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クリスマスを祝わない人間のクリスマス論

クリスマスを祝わない私のクリスマス論を書き殴ってみた。


2023年のクリスマス。
友人や家族に囲まれて食事をして、普通に良い日だった。でもこの食事会は「クリスマス」じゃなくてもできた訳で。


12月って、街中から「クリスマスだね!嬉しいね!」と、圧をかけられてる様に感じちゃうのだけど、完全無宗教Atheistな私は、クリスマスを無邪気に楽しむ事ができない。


でもね、それで良いんだ。
今年やっと「それで良いんだ」って言えるようになった。


7年前に他界した母親はクリスチャンだった。
なので、24日には近所の教会に出向いてキャロルを歌うのが恒例行事だった。幼稚園も中高も一応クリスチャンだった。

そんな訳で、幼少期から思春期にかけては、キリスト教が常日頃から周りにある生活をしていた。

もちろんクリスマスは一大イベント。大騒ぎ。

それに、無宗教ながらもイギリス人の父親はクリスマスディナーを何時間もかけて調理してた。ターキーからローストポテトからスタッフィングまで、伝統的なクリスマス料理を毎年作ってた。


でもね、子供ながら、毎年クリスマスに、息苦しさを感じてた気がするんだよね。

何を祝ってるんだっけ?と不意に子供ながら感じたり、何の為のプレゼントなんだっけコレ?と物を貰う事への抵抗や申し訳なさを感じたり。よく分からない行事だなと。

冷めてる子供だったのかな?笑



母が他界したのが2016年12月上旬。

その年はクリスマスディナーもツリーも、なんも用意しなかった。教会だって行かなかった。母親を他界させちゃう神の子供なんて、拝む気にはならなかったし。教会の存在に抵抗さえ覚えた。イエスキリストというフィクショナルな人物と、その年の12月に絶交した様な(大袈裟か笑)そんな思い出。

でも残された家族3人笑顔で夕食を食べたのは覚えてる。無理しまくった年だったから、これ以上なんも無理して、よく分からないお祝いをする気力もないよね、別に良いよねって。ちんまりとしたクリスマスだった。それでも、家族と共に食事をして、会話をして、映画を観た。



それ以来、私の家庭ではクリスマスを祝ってない。クリスマスだから…っていうのがなくなった。自然と消えてった。


ケーキやプレゼントだって、家族間では特に買う事もなくなった。逆に「あなたにあげたいから」「あなたを笑顔にしたいから」っていう、もっと意義のあるプレゼントを、したい時に、その都度する様になった。美味しそうなケーキを見つけたから、弟がチーズケーキが好きだから、買ったよ、みたいな。


とはいえ、12月の祝日には、毎年実家に帰って、家族と共に食事をしてる。「一年に一度必ず帰省して時間を過ごす日」みたいな暗黙の了解故に、みんなで時間を過ごす様になった。それくらいふわふわした、low expectation な祝日。サバサバした家族。好きだ(突然)


そんな事もあって、クリスマスという行事があまり好きではない。その祝日を押し付けられたくない。(というか複雑な気持ちにさせられちゃうので、好きじゃないな、みたいな、複雑な関係)。

それでも、愛する人達と集まって、食事を共にする、家へ招待する、その理由付けとしては最適。

私とこの宗教的行事の、複雑な関係性を説明するのも面倒だし、幸せなムードを壊したくないし… 何も言わずに行事ごととしてパーティに参加する事も多々ある。友人達に会えるのだから、都合は良い。全否定したい訳じゃない。I’ll give you that, Jesus. 


愛する人達と、クリスマスだから… じゃなくて、愛しているから、大切だから、共に時間を過ごしたり、物を渡したり、一緒にケーキを食べたりしたい。

12月25日と日程を指定せずとも、常にそれを心がけて生きていきたい。今年もそのつもりで日々過ごして来たけれど、来年も友人恋人家族への感謝、愛情、尊敬、そんな感情を大事にして、生きていきたい。(ちょっと待てよ、結構クリスチャンな事綴ってないかコレ… Anyways)


長くなりましたが…

よい年末をお過ごし下さい。✨




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