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育休中にほぼ100記事!自分できんのか?コレマデ②教員1年目❷

写真は岡山の実家の両親から届いた日本一の旗だ。
控えめに言っても最愛の我が子に似合いすぎる。
自慢である。

さて前回の続きを綴ります。

前回のはこちらです。覗いてやってください。

②言語学級の担任

北海道の私の住む地域では多くの初任1年目の教員が特別支援学級の担任をさせていただける。
私は少なからず今までのキャリアを振り返っても”させていただけた”と思っている。本当によかった。
2年生と6年生お子さんの担任をさせていただくことが決まった。
私はお決まりのスーツを身に纏い,いざというときにあの仕打ちである(笑)。詳しくは上段の前回の記事を覗いてやってください。

さて,特別支援学級の担任を仰せつかったわけだが,不安でしかなかった。
なぜなら,私は大学在籍中に単位を落とした講義が二つあるのだが,その内の一つが,特別支援についての講義だったからだ。当時,特別支援なんてパーソナルな性質が大きいもんが学問として成り立つわけないやろう〜という謎の理屈で講義に意欲的ではなかったのだ。今の自分にとっては最も興味がある1分野なので昔の自分に会えたなら,耳元で
「ぶちくらわすぞ!」と(田舎の口の悪い癖が【笑】)
「教育観に多大な影響を与えてくれるのは,支援を必要としている子たちだぞ!」
と言いたいもんです。

さてさて,そんな無知の私が言語学級と聞いて,一番最初にイメージしたのは,手話でした!
小・中学校の時,合奏でやったぞ!よしよし!!
しかし,引き継ぎをしてみると びっくり!!

!!
!!!

二人のお子さんは共に言語的な支援を必要としていませんでした(泣)
ADHD傾向と学力保障が大きな課題でした。
当時しっかりとアセスメントすることができれば,聞くという言語機能に発達の遅れがあると見立て,支援することができたかもしれません!!
単位を落とす私がそんなことできるわけありません。
胸を張って言えます。

そんな学力保障のためにあの手この手を試しては,反省反省反省を繰り返していました。2年生のお子さんとは,特にこの本にお世話になりました。

6年生の子とは百人一首と羽根突きでお世話になりました。どちらも完敗!
羽根突きでスマッシュをされたのはきっとこれっきりです。コレからもないと思います(笑)。

よって,このお子さんたちに力をつけられたなあという自負は何一つとしてないです!悔しい・・・

タイムマシンが欲しいです。

この一年がどんな一年だったかを物語るその証拠の写真がこれです(笑)
卒業式の記念写真でこの顔です。何で?(笑)  
校長の隣でですよ(笑)

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記念写真といえばこの曲で

(前略)
記念の写真 撮って
僕らはさよなら
忘れられたなら
その時はまた会える
季節が巡って 君の声も忘れるよ
電話の一つもしたのなら
何が起きる?
(後略)

でもこの一年のおかげで私は理想とする"伴走者"というスタンスを確立するための一歩を踏み出せたのだ。

目の前の子供から学び続けたい。これからも。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

続く

ギブアンドギブへ。これからご一緒させてください。