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どこかで嗅いだことがある

新刊の「school girl」九段理江 を読んでいた。直近の芥川賞にノミネートした本なのに簡単に予約が取れた、図書館本。図書館に入った日付と予約人数を考えると、多分私が2番目くらいだと思う。

中編が2つ入っているのだが、1篇目を読み終わり、本を閉じるその瞬間、どこか懐かしい匂いが香った。紙のぬくもりを感じさせるような優しい香りではない。化学物質をも感じさせるような鼻に抜ける匂いで、この本がどこかの工場からやってきたことを思い出させる。けれど不思議と爽やかで、人工の中に森を感じさせるような印象だ。総じて、いい匂い、という言葉がしっくりくる。

本を顔の前に近づけ、開いては閉じ、開いては閉じ、を繰り返すうちに、これと全く同じ匂いを確かに嗅いだことがある、と確信した。その匂いと共にあった、何かを勉強しているイメージが蘇ってくる。

これを昔どこで嗅いだのか。長いこと眠っていた記憶をたたき起こして、ひっくり返す。勉強なんだから、どこかで使った教材だろう。教科書かノートか問題集か資料集か単語帳、あたりだろうか。たまに使った、塾の本棚に並んでいたワークかもしれない。

とりあえず、家に残っていた中高の教材を全部嗅いでみたが、どれも違う。彼らは工場を出てから短くとも4年はたっているから、紙の匂いもほとんど抜けている。無臭。それにがっかりする日がくるとは思っていなかった。

中学時代使っていた教材、高校時代使っていた教材を、できる限り丁寧に思い返してみる。高校受験前の新研究、英語の長文をひたすら解いた塾のワーク、高校で週1テストがあった英単語帳、何回やってもできるようになれなかった数学の問題集…。どれも違う。きっとあの時も、勉強の合間に、ああいい匂いだ、と思ったに違いないのだ。

何度も何度も何度も何度も、school girlの匂いを嗅ぐ。毎回、記憶のどこかを刺激してくる。確実に。だが、どこを刺激しているのかが分からない。気になって気になって仕方がない。こればっかりはネットで調べようが誰に聞こうが絶対に分からない。答えは自分で見つけるしかないのだ。

記憶を探り探りしていると、自分がこれまで「勉強が本分」の立場しか経験したことがないことに気付く。大学生だから、当たり前なんだけど。小学校入学から今まで、時期により程度の差こそあれ、ずっと勉強をしてきた。いろんな教材に触れ、あるものはボロボロになるまで使い込み、あるものはほとんど使わないまま捨てた。そのうち思い出深いものは、まだ、実家の押し入れで毎日生きている。日々、匂いを薄めながら。

視覚はしょっちゅうデジャヴュを起こす。聴覚も、受験期に聞いていた曲を聞くと心臓が縮こまるような不安感を思い出すし、味覚も、昔好きだったボーロなんかを食べると安心する。
嗅覚が記憶を呼び起こす、というのは意外と初めてだったかもしれない。

この先、この匂いをまたどこかで嗅ぐことがあったら。きっと今日のことを思い出す。school girlがどんなお話だったか、それを読んだときどんなことを思いながら生きていたのか。そしてまた、どんな匂いだったかも、それついてnoteを書いたことも。そうして思いをはせるだろう。あのとき思い出せなかった、過去に同じ匂いを放っていた教材について。いつか思い出せる日が来るといい。

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