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暇を肯定して0から遊びを生み出す力を持っている人間は 霊長類最強説

学校や幼稚園が休みとなり、子どもたちとその親は突如としてになった。

緊急事態宣言が発令され、外に出られない。

限られた空間で、限られた資源で、限られた選択肢の中で、先の見えない親と子のモヤモヤ生活が始まった。

「今日何しよう?」「今日何して遊ばせよう?」「もう何も遊びのネタがない…」「何もすることがなくて頭がおかしくなりそう」「暇すぎてずっとYouTube」

そんな悲痛な叫びが至るところから聞こえてくる

【おうちでの遊び方アイディア集】がシェアされ、【この時間を有意義に使おう!オンライン授業】などの活動も活発化

大人達は子どもを飽きさせず、暇させず、楽しく遊ばせる事に全力を注いでいる日々。本当にお疲れ様です。

でも、ここだけの話(どこだけの話)周囲の反応と私の感じ方には、またまた大きな違いがあった。

さて、カワリモノ・ノート発動である。

まず、暇な時間・何も出来ていない時間に過度のストレスを感じる人が、こんなにも多く存在している事に驚いた。

そんなに無理して子供を『遊ばせよう』と力まなくても、良いんでない?なんも暇でも良いんでないかい?

なんなら暇からしか生まれない遊びやアイディアや、尊い時間もあるんでない?

と、感じてしまい、今、烈火の如く人差し指を走らせている。

子供の笑顔の為にと、毎日頑張りすぎている大人さんたちへ

以下、BGMは山下達郎の『ガンバラナイけどいいでしょう』で、一つよろしくです。



暇を許さない現代社会


現代人は忙しい。大人も子どもも日々こなさなければいけないタスクに追われている。

勤勉勤労がベストとされ、手を抜かず努力を惜しまず、常に進化を続けなければならない。現状維持は退化であり、煌びやかな成功体験が良しとされ、同じ場所でくすぶっているとお尻を叩かれ急かされる。

スケジュール帳が埋まること=充実した人生

SNSで挙げるネタがないと『今日何もしてなかった』と思い込み、無理やりでも何かをして、写真におさめ投稿する


暇=怠けている・甘えの価値観が根付き

科学の進歩やインターネットの普及と共に、速いこと・無駄がないことが優先され、遅いこと・立ち止まること・無駄なことが劣っているとされる

暇は「潰すもの」

そんなもんだから、今回の外出厳禁・自粛ムードの今、暇=何もしていない状態にストレスを感じ

何も結果を出せない状態が受け入れ難いから、今、みんな病んでいる。


でも、これは今回の騒動に限った話じゃ無い。

人生においては、暇を持て余し、頑張りたいのに思うように頑張りきれない状況が、案外頻繁に訪れる


怪我や病気になった時・障害を負った時・震災に遭った時・受験で失敗して浪人生活を余儀なくされた時・会社が倒産した時・定年退職した時・切迫早産の危険があり絶対安静の指示が出た時・子育ての仕事の両立がうまくいかず、どちらも頑張り切れていないと感じた時

看護師1年目。某有名大学病院に就職したものの、完璧主義で失敗を恐れるが故に空回りして、力が入りすぎて心身を病んで、わずか半年で、ずっと憧れだった看護師の仕事を辞める事になった時

当時、退職した事実よりも

退職後、無職で何も頑張れていない自分が恥ずかしく、許せなくて暇な時間が本当に辛かった


仕事を辞めた事はしばらく誰にも言えなかった。大好きな親にも相談出来ず、「もう仕事を辞めたから」と最大限の強がりスマイルで事後報告

頑張りきれなかった自分を責めて、恥じて、病んだ。

病みに病んでいた私は気づいたら

とある親しい友人に電話をかけていた。

彼女は医者の卵で、頭が良いのはもちろん人生の苦労や闇を知っていて、とにかく、言葉選びが達人的に上手だった。

当時も何かあったらお言葉を頂戴していて、私にとっての「相田みつを日めくりカレンダー」が彼女だった。

電話で彼女の声を聞くと、それまで漬物石を用いながら蓋をしていた感情が、バババァーっと溢れ出し、号泣した。

そんな私に彼女は

自分で自分を認めてあげなきゃ。何も出来なかった自分、頑張りきれなかった自分に、はなまるまでいかなくても、一旦認めなきゃしんどいよ。
他人が褒めてくれないと、他人から感謝されないと、何かやり遂げないと自分を認めてあげられないようだと、この先しんどいよ。

と、優しく言った。


それまで、私自身、自己肯定感は高いタイプと思い込んでいた

でもそれは『人から求められて』『人に感謝されて』『頑張りまくっている』自分を認めていただけだった。

以上、頑張れていない自分すらも肯定することの大切さを実感した話でした。


だから、ぜひ一旦、今、頑張れていない自分を認めて受け入れてもらいたい。話はそれからだと思う。

大人が暇を受け入れられたら、きっと子ども達もその空気感がバッチリ伝わり、今の現状をありのまま受け入れられるはず。こんな時こそ、ありの〜♫ままの〜♫だ。

ほんのひと時でも、自分がどれだけやったか、窓に映ってる自分を、ほめろ!!by浜ちゃん(私の葬式でかけてもらう予定の曲)


子育て中は『自分はまだ頑張りきれない』と錯覚しやすい→病みやすい


子育ては

・24時間終わりがないから、達成感が得られにくく

・毎日同じことの繰り返しの様に感じて、自分への褒めポイントが見えにくい

・閉鎖的な家の中で行われるから、社会から孤立し他人から認められていない感がすんごい

・子育ては親なんだから『やって当たり前感』が元々あって、頑張っても当たり前、当然。頑張らなかったら非難されると感じてしまっている

↓結果として

私なんか何も出来ていないと錯覚して自分を責める状態

(本当は、時には自分を犠牲にしながらも、1人の人間の命を常に守り続けるという、総理大臣のSP並みの大役を毎日こなしているのに)

何もタスクをこなしていないように錯覚し

(本当は家事の5項目+子育ての7項目のルーティンを常に並行してこなしながら、結構頻繁に訪れる緊急事態にも24時間対応すると言う、ALSOKもびっくりな管理体制なのに)

他人からプラスに評価されたり、目に見える成功や成果が得にくいから

自分自身を褒めることが出来ない

いや、褒めなくてもいい。

お願いだから、何も出来ていない(本当は物凄い価値のある事をしているんだけど)自分を認めてあげて欲しい。

そうしなきゃ、しんどいよ。by相田みつをカレンダーの彼女


出来なかった事にばかり目がいって、頑張れなかった自分を認められず、常に何かしなきゃ・何かしなきゃと思い続けて、結果今の状態に満たされない

それをハングリー精神と呼ぶかも知れないけれど、そんな人生絶対どっかで疲れるし

何より我が子もそんな親の姿をずっと見ていたら『ずっと頑張り続けなきゃダメなんだ…認められないんだ』って無意識のうちに悟ってしまうと思う


大人自身も、我が子達も、何もしていない・暇を持て余している・頑張りきれていない今を【一旦肯定し認める】

それこそがどんな状況下でも、ハッピーに過ごせ生き残れる鍵であり、それができる人こそ霊長類最強の人間だと思う。

もちろん、頑張ることを否定しているわけではない。頑張っていない自分も肯定して欲しいという話だ。


さて、話を戻そう。時を戻そう。


0から1を作る遊びが尊い

もう一つ感じた違和感が、遊びの定義と価値観について

何か子どもに与えてあげないと、遊ばせた気にならない親が多い
室内遊び場に連れて行かないと
公園に連れて行かないと
一緒に工作をしてあげないと

そして、遊んだ結果が目に見えて、写真にしっかり残らないと(SNS投稿のため)

でも、大人がそんなに頑張って遊びを与えなくても、子どもはみんな自分自身で遊びを作る術を知っている

そもそも、遊びってなんだろう?

遊び(あそび)とは、知能を有する動物(ヒトを含む)が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うもの

と、Wikipedia先生は言っている。先生はいつも端的に要約してお話下さるので勉強になります、はい。

私も『知的好奇心を思いっきり発散して楽しむ事』だと思っていて(先生に比べると言葉がチープだなほんと)

それらにはもちろん、おもちゃ遊びや工作やぬりえ、公園遊びやテレビゲームなどももちろん含まれるけれども

何もないところから、0から1を子ども自身が作り出す遊びもあるという事

そして、これは実体験からだが、与えられた遊びよりも0→1遊びの方が

好奇心が刺激され、遊びがどんどん発展し、夢中になり飽きずに、なんせずっとずっと楽しい。そして大人の目を通すと『これって遊びなの?くだらない』と見える事も多くて、一見遊びに見えないことも多い

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(30年前発行の『段ボールで遊ぼう』という図書館の本を見ながら3歳の息子が作った鬼)

そしてそして、

その0→1遊びは、大人が整え与えた遊び環境の中では生み出されにくく、おもちゃや道具を与えられた受け身の環境下では創造されにくいという事

子どもたちがいい意味で放牧され、暇を持て余した時「あぁ、暇だな。じゃあ、何する?何して遊ぶ?」からしか、それは生まれない


田舎で暮らしていた私の幼少期は、そんな自由で暇な時間で溢れていた

この記事の中で話している、神様を作り出して祀る遊びは、まさに0→1遊びの代表例


そう、森の中ではこういった遊びが生まれやすい

森には、使えるツールが山程あるし、電動のおもちゃのように動かず何も与えこないし、大人からの死角だらけだから。


遊具のない森で遊べない子どもが多い

わが子と友達親子と森遊びに出かけた時の話

その子は森に着くなり

『どこで遊ぶの?何で遊ぶの?遊具は?公園じゃなきゃつまんない。』

と常にボヤいていた。ノムさん並みのボヤキでどんどん出てくる。

そのノムくんはなぜ遊べないのか?


それは遊び方を知らないから

遊びを自ら生み出す術を、そしてその楽しさを知らなかったからだと思う


でもそこに、森で遊び慣れている友達が登場し、空気は一変した

それまでボヤキのノムくんだった彼も見様見真似で、でもあっという間に森遊びの虜になっていた

枝に葉っぱを刺してBBQ・とにかく雪山を登ってファイト一発ごっこ・薄い氷を誰が1番大きく切り出して持ち上げられるか競争・つららを大人の目を盗んで舐め舐めにまくる時間

この時ノム君は恐らく、初めてを使って遊んでいた

を使って遊ぶって、学びや勉強のニュアンスで使われることが多いけれど

一番頭を使う遊びは、自分の快楽を正しく読み取り、0から楽しめる事を創り出し、誰にも邪魔されず、満足する事だ


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(私が最強にオススメのそり滑りスポット)

あぁ、びっくりする程長くなった。

結局何が言いたかったのかな?Wikipedia先生教えて。


まとめきれないので、絵本作家かこさとしさんの代表作だるまちゃんとてんぐちゃんに私の言いたかったことが、大変わかりやすく書いてあるので。

木村拓哉がキムタクなんだよって程、説明する必要がない本だけれども紹介したい



だるまちゃんのお父さん:だるまどんは、だるまちゃんが欲しいと言ったモノを沢山、沢山与えるんだよね。でも最終的にだるまちゃんが選ぶモノって、だるまどんが用意したものではなく、自分で頭を使って0→1を創り出したモノなのよ。
最後には、だるまちゃんと一緒に家族総出でみーんなで0→1を創って楽しむんだよね。

かこさとしさんが何を言いたかったのか、本当のところは分からないんだけど。私のこの長々と無駄が多い文章で言いたかったこととマッチしている気がしてねぇ。

あたしゃ紹介させてもらったよ。

口調も定まらなくなってきたし、烈火の如く動かしてきた人差し指の指紋がなくなりそうなので、この辺で。

我が子の0→1の遊びを増やすためにやっている工夫などは、また別のnoteで

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