたいなのが評価されるようになったため、ロック全体の地位が”向上”した。そういう勢いを完全に爆発させたのが、おそらくMy Hair is Badの『真赤(2016)』だったと今にして思う。これによっていわゆるミーハーみたいなのがロック界隈に劇的に流入した。すると今までわかりにくくて埋もれていたエモコードが多用されるようになった。それ以降「マイヘアみたい」なバンドが再生産され続けて、日本音楽界を毒していった。これの筆頭になっているのがやはりマイヘアの所属事務所であるTHE NINTH APOLLOだった。その下流にあるのが、ロックバンド、根暗という要素を詰め込んどけば売れるだろうと組織されたグループたちだ。変換履歴に残したくないから名前は出したくないが、例えて言えばヤングス○ニーとかだろう。伏せ字にすると下ネタみたいだな。

 要するに、大衆感性の変化のみならず、その変化にマーケティングしたアーティストが量産されて「本来明るい人間たちも根暗に擬態し始めた」という認識である。これが相まってこの時代の暗さを指摘する声がチラホラと出てきているのだろう。時代は野球部より軽音部。その辺の人間を指差せば5人に2人はギターケースを背負っている。ギターヒーロー(笑)は多すぎてもはやギターケースを背負うのが恥ずかしいくらいだ。高田馬場と下北沢なんかはその最たる場所で、俺はもはやギターを背負っている人に「メインカルチャー(笑)!!!」と吹っ掛けるのを生業にしている。本当はこんなことしたくはないが、信念や思想なしに楽器を背負ったお前らが悪い。

 とまあ、ロックに対する不満はいいとして。こうした現象がただ単なる「アフターコロナ現象」じゃないような気がするので、もっと深いとこまで考察してみたい。今回は陰と陽というテーマで歴史的な現代を見つめる、そういう話だ。


陰キャの源流「ネクラ」

 〜遡ること80年代〜 80年代というのは戦後日本文化を語る上で最重要だと思う。文化人もオタクもアングラ人たちも、口を揃えて80年代を語っている。自分が働いている古書店でも、あらゆるジャンルがある中で「80年代」という棚が新設されたほどだ。今あるサブ・メイン含めた日本カルチャーの萌芽がこの時代にあったと言ってもいい。

 その中でも抜きん出て存在感があるのは、タモリ・ビートたけし・明石家さんまの通称BIG3だ。フジテレビのバラエティを筆頭にしてお茶の間は彼らが作り上げた”お笑い”に熱狂していた。バブルなどの好景気も相まって、それが終わったとき「80年代はスカだった」という言説が出回るほど異常に浮かれた時代であったという回想が多い。あの日本音楽界の伝説であるYMOの3人ですら『TRIO THE TECHNO』と称してお笑い番組に出演していた。

 そのくらい、80年代という時代が笑いを必要としていたのだ。それは確固たる暗さへの対抗であった。これは何かというと、簡単に言えば政治である。当時世界はことあるごとにイデオロギーの対立を繰り返していた。そのピークが68年で、世界的なイデオロギー闘争が発生した。タモリとたけしは共に戦後すぐの生まれだったから、少年期〜青年期にかけては随分と真面目で陰鬱な世界を生きてきたと言える。今、当時の学生運動なんかの映像作品をみてみると「なんだかわからん小難しい話を並べては世界に絶望するインテリ」みたいな話の連続である。果てにはハイジャックして北朝鮮にいったり(1970)山岳で内ゲバを起こしたり(1972)イスラエルの空港で銃乱射事件を起こす(1972)ようなやつらも出てきてしまった。

 とにかく、80年代以前ははちゃめちゃに暗かったのだろう。その暗さへの反動として80年代はそれを忌避し、お笑いに突っ走っていった。「ネクラ」という言葉ができたのもこの時だった。何を隠そう、これを造語したのがこの時代の笑いを牽引していたタモリ自身だ。この「ネクラ」という言葉は今はそれほどまでに使われないが、後の「陰キャ」という概念の前衛であるといえる。

若者用語としてよく耳にする、「陰キャ」。陰気なキャラクターの略と思われ、反対語としては「陽キャ」もあるようです。

 この言葉を聞いて大人が思い出すのは、一九八〇年代に流行した「根暗」と「根明」です。根暗の時代から三十余年が経っても、「明」「暗」とか「陰」「陽」などと二分する遊びの魅力は、失われていないようなのでした。

「根暗」はタモリさんが作った言葉である、という話は有名です。大御所司会者であるタモリさんは、デビュー当時はお笑いタレントでした。お笑いに携わっている人は、往々にして明るい性格だと思われがち。

「しかし自分は、根は暗いのだ」

 といった発言があったところから「根暗」は生まれた、とされているのです。

「「陰キャ」と「根暗」の違い」酒井順子 https://yomitai.jp/series/kotobanoatosaki/09-sakai/


差異化のゲームと”キャラクター化”

 「60年代が80年代を準備した」というのはつまり、アルバイトの普及によって文化人が副業することを可能にしたということだ。それまで文化の担い手になるには、その道の偉人に従事して、最初の数年は雑務その後型にはまった稽古を数年・・・という順序があった。しかしアルバイトという選択肢によってある程度の収入を確保したまま好きなことに携わるのが可能になったのだ。それによって70・80年代に入ってからは人々が各々の興味に従って行動するようになり、分裂が起きた。つまり、文化が分化した

 80年代は笑いの時代と先述したが、それはあくまで世間一般大多数の話に過ぎない。よくのぞいてみれば、ガンダム好きのムサい男から海外気触れの路上ダンサーまで多種多様な人間がいて、それぞれにTRIBE(種族)とも言える閉鎖性と求心力を持った文化圏が点在していた。実際この頃はなんにでも「〜族」という名称をあてがった。これを可能にしたのは、岡田斗司夫曰く雑誌である。多様性というものの、それぞれの文化圏が固有の文化圏たりえたのは、その文化圏に読まれる雑誌という中心点が存在していたからである。その雑誌が各族の聖書のかわりをして、その文化圏内をまとめ上げる役割を果たしていたのだ。

 そしてその後に何が起こるかというと、その種族(趣味)同士による身分差別だった。明治に身分制度が廃止されて強烈な学歴社会が始まったように、日本人は序列を決めずに入れない質であるらしい。分化した文化圏の中でもオタクが最下位で、クラブなどの「格好いい」文化圏が最上位とされた。(東京大学「ノイズ文化論」講義」)こうした序列を決める「差異化のゲーム」が文化に適応されたのが80年代日本文化の特異な性質であると言える。余談だが、さらに日本文化にユニークな点は、こうした分化した文化圏が他のどこでもなく山手線沿線上に向干支を描くように存在していたことだ。(例えば、裏原←→アキバのような)

ポスト・サブカル焼け跡派

 「ポストサブカル焼け跡派」を読むと、日本文化それ自体がキャラクター化と密接に結びついていることがわかる。自分がどういった人間でどういった立居位置にあるキャラクターであるかを想定し、その身なりやコンテンツ内容を規定して売り出していく。日本戦後文化史はキャラクター化の歴史といえるほど、とにかく自身のペルソナを決定する潮流があったように見える。この時はあくまで芸能界や音楽界に限定されていたというのが自分の認識だがそのあたりはよくわからない。
 そして70−80年代頃に開花したオタク文化もまた、ストーリーの登場人物を「萌」や「知的」といったキャラクター像に当てはめていった。そしてこういったキャラ化の潮流は後々主流となる。アニメーションが世界に冠たる日本文化として人目を浴びるにつれ、その潮流もまた日常に溶け込んでゆく。47都道府県それぞれにキャラクターがいて、どの世代にもキティやちいかわのようなキャラがいる異質な国であるのもまた何かの因果だろうか。ちなみに、このキャラクターを作り出す過程で政治性が削ぎ落とされていったことが、日本文化の「非政治性」であったり「80年代スカ論」の根拠になっているらしい。

 こうした文化の分化によって生まれた閉鎖性・求心力のあるコミュニティ同士が「差異化のゲーム」に晒される。そして磨きのかかったキャラクター化の潮流に身を任せることになり、そのコミュニティ同士が日本社会のヒエラルキーの盤上に配置されるのだった。そうして「根暗」「根明」≒「かっこいい」「ダサい」≒「アキバ」「裏原」といったイメージが完成されていく。これが後の世の「陰キャ」「陽キャ」に繋がっていった。

 この時代の差異化がどれほど強烈だったかは、オタクへの社会のあたりの強さを見れば安易に想像がつく。宮崎勤事件(1989)のときに容疑者が所持していた、たった数本のビデオテープから、マスコミによるステレオタイプが創造され強烈なオタクバッシングが横行していた。これは大塚・中森の対談で示された宮崎事件当時の記憶である。

(中略)要するにぼくの世代、中森さんとか、ぼくとか、M君ぐらいの、そういう年齢の編集者なり、新聞記者が来て、型通りの取材を終えたあとに「実はね、あの部屋は自分の部屋のように見える」とか、あるいは、「どうしても、彼とぼくとどう違うのか分からない」みたいなことを言う。最初の二、三日というのは、「M君狩り」みたいな取材が多くて喧嘩してたんだけども、それが過ぎたあとに、そーっと来る編集者たちというのは、どっちかというとボソボソと自分と彼との距離感について語り出して、ぼくも「実はぼくもそうなんですよ」と、答える。そうすると彼らは非常にホッとした顔をする。

Mの世代―ぼくらとミヤザキ君 (1989)大塚英志 (著), 中森明夫(著),


カウンター・カウンター・カウンター・カルチャー


「平成って明るくないですか?」「いやあ〜〜、、、どうだかね・・・。」という会話を、バイト先の先輩としたことがある。その人は1985年生まれで、自分は2000年生まれ。同じ平成という時代を生きていても、前半と後半でまさに正反対の印象を持っていたのだ。そういうわけでやはり時代を考えるには10年単位の、西暦で考えてみるのが良い気がした。その人の話では、90年代とはバブルや55年体制が崩壊して、95年に起きた数々の凶悪事件や世紀末思想も相まってとにかく暗い時代だったという。このとき「ワイドショーがあからさまに暗かった」らしい。戦後時代を経るごとにメディアが発達して多様化したとはいえ、この頃はマスメディア・テレビの全盛期だ。そのため一応はみんなが同じものを見て同じようなものを感じていたと言える。その頃に朝起きてパッとテレビをつければニュースキャスターが口々に暗い世の事件を伝えていたのだ。世の中が暗いと感じれば気持ちも暗くなるというもの。

 ある意味こうした暗さは前時代への反動でもあって、だからこそ「80年代はスカだった」ということが何度も言われているのかもしれない。しかし自分から言わせてみれば、80年代が全てを用意したという史観(当時は傍流だったのだろうが)がある。逆に「90年代的なもの」をあげろと言われてもあまり出てこない。実際ここで90年代について書くのにも困っているくらいだ。あるとすれば露骨なエログロ描写であるいわゆる”鬼畜系”といったところだろうか。この暴力性に覚える一種の感動は謎に包まれているが、これについては別の機会に考察する。

 とにかく、80年代にとにかく明るく振る舞おうとした日本人初めての試みは、幸か不幸か失敗に終わった。そして90年代は社会背景もあいまって、80年代への反動で暗闇に満ちていた。60・70年代の真っ暗な時代へのカウンターとして発した80年代も、もはや90年代カウンターの対象となったのだった。すなわち、90年代は戦後日本文化史におけるカウンター・カウンター・カルチャーだ。

 
一方で漫画・アニメ・バラエティなど、エログロに始まって、暗い中にもどこか浮ついた要素は点在していた。これがのちに花開いたのは『めざましテレビ(1994〜)』以降であったと先輩はいう。これはあくまで彼の「平成後期めざましテレビ史観」に過ぎないが、今と比べて「皆んなが同じものを見ていた」時代の、朝の番組が人々の考え方に与える影響は計り知れないものがあるのは確かだ。そして段々とメインカルチャーに明るさが戻されていき、いわゆる我々がイメージする「明るい平成」が生まれていった。実際には平成後期であるから、単純に2000年以降のことを指そう。これもまたカウンターカルチャーであるから、戦後文化史上、2000年文化はカウンター・カウンター・カウンターカルチャーである

俺たちが思う明るかった時代”平成後期”

 ・・・といっても自分は2000年生まれだから、2000年代の記憶はすっぽり抜け落ちている。思いつく来事といえば9.11、リーマンショックくらいで、ビッグイベントとしてはなんか暗い感じはするけども、大体他人事だ。些細な思い出を辿れば、あの時はとにかくドラマを見ていた記憶がある。マイボスマイヒーロー・山田太郎ものがたり。他には次々と新作が出てきたゲームカセット。進化し氾濫するアニメーションコンテンツ。JKといえばギャルにガラケー、プロフ交換、恋愛雑誌。考えてみれば我々の上の世代は、かなり荒れていた。今でいうヤリラフィーみたいなのがよくいたし、Twitterをひらけば馬鹿みたいに騒いでる高校生が日夜迷惑行為でニュースになっていた。誰も新聞を読まなくなっていると大人が懸念するくらい、変に浮ついた若者が多い印象がある。最大の理由はVineで、当時Vineと連動していたTwitterを揶揄して「バカッター」と呼称するノリまであった。当時のインターネットのヒエラルキーとしては、現実世界とは真逆に、トップ:2ch、ニコニコ 最下位:ツイッター、Youtubeとなっていたくらいだ。これは後々反転することになるのだが。時代の考察とはいっても結局自分は学生だったから、みんな漫画の中の理想的な学園恋愛に熱中して、GreeeeNを聴いてニコニコ笑っていた気がするイメージがある。

 そんな感じにとにかく明るい平成でも、その陰りもまた存在した。外交問題、東日本大震災に不況、政治問題などいろいろあげられる。これらが後の暗さの土壌を成したと考えることもできる。しかし、やはり時代に根本的な変化を及ぼしたのはインターネットであると思う。そしてそのインターネットの普及はテレビの衰退(マスメディアの衰退)と密接に絡んでいる。「皆んなが同じものを見る」のをやめて、それぞれが見たいものを見る時代へ段々と変わっていったのだ。だがその前段階がどうであったかが重要である。つまり「皆んなが同じものを見る」のを最初にやめたのがその時代の明るさに耐えられなかった者たちだったのだ。コロシアムで殴り合いをさせられていた自分も、もちろん初期インターネットの住人であった。

 インターネット上では陰キャに地の利があった。ボーカロイド、アニメ、フィギュア、オンラインゲーム、今では陰陽隔てなくもてはやされているものが、当時はオタク的なものとして忌避されていた。こうしたものは現実世界を逃れてインターネットでその文化を耕した。だからネット文化というのはイコール陰キャの文化でもあった。そしてみんなそこにTribeを感じていた。だからこそそれが崩れ始めた現在、みんな口々に「オタクイズデッド(岡田斗司夫2006)」を語っているのだと思う。

 80年代に雑誌がカルチャーを形成したように、インターネットもまたメディアとしてカルチャーを形成した。それがマスメディアの代わりとなって、既存のインターネット文化を新規ユーザーに伝播していった。すなわち、インターネットが普及するたびに陰キャ(オタク)文化が否応なくネットユーザーに伝播していった。その結果として若い世代を中心にして全ての分野にオタク的要素が介在していったのだった。2010年代に小学生だった当時、ニコニコはおろかユーチューブさえ見ているのは自分くらいのものだった。ましてやオンラインゲームなんてやっていようものなら仲間はずれにされてしまった。それが今になってスマートフォンでインターネットを使うのが日常になり、10年前とは比べ物にならないほど多くのネットコンテンツが消費されている。

 そうして、それまで傍流でしかなかった文化もいつからか主流に成り上がっていった。(個人的にはインターネットの役割とともに、大ヒットアニメの役割も大きいと思う。元を辿れば『エヴァ(1995)』にはじまって『サイコパス(2012)』『進撃の巨人(2013)』『君の名は。(2016)』『鬼滅の刃(2019)』などがそうだ。)

 こうした諸々の事情が相まって、分裂していた陰陽が互いにくっつきあった。その結果として今の「なんか暗い」要素が全方面に垣間見えるのだと考えられる。分化した文化の閉鎖性をこじ開けて、開放したのがインターネットの役目であったが、その開放した先が、そもそも陰キャが「前ノリ」していた空間であった。そしてその文化にあてられて、”なんだかみんな暗くなってしまった”。そしてその状況を一気に推し進めたのが、コロナだった。対面が物理的に阻止されて、一切のものがインターネットを介してできる制度が整えられていった。大勢の不安や憂鬱が顕在化するインターネットを通じて、世界はより暗い方へ向かっていった気がする。


閉鎖性の欠如による文化の玉石混淆

 この「世界の陰キャ化」による副作用が出始めている気がする。暗い。暗すぎる。かつていい意味での無自覚で、”井の中の蛙でいる権利”のあった世界では、誰もが夢を見れた。しかしインターネットを通じて現実という情報を誰もが仕入れられるようになると、いよいよ現実味を帯びた暗い世界を直視させられて、何にも希望を見出せなくなってくる。こうした現象をもって若者をひとくくりに、悟り世代と称していた時もあった。とにかく暗くて意欲もない、無気力無関心の他称Z世代たち。その直撃世代の自分から見て率直に「こいつらまじ暗くね?」というのがこの話のメインだ。

 これに加えて大多数の暗い奴らにマーケティングを仕掛けて、明るい奴らもフェイク陰キャビジネスしはじめた。暗さが暗さを呼び、明るさまでも暗さを擬態して、リアルがわからなくなってくる。陽キャ御用達とされていたインスタグラムでも、少しリールを覗いてみればまったく暗さを感じないイケメンが、わざわざ陰キャアピールをして人気を獲得しようとしている。俳優女優歌手からアイドルまで人間味を出すためなのか分からないが、自身の陰キャぶりをこれでもかと披露しはじめているイメージがある。分化文化は完全終了したが、本当の意味でキャラ化した”陰キャ”像だけが残った。人々はその潮流に乗っかって人気取りで陰''キャラ'' を演じ、その情報だけを売り始めている。つまり、リアルだったインターネットに、”現実が接近して”フェイク陰キャ文化が蔓延った。そして明るかった現実に”インターネットが接近して”陰キャ文化が覇権になってしまった。これが俺の思うこの時代の罪である。

 フェイク/フェイクじゃないにしても、結局その陰陽の境目がなくなっている。そうした状況下では自分が何であるかという居場所や根拠を示すのが困難になっていく。「インターネットが80年代以来の閉鎖的文化圏を開放した」と先述したが、その開放こそが「チー牛」の誕生に関わると思う。つまり、陰キャというコミュニティの解体=オタクイズデッドによって、Tribeを失ったオタクの新たなTribe=チー牛なのではないかということだ。

「チー牛」は求められて存在する?

漫画『ワンピース』1069話より

 「今オタクってどこにいんの?」という疑問がいつもあった。昔であればオタク文化圏・秋葉原に行けばゴロゴロとオタクみたいな人間を見つけることができた。しかし今行っても観光客や外国人、メイドのバイトとその裏のゴロツキばかりだ。80年代以来山手線沿線上に形成されていった各東京文化圏も時代の波と共にアフターコロナが決め手となって離散した。秋葉原も高架下や電気街の再開発に象徴されるように文化圏としての存続が厳しくなっている現状がある。また、閉鎖性の撤廃によりオタク性を持つ人間は世界にゴマンと増えたし、彼らは陰陽関わらずオタク文化のいい部分を愛しているに過ぎない。だから単なる「陰キャ」や「陽キャ」による差別化(非差別化)をはかることによって、その人をその人と規定することが難しくなってしまった。かつては差別に対して奮闘し、そのTribeとしての心を燃やしていたオタクたちだった。そして、時代を経てその差別を克服し消失させた。すると困るのはむしろオタクたちだった。彼らの居場所は今心理的にも物理的にも消失してしまい、今そのTribeがむしろ求められるようになった。残酷な話だが、今まではTribeとしてのオタクが、自らのアイデンティティを創出できていた。しかしそれが消滅して以来、自分が何者でもない一般人であるという立ち位置に置かれてしまったのだ。

 二般人の称号剥奪にあえいだ彼らの前に、突如として発現したのが「チーズ牛丼食ってそうな顔(2018)」というものだった。これはある種の嘲りでもあり、”我々”という意味でも使っていると思う。かつて2chユーザーが「ネラー=ニート=俺たち」という言葉を、Tribeを意識して使っていたように。従来のタームだけでは自分たちの存在を位置付けられなくなった何者でもない人たちを、一つにまとめ上げて嘲る様子。一歩間違えればルッキズムによる差別と捉えられかねないのだが、そこに悪意のみ存在しないからこそ、あまり大事にはなっていないのかもしれない。つまり、再び「自ら」を「自らである」と規定したがっている欲望に応えた形で、「チー牛」コンテンツが発現したと見えて仕方がない。実際この定義ができるまでは、こういった人たちを定義することができずに「ブスでもオタクでもなければ趣味も特技も何にも無い」ということで「無キャ」という残酷な言葉で定義する流れがあった。ある意味この流れを突如として断ち切った救世主こそが、この「チー牛」コンテンツだったと思う。

 かつてはオタクみたいな人間が、どんな場所にでも存在していた。どこにでもいるということは、何かしらの引力が働いていたように思う。つまりそういう枠組み=キャラクターがあったからそれにひっぱられて存在していた。偶然か必然か、キャラクターというものが必要とされていた。そしてそれがなくなってしまったからチー牛という代わりを作った。差異化のゲームの癖で行うレッテル貼りは残り、中身の伴ったキャラクターから、単なる外見で人間をジャッジするに至った。人々の趣向が多様化したポスト・キャラクター時代に、弱者男性(陰キャ)のみが、ルッキズムの極地に自他共に辿り着いてしまったのだ

 キャラ性の崩壊やキャラクターが無限に繁茂して、一つの枠組みでは捉えきれなくなった。そんな中で離散した元インキャ元オタク元ネクラetc・・・。このディアスポラをまとめ上げるスローガンとして採用された「チー牛」コンテンツ。差異化のゲームで作られたヒエラルキーの副作用ではあるものの、陽キャからの差別だけではなく陰キャからのバイブルとして存在するもの。「チーズ牛丼を食ってそう」というただ一つの空想のものに、世界中の不細工を結びつけてトライブを維持しようとするある種の宗教が今この世界に生み出された。頑張れ!チー牛トライブ達よ。

そんなことはおいといて、俺の歯の話をしよう

 俺には永久歯がない。昔から謎だったが合計で6本全て下顎の永久歯が欠損している。噛み合わせも何もないので、いろんな歯がガタガタになってきて困るからマウスピースで矯正している。これがサークル内でバレた時には、いつもは俺のネタで一切笑わない女がゲラゲラと笑っていた。しかしどうして、一体どういう経緯で永久歯がないのだろう?とずっと不思議に思っていた。ある時それを歯学部の先輩に言ったら「それは進化の過程だ」と言ってきた。何言ってんだこの人、と当時は思ったが、調べるほど確信を得た。なんでも、これは進化(退化)の過程であるらしい。

「先欠(先天性永久歯欠損)はヒトの進化の過程での退化か」
では、なぜ先欠はおこるのでしょうか。その原因の一つとして、ヒトの進化の過程における退化であるという仮説があります。

「永久歯が生えない!」ー多数いる永久歯欠損症の子どもー 小石 岡崎

 というように、他の生物達が時代を経て必要のない部分、邪魔になる部分を省いていった(退化の)歴史がある。中にはニーズに合わない退化も指摘されているが、これらの大半はより大きな必要性に迫られて退化させた部分の副次的退化であるという見方が強い。我々人間はその退化の歴史の最前線におり、その行き過ぎた退化に直面している世代でもある。

 いわゆる草食系の流行であったり、同性愛の流行や童顔嗜好とジジイ差別、男女差の均一化など。今ある人間的事象の大半のことがこの進化(退化)という言葉で説明がつく。その最先端にあると考えられるのがモンゴロイド(アジア人)だと言われる。たしかにぱっと見で幼いし、西洋に比べて同性愛が活発であり、争いよりも調和を好み、遊び心が旺盛であるなど幼児的性質が目立つ(クライブ・ブロムホール『幼児化するヒト「永遠の子供」進化論』)。我々モンゴロイドは、世界でも類を見ない進化(退化)の最先端に置かれているのだ。そう考えれば俺の無い永久歯にも説明がいくというものだ。

 こうした話は何十年も前から議論されており、あまり人口に膾炙してはいない。興味深いことに、大正時代に黒岩涙香が翻訳した「80万年後の世界(1894)」にもその思考の片鱗が見える。作中でタイムマシンによって未来の世界を見た博士は、人類が幼児化し性差のない妖精のような見た目をしていると書いていた。まさに人類が目指す退化の究極系であると考えられる。今、犬系彼女のような幼児的要素や韓流などの中性要素を性的アルファと考えられる世の中になって、ようやくこれが理解され始めているのかもしれない。

なぜ、今「チー牛」なのか?

 はっきりいって、チー牛はこの退化の過程の一番先にいると思われる。幼児化の典型としての童顔であったり、遊び心であったり。しかし皮肉なことに退化の大きな理由であった社会性の獲得が、退化のしすぎで損なわれてしまったことである。とはいえ疑問なのは、なぜ今「チー牛」なのか。なぜ最近になって退化が進行している子供が増えているのか。昔から議論されているこの現象が今になって注目されているのか。

 その背景には、女性の権利向上による性淘汰圧があると考えられる。女性の権利上の平等は戦後の法整備によって整ったが、実態とはかけ離れていただろう。その後の性別による差別問題を辿っていると、その真の平等を見るのは少なくとも2000年後半以降だと言わざるを得ない。そして、それに伴う女性の社会的自立や自由度が高まる中で、マッチングする異性に対する選別志向も変化していった。その中で、2000年代あたりに特殊な男性への趣向が出てくる。韓流やジャニーズジュニアなどのように顔面や行動に幼なさを有しているものや、あるいはやおい・BLのように同性愛者の関係を愛するといったものが出てきた。そこでは、従来の男性らしさである熱血や漢、暴力性、ひげやマッチョといったものが追いやられていた。中性的であればあるほど女性からの人気は高まる。そして今や男子学生のほとんどが脱毛をしたりメイクをするのが普通になってきている。こうした性淘汰圧によってもともと自然に進行していた退化(幼児化)がさらに進行した。だから幼児化傾向(退化)の拍車をかけたのは、恋愛が女性の手中となった2000年代付近であって、チー牛の誕生もその時代を後にした2018年だったのだ。チー牛はまたも、望まれて誕生したと言える。

まとめと考察

 かつて(80年代)は文化が分化して暗すぎて明るすぎた。それも70年代までののカウンターであって、90年代はまたも80年代へのカウンターだった。00年代もまたそのカウンターで、今のこの暗さもまたそのカウンターである。結論としては、現代が暗くなったというか元に戻っただけだった。暗い、暗いよニッポンジン。

 「文化は常にポストの連続」というのが自分の考えだ。『葬送のフリーレン』なんかがいい例だが、あの静けさや世界設定は前時代までの熱さや転生モノへのカウンターでしかない。ポストロックが好きな人間も、そのポストロックの原点しらなかったりする。今回の話もそうで、俺はただポストの連続する時間の一点を見ていただけだった。どの時代にもよくみれば暗い部分も明るい部分もある。それを暗いと思っているのは単に俺がネクラで暗かっただけだったのかもしれない。しかし日本においてはその勢力の優劣が時代によって異なっていた。その中で生み出されたキャラクター化・差異化によって陰陽の対立が生まれ、現代の陰キャ陽キャに繋がった。しかし多様化した現代、その概念は瓦解し、今新たな象徴として「チー牛」があるのだった。

 序論で俺が言った「現代に感じる暗さ」と、70年代の暗さとはまったくの別ものであるように思う。キャラクター化と80年代の「暗さの否定」過程において、政治性というものをまるっきり捨て切ってしまったことが大きい。今の暗さはただ単に暗いだけで政治などのハードな部分が全く持ち込まれない。ただ暗いだけで何か行動なり思考なりするでもない。無の暗さだ。生まれた時から「失われた何十年」とか言われるが、これも政治性を捨てた80年代末以降が始まりであるから、また一致する。80年代末以降失われ続ける日本国力と引き換えに、得たものは日本カルチャー。文化の根本を築いたと同時に、こうした悪癖を残してしまった80年代には愛憎半ばの気持ちである。しかしそのカルチャーも境界を無くして形骸化しはじめている今、残るものは何だろうか



主題がチー牛からずれてしまったけど、読んでくれてありがとう。 
りんぽよ

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