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障害者の就労支援についてナナメに語る人ー最近読んだ、面白い本2冊の紹介ー

#障害者雇用   #就労支援 の勉強をし始めると、どうしても「職業準備性」やら「障害受容」やら、「アセスメント」の必要性についての話題を聞くことが多く、「障害者個人の問題」として展開される議論が気になっていました。そのような考えにあまり納得しておらず、違った見方(反論)ってないのかなーっていうのを色々と探しているところです。
(最近はIPSなどの活動が自分の中でヒットはしているところです)

でも調べれば調べるほど、「えー、むず」となっている最中なので、今回は、僕の頭の中の散らかった考えをとりあえずアウトプットするというnoteになります。

本当は量的データをもとに、現実に即した意見を述べるべきですが、すみません。ちょっとそこまで体力なくて。あくまでも「個人の感想」として認識していただけたら。変にこの発言が正当性を持って流布されないようにしたいと思っています。

背景として、最近話題になりました、障害者雇用代行ビジネスなどで、農園型の雇用が量産されている理由が「農園の仕事は障害者と親和性が高い」ということだったり、就労支援の現場では訓練→雇用というモデルが浸透しており、その際に職業準備性という基準をもとに本人の就労できるか否かを評価するような状況があることを知り、「おや?障害当事者の自己決定や、ニーズはどこいったんだい?」と疑問を呈していました。

また、障害者雇用促進法での合理的配慮を提供する事業主の義務は法的義務とされています。しかし、「過重な負担を及ぼすときは提供義務を負わない」とされており、企業側に配慮を提供するか否かということを判断する裁量があります。そして「個人の申し出による」という「個別性」が求められており、個人が具体的に必要な配慮について考え、企業側に伝えるというプロセスが発生します。
そのため、障害者雇用で雇用を目指す、障害のある方は必然的に「自身の中に障害があり、その障害で生じるであろう業務上の支障について、配慮して欲しい」という文脈となります。結果、「障害は個人にある」というような理屈が成立してしまうのです。

障害のある人の生活のしづらさはDisability(本人と社会の間に生じるもの)であり、個人ではなく社会側に問題があって、そこを乗り越えていくことが求められているはずなのにー、就労っていうことになるとなぜーーー?どうしたん??って。

やはり、就労現場においては、障害の社会モデルの視点から、個人モデルへ回帰してしまう状況があると感じております。
障害を内面化させ続ける現象について「どうしてーー??」と思っており、色々と文献を探しておりました。また、支援者側も「良かれと思って」個人の努力を促すような視点で関わりをしてしまっているのではないかと思いました。

それで、いくつか上記の答えになりそうな文献があったので紹介したいと思います。

1.障害者が労働力商品を止掲したいわけ(2015)堀 利和


前半は現代資本主義経済のそのものへの問いから始まり、筆者の知見がまとまっている。正直、社会学・社会科学を専門としていない私はめちゃくちゃ難しかった。が、しかし後半は障害の再考をしたり、フィールドワークの記録があったりと興味深く読んだ。

「能力が低いことが障害ではない。能力が低いためにその障害者が働くことができないという労働力商品の経済構造にこそ問題の所存があるのである」(p.129)

さらに

「「能力」を個人固有の障害と決めつけ、したがってその結果福祉や社会保障の充実、あるいは雇用政策のみにもっぱら問題の所存の解決を求めて、その言論や本質論には目を向けようとしない」
(p.129)

なんて、重要な指摘だ!
我々は、就労支援という名目で能力主義の世の中に加担をしてはいないだろうか。「役に立たないと仕事することできないよ」なんて、寂しくはないかい。と思ってしまった。

「うちの会社で任せられる仕事がない」というような、どっかの機関がやっている「障害者雇用をする上でのハードルはなんですか?」アンケート結果の集計に出てきそうな項目がすぐに想像つくが、そのような考えはそもそも本末転倒なのでは?と感じてしまった。

あと、やっぱり支援者と言われる我々は、そのような世の中の排除的な姿勢を乗り越えるために、障害福祉サービスへ視点を移し、その中だけで議論を始めていないだろうか。

もう少し、マクロな視点で障害者雇用をみていかなければならないねーと思ったのでした。

次!

2.障害受容再考―「障害受容」から「障害との自由」へ(2009)田島明子著

「障害受容をしてから就職をした方がいいですね」
って、何?そもそも障害受容って何?

リハビリテーションに蔓延る「能力主義」の視点を筆者は「障害受容」という文脈から考察してる。

「できること」に価値があるから「できること」を目指すのは、障害(を持つ人の)価値を否定することになるから否定される。ー略ーどうしても「できること」を目指すリハビリテーションの行いは能力主義的な社会の価値観を後押しする格好になってしまい、「できないこと」≒障害を否定していくことになってしまう(p.8)

「能力に基づく差別構造」が就労という文脈に発生し、支援者は「良かれと思って」その差別に加担しているのではーーという鋭い指摘は、正直僕も聞いていて痛かったし、「じゃあどうしたらいいのか」と困惑してしまった。

ただこの本は著者の臨床現場で「障害受容」という言葉が、支援者側が支援のうまくいかなさの理由として使われていることに疑問をもち、支援者側への問いかけにもなっている。

とてもおもしろかったのでおすすめです。

まだまだたくさんあるけれども、ちょっと余裕がある時にまとめたい。

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