わりと頻繁に「負けず嫌い」が発動します、そしてそんな時には必ず…⁉️
「何が原因で…?」と聞かれた時には「自分自身が原因ですよ」と答えるべきなのか。
兄弟がいない状態で育ったから、もしかしたら「自分を分析できていないこと」が原因なのかもしれないのですけど。
年の離れた親のもとでの「一人っ子育ち」ゆえに、我が家では「何でも自由に選択できた」ことも、原因のひとつなのでしょうか?
母が教えていた茶道のお弟子さんたちから甘やかされていたから「勝手気儘な言動を繰り返していた」のも、原因だったのかもしれない。
この年になっても、ボクは「負けず嫌いを発動させる」ことが原因で、よく暴走してしまうことがあるのです。
でも「破壊行為に走る」わけでもなく、どこかに冷静な部分を残しつつ「暴力ではない暴走行為」をするのです。
だからボクの暴走行為は、良い結果に繋がることもあるのです。
その事を1番顕著に物語るのが、パチンコ・パチスロを長時間やり続けてしまうことなのです。
かなりの金額を敗けていて、しかも残金が少なくなった状態でも、大当たりを引いたら『また今度勝負すればいいや…と考えて、そこでやめる人もいます』が、そんな状況であっても全くやめる気にならないのがボクなのです。
1度の大当たりから「一発逆転」を狙って、敗け分を取り返そうと考えることが多いのです。
そんな性格はパチンコ・パチスロをやるようになって培われたものではなく、元々持って生まれたものであるから、学生時代には「すでにそういう行動をとっていた」のです。
中学生になり部活動の選択ではバスケットボール部を選びましたが、奇形でバスケットボールを上手く操れない右手だったからシュートの成功率がかなり低かったのですが、それを理由に顧問の先生から「マネージャーになれ」と言われたのが二年の秋でして、悔しくてバレーボール部へと転部しましたが、シュートの成功率が低いことを克服するために、高校に入学してすぐに昼休みになると体育館で、フリースローの練習に取り組みました。
それを見た友だちが真似するようになり、人数が増えてきたのでゲーム形式で試合をするようになったのでした。
球技大会でバスケットボールが選択されたのは三年になった時だけでしたが、ボクたちは昼休みはずっと練習していたから、それを待ち望んでいたのです。
それなりに自信もありました。
でも、ボクの母校は商業高校だったから経理科・情報処理科・貿易科の3つに分かれていて、貿易科は男子ばかりのうえに、9組にはバスケットボール部の部長を勤めた人までいました。
「優勝はバスケットボール部の部長だった人がいる9組!」
誰しもそう考えたでしょう。
ボクたちはのチームで中学時代にバスケットボールを経験したのは、ボクともう一人だけでした。
3年生になり、部活動から引退した人も参加できるようになっていた球技大会で、特にバスケットボール部の部長に加え他にもバスケットボールに所属していた人もいる9組のチームに勝てるクラスなどありはしない、そう考えるのが妥当ですからね。
そんな状況だからこそ、二回戦で9組と戦った時には、ボクは試合開始早々ハーフラインからの長ロングシュートを放ったのです。
自信などまるでありませんでしたが、機先を制するためには、一か八かの賭けに出るしかなかったからなのです。
…決まりましたよ、見事にね!
そしてその後すぐに、ボクにマークが二人つきました。
でも、実力差がありすぎる敵チームには敵いませんでしたね。
点差はわずかでしたけど…。
その試合が終わって、ボクは1度教室へと帰りましたが、全試合の結果が知りたくて体育館へと向かいましたが、その途中で9組のキャプテンと偶然にも会った時には、彼から「おまえたちとの試合が事実上の決勝戦だったよ!」という胸が熱くなる言葉をもらえたのでした。
さすがにキャプテンだけあって敗者にも労いの言葉をくれる!
ね、良い結果に繋がったのです。
noteでも浜松市の有り様をボロカスに書いていますけど、良い結果に繋がるかもしれませんよ。
ボクは浜松市のことを嫌いで書いているわけではありませんからね。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
終わりです。
ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。