見出し画像

◎とりあえずは魔法の呪文?





まさかこんな日がくると思っていなかった。



--------------------------------


娘が4月から運よく疾病要件で認可保育園に通うことになり早2か月

なんとわたしは6月から社会復帰をしている

全国的に見ても倍率の高い1歳児クラスに入れたことさえ奇跡に近いのだが、わたしが働き出してるなんて、一年前には想像もつかなかったであろう

--------------------------------


「とりあえず」という言葉が好きではなかった


なんか、軽い感じがして
この言葉の責任感が感じられなくて
自分を過剰に守っている言葉のような気がして

だけど、「とりあえず」とよく言われた一年だった


「とりあえず」途中入園狙いで保育園申し込んでおきましょう
「とりあえず」来年度の分も保育園申し込んでおきましょう
「とりあえず」通える範囲の保育園、全部希望欄に書きましょう
「とりあえず」睡眠は必要だから自力で眠れるかもしれないけど眠剤飲んでおきましょう
「とりあえず」対人関係に不安があるならカウンセリング受けてみては?
「とりあえず」良さげな職場があったらすべてエントリー、書類・面接の準備しましょう
「とりあえず」不安なときは相談しましょう
「とりあえず」できること(やりたいこと)はやってみましょう



始めは腑に落ちないまま、まわりの言葉をただ信じ、「とりあえず」という魔法の言葉を呪文のように唱えながらここまでやってきた

この「とりあえず」は、適当に、軽はずみに選んだ言葉ではないということは理解ができた

この「とりあえず」と言ってくれた方たちは【もしそれでダメだったときはその時一緒に考えましょう】までがセットだから


--------------------------------

「とりあえず」というのは物事を始めるにあたってのきっかけのひとつであり、この言葉を使うことによって自分のなかにある越えたいハードルをギリギリ越えやすそうなハードルに下げることができる

常に高めのハードルを設置しがちなわたしにとって、「とりあえず」という言葉は自分を守るうえで必要な言葉であった

起こってもないことを頭の中でいくつも想像して身動きが取れなくなってしまいがちなわたしにとって、必要な言葉だったからまわりにたくさん「とりあえず」と言われた一年だったのかもしれない

「とりあえず」ってそんなに悪い言葉でもないんだな

ここまできてようやくたくさんの「とりあえず」に支えられてやってきたなあ、と実感する


--------------------------------

そしてわたしは「とりあえず」去年の年末からカウンセリングに通い始めた


カウンセリングに通いだして半年、色んな価値観や人との距離感を学び、気付き、自覚し、時にはしんどい時間を過ごしながら、生きづらいと感じてしんどかった「何か」が減っていくような、今まで背負ってきた荷物が少しずつ軽くなっていくような感覚がある


今、仕事を始めてみて「今までと何か違う」という感覚が実際にある

先月カウンセリングに行ったときに、先生から仕事の価値観・概念を修正していただいたことが今のこの感覚に繋がっているのかもしれない

わたしには(かなり)偏った思考のクセがある
このクセは、今まで無意識に自分を守ってきた考え方であるはずなのだが、
最終的にはなぜか自分の首を絞めることになってしまってしんどくなる
というパターンに陥ることが多い

自分を守るためにしてきた考え方が自分の生きづらさをつくってしまった


そういう考え方をしなければ自分を保てなかった、守れなかったという事実を認め、
新しい概念や価値観・考え方を自分なりに解釈して自分の中に落とし込むというような作業を半年間やってきた

自覚の大事さを痛感する


自覚するというのは一見簡単なようであるが、
その事柄を拒否(否定・認めたくない)したくなることももちろんあって
自分の中で葛藤し、もがいて未だに自覚には至らず
そっと置いてある事柄もある

自分の仕事のスタイルが常に一生懸命で、全力で、
お給料をいただいているのだからそれ相応の、
もしくはそれ以上の成果をだしたい
最初からできるやつ・使えるやつだと思われたい
頼りにしてほしい

正社員・パートに問わず
仕事に自分の価値を見出したくてこの思考になっていた

だって、今までのわたしには仕事しか逃げ道がなかったから
家に帰っても息が詰まってしんどかったし
家に自分の居場所なんてなかったから
働いていたら親から文句を言われることもないし
職場の人たちは居てくれるだけで助かると言ってくれるし
当時のわたしは仕事で自分を求められることが
自分の価値を認められている気がしてうれしくて承認欲求も満たされた
それに頑張ってる自分が好きだったから、さ


こんなわたしを利用するかのように
上司や同僚たちは、まだできるだろう、
あれもできたからこれもできるだろう、
そんな感じで求められることがどんどん増えて、
過去の自分を乗り越えることが厳しくなってきていて
さらには、うちのチームの誰かがミスをしたらすべてわたしの責任で


常に全力の120%、むしろそれ以上の力で息を切らしながら仕事をしていたのに
まわりはそのことに気付いてくれなくて
でもわたしはただただ期待に応えたくて



振り返れば本当にいっぱいいっぱいだった
まわりも自分も気付かないくらいに何かが壊れていた

でもそれが仕事だと思っていた
それぐらい抱え込むことが普通のことだと思っていた
責任者として当然なんだと思っていた

だから自分の身体のSOSに気付かないふりをして走り続けた



だってまだ頑張れるのに頑張らないのっておかしいじゃない
60-70%の力で頑張るってそんなのただのサボりじゃない



--------------------------------


わたしの好きなドラマにこんなセリフがある

わたしが頑張るからダメなのか、頑張り方が間違っているのか、
もう何が何だか分からなくなっちゃって

正直今でも頑張るのが怖くて
手を抜けるところは抜いてるんです
もう頑張って傷つくのが怖くて

でも 寂しいんですよね
何かを頑張ろうとする気持ちを抑える日が来るなんて思わなかったし、
頑張らなくていい方を選択したこともなかったんで
こんなはずじゃないのになって

コントが始まる・日本テレビより


当時、このドラマを見ていたわたしはメンタルをやってしまってから
コロナが落ち着き、そろそろ働きに出ようかと
過去に働いていた飲食チェーン店でパートを始めたころだった

パートの方との年齢差があり、子持ちでもなかったので
お互いの共通話題がないから距離が縮まるわけもなく
もっとこうしたらいいのにと思うことはあったけれど
経験者とはいえ、安易に口出しすることもできず
つかず離れず、やるべきことを最小限で働いていた

それはそれはなんにも面白くなくて
ただ業務をこなすためだけの日々がしんどくて
でも頑張ってしまってまた動けなくなったら?
ドラマのセリフのようにわたしも頑張ることが怖くなってしまっていた


--------------------------------

娘の存在


とはいえ、ひとというのは簡単に変われるわけもなく
仕事が育児に変われど、またあの全力感が戻ってきたわけである


そしてまた心身ともに壊れていくのである

でも、あの頃と違うのは


「娘」がいるということ

絶対に守らなければいけない存在がいるということ


つまり、わたしが倒れている暇などないわけである
というか、倒れちゃいけない

倒れる前に回避できることはしていかなければならない

どうすればしんどくなる前に回避できるのか?

各々の専門の方に相談しよう
つながりを保っておこう


わたしが変わりたいと思うきっかけに娘の存在がとても大きかった


わたしのように生きづらい思いをしてほしくない
何か相談をしてくれた時にいろんな視点で話をしたい


とにかく娘にわたしが今まで抱いてきた負の感情を味わせたくなかった


--------------------------------



これまでのカウンセリングを通して
わたしにとって仕事も育児も対人関係も
すべての物事(事柄)には距離感が大事であることを学んだ

何事も近すぎると視野が狭くなってしまったり、ぼやけてしまう
わたしはその距離感を保つことが苦手である
近すぎるとしんどくなり、遠すぎると孤独感を感じてしまう
(非常にめんどくさいやつである)


程よい距離感、というものは感覚的なものだからひとによって違うのだけれど
自分は距離感が必要な人間だと自覚することで
しんどいときは自分からちょっとでも離れることができる
そうすれば以前のように自分が壊れることはないだろう

娘を介して色んなタイプの人間に出逢うことになったのも大きい


距離感が近いと自分のことのように感じて
自分ならこうするのになんで・・・
と思ってしまってぐちぐち言っていたものが
今では「ふーん」程度
これは決して冷たい感じではなく
「貴方がそうしたいならそれでいいんじゃない?」
「わたしならこうすると思うけどわたしの人生じゃないしね」
というように距離感を保って接した結果の言葉選び
冷たい言葉に捉えられることもあるだろうけど
わたしのなかでは【優しさ】に分類する言葉であって
この言葉を言ったあとは大抵はダメな時はまた一緒に考えようぜ、いつでも話聞くからさ、が続く

そうやってると自分がすごく楽なんだ

わたしは感情移入しやすいタイプで、
距離が近い人に相談を持ち掛けられたら自分のことそっちのけでそのことばかり考えてしまう
さらにはこれまでひとのために!という、ひとによっては
有難迷惑であろう正義感を振りかざしまくっていたので
わたしのふつうがだれかのふつうではないことに気付いたことは
わたしのこれからの対人関係で重要なことだった

これらに気付いて意識をしてからは、他人にこころをかき乱されることはなくなった
過去に対人関係でトラブルになったこともあったけれど今はない
ただ、身内に関してはこころを乱されまくっていて距離感のバグに適応しきれていないことが多々あるのでそこは課題として残っている
こればっかりは仕方のないことではあるのだけれど
すぐにどうこうできる話でもなさそうだったので保留にしている


--------------------------------


「とりあえず」始めてみた就活


仕事を始めることが怖かったけれど、主治医とハローワークの「とりあえず」に後押しされて就活を始めた

今回面接を数回経験して改めて自分の職歴を振り返った時、
自分は運がいいんだなと思った
仕事を辞めたことも辞めたあとから次の職場までの空白期間も
直近で辞めた仕事の理由も詳細を言わずとも
「関東にきて体調崩した、結婚を機に辞めた」「体調整えてから働こうと思ったら情勢的に厳しかった」「働ける情勢になり、久々の社会復帰は経験したことのあるところで」「妊娠発覚、つわりがしんどくて辞めた」
で納得してもらえる

そして今、パートではあるものの、そこそこ倍率の高かった事務職への就職に成功した
一日の拘束時間は長いけれど、体を使わず仕事をすることが初めてなので
体力的な意味でのしんどさがなく驚いている
(すわりっぱなのでおしりと腰がちょい痛いかな程度)
飲食や調理をしている頃に比べると疲労感がまったく違う

先月のカウンセリングにて、仕事をするにあたり、先生と心身ともに壊れないようにするために約束をしたことがある

それは、

週末に娘と遊べる体力(余力)を残すこと


というのも、全力で仕事をしていたころは仕事から帰ってきてからも週末も寝たきりで過ごしていたからだ

そもそもそんな働き方、今できないから、寝てられないから
だから余力を残せる働き方をしましょう、と

こころが壊れてしまってから主治医に何事に対しても
60-70%くらいの力で取り組みましょうと何度か言われたことがある
それでもそのときは納得できなくて
でも先月のカウンセリングでの話を聞いてなるほど、と思った


60-70%で働くことは決してサボっているわけではないのだ
むしろ60-70%で働いて100点である
パート・正社員問わず、イレギュラーな対応をしなければならない場合もあるでしょう
そのときに初めて100%の力をだして
『今日は頑張ったァ』という感覚になる
逆に、体調が悪かったり娘のお迎え要請があった場合など何かしらの理由でいつも通り働けない日もある
それはダメなんかじゃなくてそういう日もあっていい
そういう日は0%にはならないけれどその数値に近い、普段よりは引くめの%で働くことになる
このように、毎日波があってトータルした時、平均60-70%(今のわたしの職場の立ち位置なら50%でもいい)くらいの力で仕事をすることが理想の仕事スタイルである

ということを仕事の概念として教えていただいた


だってわからないんだもの
頑張らなかったことなんて今までなかったのですから
自分の全力を常に出してきたわけだから
60-70%の力で働く、とは具体的にどれくらいの仕事量をこなすのかな、なんて想像もできなきゃその考え方自体が「?」で

先生が言うには、ひとによるものではあるし仕事内容にもよるけれど
大抵はパートであれば言われたことを言われた通りに決められた期日までにやれればそれは60-70%(100点)の仕事、らしい

むしろそれ以上やるとかえって迷惑になりかねないこともある
パートという立場であることを理解しなければならない
責任をおっていい立場では無いからわからなければ聞く、報連相など徹底しなければいけない

何より、仕事に自分の価値はない
ミスをしたとしても、指摘を受けたとしても
それはわたし個人を否定されているわけではない
仕事上の話であるということ
そして、自分のキャパが越えそうであれば「NO」と言っていい
数回のことでクビにはならないし
信頼度が下がるかと言われればそうでもない


それらを知って、理解をしてから今の仕事が始まったので
肩の力が抜けて仕事に向き合えたのか
今のところ人間関係も仕事内容としても
過去一スムーズに居心地よく働かせてもらってると感じている

数日働いてみてこう感じて
やっと、ようやく社会に戻れたと実感し安堵した


--------------------------------

「わたし、ちゃんと働けるんだ」



約5年間、長かった


ずっと不安だった


こころを壊し一時動けなくなり、ほとんど記憶にもないほどしんどかった日々
思うように身体を動かせず職場になじめず辛かった日々

25~30の5年間、周りは働いているのにわたしは動けなくて
夫のおかげで好きな事はさせてもらえたから、こころが再び壊れることはなかったけれど、それでも自分の存在意義を見出せず葛藤して
そんな時に来てくれた娘に生かされて、自分の人生を振り返る勇気をくれた
娘のために、と動き出したことではあるけれど
まわりまわって自分のためになっている

ここまで戻ってこれたことは自分の中でも大きくて
自分の行動力に驚きながらもなりたい自分に近づけていることもうれしくて
QOL向上を今年の目標として掲げていたけれど
今の見通しではそれが達成できそうでうれしい


働くってこういうことなんだ、と


身体を壊さず、程よく力抜いて仕事ってどうすればいいのかわからなくて
それならいっそ未経験業界のほうがやりやすいのかも、と事務職を選んだ自分をほめたい
たぶん、前職ならまた無理してた(苦笑)


--------------------------------


まだまだ始まったばかりでこれからどうなるかなんてものは分からないけれど
無事に社会復帰できたことがうれしい
なりたい自分に近づけたことが本当にうれしい


わたしの中ではこの5年間は「空白」に感じてしまって辛かった

でもやっと動き出した


わたしにも我が家にも「余裕」がうまれて
家の雰囲気が良くなった

我が家のスタイルも見つかった

どうやら我が家は各々で過ごす時間というのが必要なタイプみたいだ

娘が本当に毎日楽しそうで保育園に入れてよかったと思う


世の中には母性神話や3歳児神話などあって
わたしもそれらの神話に囚われていた時期もあったけど
いや、そんなことねぇな、と

自分の幼少期を振り返ってみても思うが
親にも好きな事をしてほしいし楽しそうにしてほしいよな、と

こころにもお金にも体力にも余裕がないと
何事も良い方向には進まないよな、と


わたしにとっては家族にも距離感が大事で
今、すべてがうまくいき始めている


ひとって変わるのか?カウンセリングで何が変わる?
集団療法で何が変わる?自覚ってそんなに大事?

1年前~半年前にそう思っていた自分へ


変われたよ
「とりあえず」と動いたことが家族と自分を救ったよ


頑張ったね

頑張ったよ

これからも「とりあえず」ぼちぼちやってみるよ

なりたい自分に向かって






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?