面白かったスカウトのイベントで気づいた事

つい最近、息子と夫の参加しているスカウトのイベントで、面白い光景を目にした。

毎年ベーデン•パウエルの日、といってボーイスカウトの創設者にちなんだ表彰式が、それぞれの支部でだいたい5月の初め頃に行われる。

その表彰式には、父兄も招待されるので私も先日行ってきた。下は5歳から、上は高校生くらいまでのスカウトメンバー達がリーダー達からそれぞれにバッジを受け取った。リーダー達がスライドを使ったり、子供たちのクラフト作品などを並べて活動報告をした後、中学3年から高校生くらいの少年たちが前へ出て発表をした。といっても、スライドを見せながらごくカジュアルなコメントをしていくだけである。決してふざけている訳ではないのだが、その脱力感の中に見えるユーモアに笑わされた。発表をしていた少年達が、前に行かずに一番後ろの席に座っていた一人の仲間に、「僕らはこのスライドのイベントに行かなかったけど、君は行ったろ?どう?楽しかった?」と、質問を投げかけた。「うん。」とその子が返事すると、「皆さん、○○が楽しかったと言ってます。」という具合だ。これが学校の授業中のプレゼンテーションだったら、さすがにカナダといえども先生に怒られるだろうが、ここはスカウトである。保護者もそのゆるい受け答えに笑っていた。

ちなみに、他の父兄のほとんどは知らないのだが、最後列に座って返事だけした少年は、学習障害があってオンライン学習を受けている子だから、人前に出て話す事が苦手だし、慣れていない。だから、発表していた少年たちは、カジュアルに質問を投げかける事で、人前に出たくない子も自然に、発表の仲間に入れている訳だ。おそらく、人前で発表しなさいと強制されていたら、それが極端に苦手な彼はイベントをボイコットしただろうし、スカウト自体を辞めてしまうかもしれない。彼にとっては、唯一友達と触れあう場であるスカウトを、である。

スカウトは、日本ではボーイスカウトと呼ばれていると思うが、カナダでは女子も参加でき、参加者が「ボーイ」だけに留まらないので、正式名称は「スカウト」である。ちなみに、娘の参加している女子のみのガールスカウトもあって、そちらはカナダでは「ガールズガイド」と呼ばれている。

スカウトもガールズスカウト(またはガールズガイド)も、世界中に支部があり、運営しているのは地域のボランティアだ。うちは娘が5歳になった時、ガールズガイドに参加して、まもなく高校を卒業するのだけれど、ずっと続けている。キャンプやアウトドアの体験をさせてもらえるだけでなく、自主性やリーダーシップ、地域に貢献することの大切さなどを、その活動を通して自然に覚えていくのだ。いろんな仲間と泥々の雨道を、迷ったり、滑ったり転んだりしながらハイキングしたり、悪天候や限られた物資という条件に、臨機応変に対処していくことを学んでいる。みんなでテントを立て、食事の用意をし、同じ時間に起きて、食べ、床に就く。(テントに入ってからのお喋りタイムやおふざけタイムがまた楽しい思い出になるらしい。--娘談) 

基本的に、スカウトやガールズガイドは、(少なくてもカナダに限っては) 活動費が払えないからといって、参加を拒否される事はない。みんなで空き缶や空き瓶を集めてリサイクル業者に持っていったり、クッキーやポップコーン等を売って活動資金に充てるのである。リーダーを務める大人は、たいがい自分の子供もスカウトやガイドをやっているか、リーダー自身が子供の頃参加していたか、という人が多い。小学校高学年、中学生になると、徐々に子供たちはリーダーから、どんな活動をしたいのか意見を求められ、プランニングに参加するよう促される。

例えば、子供たちはカヌーを漕いでみたいとか、そりすべりが良いとかロッククライミングがやりたいとか希望を出すのだ。多少お金のかかる活動でも、自分達でやりたいと言った目的を果たすためには、自分達で資金を集める努力もしなさい、ということだ。当たり前といえば当たり前である。多分こうやって育てられた子たちは、年頃になってから、親に車を買ってくれ、などとはおそらく言わないだろう。

息子がスカウトでキャンプに行くと、地図を見たり暗号を解きながら、目的のポイントを通過してゴールにたどりつく、というタイプのオリエンテーリングをしたりする。もちろん、斧で安全に薪を割ったり、火を起こしたり、救急救命のようなサバイバルスキルも習ってくる。やんちゃ坊主もいれば、恥ずかしがりやだったり、学習障害や身体的障害のある子や、小麦アレルギーの子、豚肉を食べないイスラム教の家の子、うちの息子のように喘息のある子、そして女子でも男子でもない子、トランスセクシュアル(生後登録された性別とは異なる性別)の子などなど、実に多種多様なのが、現在のスカウトなのだ。

だから、先程の表彰式での話に戻るが、スカウトで大事なのは、いかに上手にパブリックスピーチができるかとか、立派なプレゼンテーションができるかということではない。「ここなら失敗しても、仲間がいて、皆が受け入れてくれるから安心」というコミュニティの雰囲気を子供たちが感じとり、そのなかで生き生きと個性を発揮しながら、同時に多様な仲間と協力をしていくことができるかどうかだ。そして、それはそういう環境を築いていくリーダーや保護者、スカウト活動を支援してくれる社会にかかっている。

"It takes a village to raise a child." ー「子供の育成に必要なのは村全体」とでも訳すればいいだろうか。様々な身体的特徴や障害、宗教や性的アイデンティティの人々が、お互いをリスペクトして、安心して一緒に暮らせるようになるためには、大人が柔軟でいなければならないなあ、とカナダのティーンに教えてもらった。


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