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もっくんのこと

セミの抜け殻が、車道と歩道の段差の縁に付いていた。踏まないように、そうっと跨ぐ。
この子はどこから這い出してきて、ここで大人になったのだろう。
うちに帰ると、庭の木からミーンミンと大合唱が聞こえる。さっきの抜け殻の主もどこかで無事に鳴いているだろうか。

数年前まで虫が苦手だった私。今では彼らに親しみを感じたり、気にかけさえするようになっている。なんだか妙な気持ちだ。

・・・・・・・・・・・・・・・

「今朝はね、玄関でもっくんに2回も会ったから、電車の中でもっくんについて調べてたの」

そう言って彼はクモの話を始めた。

「まず、ちっこくて黒いもっくん。うちによくいる子。
ハエトリグモって言って、ハエを食べてくれます。巣は張らないの。うちの子はアンダソンっていう種類みたい。
それでね、目が良くて、そーっとこっち見てるんだって。人間が後ろから近づくと、振り向いて様子をうかがってるらしい。怖がらせたらかわいそうだから、そっとしておいてあげたほうが良さそう」

「ほうほう、振り向きもっくん」

「それから、薄茶色で足の長い大きなもっくん。アシダカグモって言って、Gさまを食べてくれるんだって」

「ええ!Gさま食べるの?!」

「うん。長い足の下にGさま入れて、ブシャーって毒出して動きを止めるんだって。『軍曹』って異名があるんだよ」

「軍曹・・・。お強そう・・・」

「でも怖がりだから人には近づかないんだって。おうち好きだから民家に住んでるけど、Gさまがいなくなると撤退するんだってさ」

「ということは、我が家にはGさまが・・・・」

「まぁ、そういうことになりますな。でね、清潔好きだから、常に足場を自分で消毒してるらしい。たぶん我が家はキレイになってる!」

「それはどうかと・・・・。うん、とにかく、もっくんが怖がりで、我らと利害が一致してることはわかった。ハエとGさまには悪いけど、もっくんたちのおかげで快適に暮らせているのかもしれない」

「そうそう。かもしれないの」


冬が終わり、彼らが姿をあらわすと「やっほう」と声をかける。
以前は見かけると紙に乗せて庭へお立ち退きいただいていたけれど、夫の話を聞いてからは玄関や窓際にいるならそっとしておく。

得体の知れないものは怖い。得体が知れると付き合い方が見えてくる。人間の独りよがりかもしれないけれど、もっくんとはうまくやっていけそうな気がした。


それにしてももっくんよ。
前は部屋の隅っこにしかいなかったくせに、最近はベッドの上を横切ろうとしたり、ちょっと我らに油断しすぎじゃないですかね?いや、気のせいというか、こちらの独りよがりかもしれないですけれど・・・。

眼前の小さなもっくんは、タオルケットの大海原を北上中。カールした繊維の波間を8本の足で器用にかきわけ、ピョコピョコと飛び歩いている。
その瞳はこちらを見ているのだろうか。

「どちらへお出かけで?」

目が合った気がして、今宵ももっくんに話しかけてみるのであった。


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