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10代の憂鬱は、小説が晴らしてくれた

趣味を聞かれて「読書です」と答えると、なんだかシラけた空気が漂うのを感じるのは僕だけだろうか。大体の反応が「へーっ」で、あとは「真面目なんだね」とかよくわからないことを言われて会話が終了する。
そういえば就職活動でOB訪問した際に「エントリーシートでは突っ込みたくなること書かなきゃダメだよ」と主張する広告代理店のイケ好かない若手に、「読書」を「少女漫画を読んでときめく事」と書き換えられたことがあった。
まあそういうもんかと思って色んなエントリーシートにそれを書いたけれど、誰も突っ込んでくれなかったなあ。
僕は地味な見た目であまり喋る方ではないから、気味が悪いやつだと思われていたかもしれない。

30を手前にしてようやくサラリーマンの処世術みたいなものが身についてきて、趣味を聞かれても話が広がりやすいものを抵抗なく答えたり、読書というにも「自分の名前の由来が作家でして」みたいなことを付け加えたりできるようになってきた。本当にごく最近のことだ。
取り繕ったり嘘をついたりするのは嫌だという無駄に頑固なポリシーがあって、それに引っ張られて相手の質問に上手い返しができない、自分で自分の首を絞めてしまうようなところが僕にはあった。人とのコミュニケーションが苦手だった。
特に10代は、かなりの不器用具合だった。


就職活動をするよりもっと前、あれは確か僕が中学2年生のときのことだ。
13歳とか14歳そこらの僕は、いわゆる中二病真っ盛りの時期だ。
人の視線や発言の一つ一つがいちいち気になって、ダサいと思われたくない、少しでも良く思われたいという気持ちに覆い尽くされていた。
そしてそんな自意識の高さがあまりにも行き過ぎた結果、なぜ人間は生きているのだという根源的な問いに悩まされたり、映画マトリックスを観た後には僕が生きているこの世界はひょっとすると妄想なのかもしれないと怖がったりしていた。
全く時間の無駄遣いな気がするけど、当時の僕は必死だったのである。

そういう訳のわからない思考回路に陥っていたのも、日常生活がうまくいっていなかったからだ。苦手な先生が多かった小学校を卒業して、中学に進学すれば何か変わるかもと期待していた僕を待ち受けていたのは、あまりにも退屈な日常だった。
心が通うような先生は1人もいなくて、授業はつまらなくて、入ったサッカー部は地区で1番弱くて、態度や標的がコロコロ変わる友だちは誰を信じたら良いのかわからなくて、ドラマで観るような恋愛や喧嘩が始まる気配もなかった。
常にひたすら孤独な気分だった、あの頃は。



学年が一つ上がって2年生になっても、何も変化はなかった。
むしろ学級委員になったり、受験に向けて内申がよくないとダメだけど運動神経が悪くて手先が不器用だから自分は厳しいかもしれないと気になったり、憂鬱になる要素が増えていた。
しかも人に対する言動はけっこうアグレッシブだったので、友だちと「お前とは絶交だ」的なハードな喧嘩を何人かとしてしまっていた。心を通わせられる友だちを作るどころか、口を聞けなくなるクラスメイトを増やすような、阿呆なことをしていた。
思い出すだけでも、暗澹たる気分になってくる。

2年生になって数ヶ月経って1学期の終わり。
暑くなってプールの授業が始まり、思春期なのにガリガリに痩せてることをイジられるのに不満を溜めまくって爆発寸前になった頃、ようやく夏休みに突入して学校に行かなくて済むようになった。有り難かった。

夏休みに入って早々、家でダラダラしてたときに母親から掛けられた言葉を、朧げながら覚えている。
「あんたね、中学2年生の夏休みって本当に貴重な時期だよ。いろんなことに触れて、とにかく充実させなさいよ」
はー、そうだねとか適当に僕は相槌を打った。
そして手始めとばかりに、母親はこれを絶対読みなさいと、宮部みゆきさんの「ブレイブ・ストーリー」を渡してきた。
その頃から読書に対しては抵抗がなかったため、上下巻の長編を言われるがままに少しずつ読み進めた。



ブレイブ・ストーリーは、平凡な小学五年生の亘が主人公。
ある日突然父親が恋人を作って家を出て行ってしまい、その恋人と対決したり、母親が自殺未遂したり、困難なこととたくさん直面する。
運命を変えるために、亘は異世界を冒険することになる、というのが簡単なあらすじだ。

僕は、読みながら亘を自分と重ね合わせた。
そこまで自分の状況は大変ではなかったかもしれないけれど、鬱々とした気分が晴れなくて前が見えないのは亘と同じだった。
そんな亘が、勇気を手に入れて逞しくなっていく様に釘付けになった。

全部を読み終えた僕は、いろんなことを考えた。
この主人公のように、日常を破壊するような困難なことに直面することも、異世界に飛んでいってしまうことも、僕の生活のなかではきっと起こらないだろう。ちょっとでも、そんなことが起きることは期待したいけれども。
退屈で憂鬱な毎日は終わることがなくて、明日も弱小サッカー部の練習に一応行かなければならなくて、夏休みが終われば学校に行かないといけない。あんまり好きじゃない先生やクラスメイトとも過ごさないといけないし、またプールの授業もある。考えれば考えるほど、嫌なことで頭の中が覆い尽くされていく。

だけども、ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけ、それでも前を向いてみるか、という気にはなっていた。
嫌だなと思って目を瞑ってしまうのではなくて、薄らとで良いから目を開けて向き合ってみようと。
かなり些細なことで僕以外は誰も覚えていないと思うけれど、その後の夏休み期間中にあったサッカー部の練習試合で、僕は初めて苦手なヘディングで点を決めた。
あれは、亘の生き様を読んで主人公モードにになっていたお陰だ。思い切ってボールに頭から突っ込んだ。
そんな小さなことで前向きになったり、やっぱり根本的な問題は解決されてないから憂鬱な気分になって後ろ向きになったり、その繰り返しだったけれど、夏休みが空けてしばらくしてから何でも話せる友だちができた。
偶然のタイミングだと思うけれど、ブレイブ・ストーリーに引っ張られて、ほんのすこしだけ自分の気持ちが変わったおかげな気がする。



その後の人生でも、僕のことを要所要所で救ってくれたのは、ブレイブ・ストーリーのような小説であり、亘のような主人公だった。
僕にとっての読書は、生きていく上で欠かせないものなのだ。趣味以上のものだと言える。
だからこそ、就職活動の過程や大人の会話の中でそれを否定されるのは、結構傷ついた。

だけど、社会人になって数年経ったタイミングで読んだ小説「神様のカルテ」で、こんな文章と出会った。

「ヒトは、一生のうちで一個の人生しか生きられない。 しかし本は、 また別の人生があることを我々に教えてくれる。たくさんの小説を読めばたくさんの人生を体験できる。 そうするとたくさんの人の気持ちもわかるようになる」

「困っている人の話、怒っている人の話、 悲しんでいる人の話、喜んでいる人の話、 そういう話をいっぱい読む。すると、少しずつだが、そういう人々の気持ちがわかるようになる」

「優しい人間になれる ・・・優しさは弱さではない。相手が何を考えているのか、考える力を 『優しさ』 と言うのです」

この文章を読んだとき、僕は大いに救われた。
ああ、間違ってなかったな、と思った。
周りの変な反応に慣れすぎて、僕自身も読書に対して微妙な感情が生まれてきてしまっていたところもあった。
だけどこうやって小説が言葉にしてくれたお陰で、僕は自分の大切なものに、自分の人生に自信が持てるようになった。
小説が好きで、小説に救われる人生は、ヘーっとか真面目だねとかそういうことじゃない。
僕はそういう人生を送ってこれて、よかった。
この人生が好きだ。



今の10代の子たちには夏休みのような機会に、夏休みでなくてもいいけれど、できれば少しでも物語に触れて欲しいと思う。
きっと肩透かしを喰らうこともあるけれど、出会った物語は自分の日常をちょっとだけ変えてくれたり、数年経ってからなにかを気づかせてくれたりするものも多い。

日々感じているモヤモヤは明日もきっと心に残ってしまうとは思うけれど、ほんの少しだけモヤが晴れるかもしれない。少しでもキラキラしたいのは人間なら当然だし、ひょっとしたらそれに近づけるかもしれない。
小説を読むとは、そういうことだ。


決意の朝に / Aqua Timez

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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