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初夏の音色

1週間ほど前から、夜、蛙の合唱が聞こえて来る。波のように遠く、近く。

子供の頃はこの辺も水田が広がっていて、早朝、朝露が降りる頃、おたまじゃくしから進化したばかりの小さな蛙たちが、田んぼからぴょんぴょん飛び出て道に群れをなしていたな。蛙が苦手な友達は恐怖で引きつっていたっけ。

水が張った田んぼを渡る風は涼しい。稲の、ちょっと香ばしいような草のかおりも運んで来る。夜になると蛙の大合唱でうるさいくらい。親の目を気にしつつ続ける長電話の向こう側でも盛大に鳴いていた。そうだ、彼女の家は田んぼのまん真ん中に建っていた。

後継者がいなくなったのか、減反政策か、税金対策なのか、だんだんと宅地になってしまった。今は始めからそこにあったように、オシャレでピカピカの家が立ち並んでいる。

そう、うちの周りにはもう水田がないはずなのに、この蛙の大合唱は何処から聞こえて来るのかな?
ふと気になってベランダに出てみた。東からではない。南からでもない。耳をすますと西から聞こえる。

ああそうだ、あの地域にはまだ水田が残っている。去年、市場に野菜を買いに行ったとき、自転車で通った道の両脇には青々とした水田が広がっていたっけ。

うちからかなり離れているけれど、きっと風に乗ってくるんだろう。

蛙の合唱を聞いていると気持ちが安らぐ。落ち着く。癒される。何故だろう。守られていた子供時代を思い出すからかな。

昨夜は窓を開け、しとしと降る雨音と蛙の声を聞いていた。
と、夜の空を駆け抜ける鳴き声。
ホトトギスだ。

ある夜を思い出す。ちょうど今頃だった。

両親が健在で、認知症が進んでいたとはいえ、一緒に住んでいた頃。わたしの部屋の真下がお茶の間で、いつも両親の気配がしていた。話し声、笑い声。それこそ朝から晩まで一日中付けっ放しにしているテレビの音。咳の音、衣擦れ。両親がとりあえず元気で生きている、可愛らしい気配。それが時には煩わしいと感じることもあった。

その夜は、初夏の開放的な陽気に誘われて窓を開け放して、冷んやり涼しい夜の空気の中にいた。暗い庭の茂みからはジーという虫の音。遠くから近づいて来る何かの声。

何だろう、と耳をすます。と、ホトトギスが夜の空を駆け抜けて行った。蛙の合唱と同じように、何故だか癒しのその鳴き声。そして、階下からはいつものように両親の気配。

その時、泣きたくなるような、切ない切ない気持ちになった。平和な夜の一瞬。ああこの一瞬。今この時、胸に刻みつけておくべき一瞬だ。今この瞬間は再びない。ちゃんと受け止め噛みしめる時間だ。取り返しのつかない、人生でとても重要な一瞬のように思えて、深くふかく胸に刻んだ。

ああこれは、ちゃんと感じなくちゃいけない瞬間だ。それをしなければ後悔する大切なときだ。

きっと、認知症が進む両親との関係が変わっていくこと、離れ離れになること、この平和な状態が長くは続かないことをきっと感じていたのだと思う。

ボケていても、煩わしくても、親が元気で生きていて、一緒に住んでいる。何と贅沢でかけがえのない時間だったんだろうと、今は思う。

父は今年の桜祭りの日に逝ってしまった。母は施設に入居している。

時おり思い出す。母がだらしなく寝っ転がったまま、「おとーさーーん」と呼ぶ。父がどこかからか、「なーーにーーー?」と答える。

そこにあった、本質。

なんでもっと、優しく出来なかったんだろう。なんでちゃんと、両親からの愛を受け止められなかったんだろう。わたしが望んだ形とは違っていても、親の想いに違いはなかったのに。

きっと毎年思い出すだろう。ジーと虫がなく頃に。蛙の大合唱が聞こえる頃に。ホトトギスが空を駆け抜ける夜に。もう二度と戻れないあの平和な時間を。



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