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持つものと持たざるもの

タイトルにこのように書くと、「お金」「地位」のようなイメージを持たれるかもしれないが、ここで言いたいのは「夢・やりたいこと」である。

神崎恵さんの本をやっと読了。購入してからすこし時間が経ってしまったけど読み始めたら夢中になり数時間で読み終えた。

いやー。たくさん感想も考えさせられらことも、心に留めておきたいこともたくさん!でもいまの私が思ったことはタイトルに書いたこれ。

私はずーっと「夢」「やりたいこと」「夢中になること」を探す続けている。これがある人が、持っている人が心底羨ましい。
ほんとうに。

みんなどのように見つけるんだろう。
見つけられる人はほんの数%とかそんな世界なんだろうか?
いやそんな少ないわけはないな。

どうやってみんな、出会い、見つけるのでしょうか。

切実に教えて!!!!!


私はこうやって、「夢」や「やりたいこと」を見つけられずに
「持たざるもの」としてしんでいくのでしょうか。

悔しい、羨ましい。

ひとに熱意を持って、もう相手が呆れちゃうくらい?圧倒されちゃうくらいの。相手に理解なんてされなくてもいい。「自分だけの」「夢」「やりたいこと」・・・・がほしくてほしくてたまらないのだ。

いつも何に夢中になって「持つもの」になっているひともいれば
ずっとわたしみたいなひともいるだろう。

なんの違いなのか。
性格?考え方?環境?いろんな経験をしたか否か?感性?
なんだってんだ!

もはやコンプレックスなんだぜ。

これはあれか、もう自分は「持たざるもの」なんだと
認め諦める領域なのか?
いやまだ人生は長いはずだが、これから見つかるのか?
今、今見つけたいんだ。
70代になってから絵画にハマるかもしれない。もちろんいいんだけど。
いいんだけどさ、今欲しいんだ。

ないものばかりに目が行く。
幸せに気がつけない。幸せが体をすり抜けていく。
ちゃんとわたしが目で見てこの手でつかまないと。

自分の物差しで測ったらほんとうに自分にはなにもない。
なにもないって前は泣けてたけど、もはや疲れてきた。
なにもないって思い続けてきて、疲れた。なんやねんそれ。
そんな形で「自分を認める、まるごと」ってちゃうやん。
そうじゃないわ。

「持たざるもの」気がついちゃったからにはスルーできない。
どうしていくの疲れた自分。

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