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黒澤清『蛇の道』 - 裁きのウロボロス

1997 - 1998年の、キレた黒澤清にハマった人の記録シリーズ。

「あらすじ」「紹介(ネタバレなし)」「感想(ネタバレあり)」の3セクションで綴っていきます。


あらすじ

幼女誘拐殺人…。娘を殺された宮下(香川照之)は、謎の男、新島(哀川翔)の協力を得ることによって復讐を実現しようとしていた。容疑者を次々に拉致し、拷問まがいのやり方で事の真相を問いただしていく……。

Prime Videoより一部改変
楽しそう()

紹介(ネタバレなし)

緊張感というより、無機質な不穏を張り詰めさせたような90分。こんな奴らと絶対関わりあいたくない、同じ空間にいたくない。そんなシーンが車中、廃工場といった乾いた風景のなか反復・展開し続ける。居心地の悪さの演出力が異常なまでに研ぎ澄まされている生理的サイコ・ホラー(?)。どう考えても「それは無理があるやろ」って展開が、黒澤清の映画力学によって強制進行していく。このひとのエッセンスが凝縮されていると思う逸品。人間関係の排水溝。異常空間へようこそ。


メインキャストは若かりし頃の「香川照之」(33)、そして哀川翔(37)。この哀川翔の存在感が凄まじい。自分は世代上バラエティでの印象が強かったため、この映画にはひたすら面食らってしまった。

なにより、『リング』などを手掛けた名脚本家「高橋洋」による物語自体が良く出来ている。展開の強引さは理不尽・不条理という味だ。それぞれのシーンは巧みな反復によって生理的不快感を煽り、ストーリーのアクセルを演出する。

オススメするには人としてのモラルを疑われるシーンの嵐である。だけど、同じ廃工場モチーフとしてタランティーノの『レザボア・ドッグス』を観るような気持ちで勧めたい。そちらにあるスタイリッシュさを、人間の闇鍋に放り込んでグデグデに蒸発させるとこんなことになる。多分。

今だと、Prime Videoより「Cinema Collection by KADOKAWA」に加入すると観れる(無料体験あり)。個人的にはトレイラーも見ずに突っ込んでほしい。




感想(ネタバレあり)

「これからこうなる。だとしたら、続きはどうなる?」

黒澤清『蛇の道』

この無機質なセリフに、あまりに杜撰な拉致監禁と歪な復讐劇はだいたい象徴されている。話の進行に倫理や妥当性はない。俗にいえば「ご都合」で進んでいるんだけど、そのご都合を「新島」こと哀川翔の死神みたいな存在感と説得力だけで強制突破している。

自動車はこの作品の主要イメージだ。この死神と車で相席してしまった登場人物は、誰一人としてもう逃れられない。それが「これからこうなる」。各々は各々の死までに生贄を差し出すことで──「だとしたら」──展開を繋いでいく。「続きはどうなる?」。最悪だ。

裁かれるべき人間たちが互いに犠牲者を差し出していき、最終的には断罪主たる宮下までが裁かれるべき人間だった。その構図はさながら裁きのウロボロス、蛇の道。

・・・・・・・

■具合が悪くなってくるシーンのオンパレード

とか書いてみると何だかカッコイイけど、実際は頭がおかしくなるような光景に包まれたシンプル・ヤベー映画である。

監督の発言がこの作品の理不尽さをすべて言い表している。

「平和な、悪い人は誰もいない、やくざもみんな間抜けでいい人という物語世界には、僕自身もう飽き飽きしていました。
端的にいうと、もっと人が死なないと困る、もっと暴力的でありたい、もっと悲惨でありたい、後戻りできない状況に主人公を追い込みたい
そういう思いがどんどん強くなりました。」

『黒澤清の映画術』※1

思い出しながらシーンごとに書きだそう。

地べたに落とされたパスタを手錠に捕まれながら食べる男、の後ろで溶接作業をしている哀川翔、の後ろで発砲練習している香川照之。どんなに熱にうかされても出てこないだろう構図。ギリシャ絵画かな?なんだよこの団子三兄弟。

ゴルフ場から連なるシーンもヤバい。神に導かれるように1人になるボス。あまりにテキトーなコメットさんとの攻防・逃走シーン。工場で謎の人間関係トライアングルが発生しての会話劇──と、マジで何を見せられてるか混乱するし、変な笑いが漏れてくる。ヤケクソの宮下、疲弊した大槻に対して、威厳たっぷりに君臨する桧山が盤上の力関係を変えていく。

「お前は俺んところでよく働いてくれたよ。感謝してる。」
「そう──・・・ですよね。」
「あぁ。お前が俺を売る訳ないよな「そうですよね(食い気味)。」
「桧山さん……それはちょっと話が違うんじゃないっすか?」
「そうか。大槻。お前か、絵かいた(計画たてた)の。」
「……違いますよぉ!俺はあいつらに連れてこられて……ッ……大変だったんスよぉ!!!(迫真)」

サスペンスにはシュールすぎる迫真シーン。何の映画なんだ。


あまりにもキマりすぎている哀川翔と構図

手錠を解かれたヤクザ2人が「あんたらも決着をつけろ。連れてくのはどっちか一人だ」と拳銃を渡されて、まず新島を撃たないのはどう考えてもおかしい。おかしいけど、その前の立ち絵がクールすぎて納得してしまう。完全に人知を超えた存在として佇んでいてすごい。撃たれないのは「新島(哀川翔)だから」としか言えない。


黒澤清が映す車、乗りたくなさすぎる

有賀(翁華栄)は本当に損な役回りをしているがゆえにこの映画のシュールさを極限まで高めている。世界一最悪な助手席に彼はいる。高橋洋のセリフ回しが天才的。

新島「アイツはアンタを殺す気だ・・・!俺の言うとおりにしろ。アンタは有賀じゃない。分かったな」
コクッ・・・
(中略)
宮下「有 賀 は ど こ に い る」
新島「電話しろよ。持ってんだろ携帯。」
有賀「・・・ない。でも有賀は留守だと思う。」
新島「そうか。"有賀は留守"か。」
有賀「・・・あぁ。"有賀は留守"だ。」
新島「じゃあアンタは誰だ」
有賀「へ?」
新島「誰なんだ」

有賀「・・・誰・・かなぁ?激苦笑」

沈   黙

宮下「ッハァーwwwハッハッハッハッwww、ハハ―ハッ

死 体 遺 棄

キレすぎ。すごいよこの映画。


いつのまにか宮下も新島に怯えている。教室に訪れて「オレ逃げなかっただろ?アンタ命の恩人だからさ……」とアピールするシーン。帰る、と思いきや急に距離を詰めて、握手までしてくる。やたら何度も振りかえっては一人勝手に手を振ってくる。思わず引いてしまう他者の演技・演出が冴えすぎていてる。この手のウワッて感じを錬成する巨匠、イヤすぎる。44


そして観る者全員の記憶に残るだろう「俺の娘だ。ここで殺された。」を無限反復しながら始まる銃撃戦。異常空間すぎて痺れる。この作品でいちばん人間性を伺えるのがコメットさんとその弟による数分にも満たない何気ない所作であることがニクい。

エンディング。3人の死体に目もくれず「なんで俺だけにこんな仕打ち……」と言いのける宮下に、新島は「アンタが一番きらいだ」と言いはなつ。この手の人間(宮下)への嫌悪感からくる全てでもって、脚本家はこの話を捻りだしたんじゃないかと思う。どこまで最悪のラストを迎えさせられるかの試行。

この最後の香川照之もすごい。自分には、この人もそういう嗜好を持った人で、極限状態でわが子ですらその対象として見てしまった……そんな表情に見える。が、ともかく「すごい」としか言えない顔をしている。どうやら脚本には「狂う」とだけ書いてあり、あとは香川照之に演技を任せたそうだ※1。すごい。

・・・・・・・

■ラストシーンについて

ラストシーンは『蛇の道』というタイトルどおり輪廻を表しているとか考察されているが、そこは正直どうでもいい。数式と世界がどうの話もあまり興味がない。重要なのはこっちだろうと個人的には思う。

「アンタが一番きらいだ」
これは宮下に向けたセリフだ。

最後。

「アンタも興味あんの?」
このセリフは観客に向けたものでもある。宮下の視線によって投げ返され、新山の視線に観客が囚われるように出来てる。

本作は、怖い、気持ち悪い……いや、「具合が悪くなりそう」な感覚を謎の情熱で映し出し続けている。そんな映像(本作)に対して、アンタもこういう話に興味があんのか?死神が画面外の観測者にまで問いかけてきて映画は終わる。「次はお前か?」。そんなメタ超越的なホラー風エンドに自分は感じる。


・・・にしてもこのエンディングテーマは場違いで大嫌いだ!苦笑。無音でいいよ。これ以外は無茶苦茶なところ含めて傑作だと思う。


注釈・関連作、次作

※1. 『黒澤清の映画術』
黒澤清は作品についての書籍が多いので、探すと色々ガイドブックを手にすることが出来る。本書はインタビュアーによって監督自身がそのキャリアを振り返っていく、半自伝、兼その映画作成思考が記された解体新書。3章くらいから今回作品群が話題になってきます。


関連作:クエンティン・タランティーノ『レザボア・ドッグス』
せまい倉庫を舞台に、ヤベー奴らとシラフの奴らが絡み合って、殺伐と日常が交差しながら話が進んでいくあたり、思い起こさずにいられない一作。だけども先述のとおり、清×洋はグデグデにそのスタイリッシュさを腐食させた。ラストシーンの感触は『クリーピー』を思い出したり。ちなみに黒澤清はタランティーノについて正統派でないとしつつも基本絶賛している(一方ハネケとトリアーは嫌っている。この辺の差異は次3作を見ていくと納得できる)。


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