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おくりびとアカデミー代表:木村 光希さんインタビュー

三田駅から10分ほど、大通りから細い路地を抜けていく。その閑静な空間の先に、荘厳な建物が見えてくる。納棺士を育成する学校、おくりびとアカデミーだ。
今回は、記念すべき記事の第1回。おくりびとアカデミーの代表、木村光希さんにお話を伺ってきた。


|納棺士ごっこをして遊んでいた幼少時代画像1

【兄との一枚(木村さんは写真右)】

納棺士として活躍する父の背中を見て育ち、幼少の頃から遊びの一環として納棺の作法を学んできたという木村さん。

「自宅のリビングで、父が弟子に納棺の作法を伝授している姿を見ていて。自分と兄でよく納棺士ごっこをして遊んでいました(笑)」

納棺士の仕事は、まさに職人の仕事。
師弟関係を結び、弟子は師匠の背中を見て学ぶという。
そんな納棺士の仕事を、小さい頃から身近に感じていた。

と同時に、幼いながらも木村さんはこの教育方法に違和感を感じていた。

「納棺士は、人の死、という一生に一度、最期の時に寄り添う大切な職業なのに、教育方法があまりにも雑だなと思ってしまったんです。」

”作法も、マインドも見て学べ”という一方的な教育を疑問に思っていたという。


|ひいばあちゃんを送る父の姿を見て覚悟を決めた14歳


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【中学生時代の写真】

このように、納棺士の仕事を身近に感じながら過ごした幼少期だったが、木村さんが本格的に納棺士としてのキャリアを意識したのは、ある原体験がきっかけだった。

それは、中学二年生の時の出来事。初めて父が遺体を納棺する姿を見たことだった。

「ひいばあちゃんが亡くなって。その時にはじめて納棺士として故人に寄り添う父を見たんです。遺体をきれいにして、旅立ちの支をする父の姿を見て、男らしくてかっこいいと思いました。初めて、納棺士という職業を自分の道として意識した瞬間でした。」


|ヘディング、納棺、飲み会…!?の日々だった大学時代


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【サッカー部での写真】

一方で、木村さんを夢中にさせたものが、もう一つあった。

幼い頃からずっと続けてきたサッカーだ。

高校から大学に進学する際には、サッカーを続けるために強豪校に入り、サッカー部に入部した。

サッカー漬けだった木村さんが、大学2年生に進級し、自分のキャリアについて考え始めた時に一番初めに浮かんだのは、やはり納棺士として働く自分の姿だった。

故人の最期に寄り添う素敵な仕事だと感じた中学2年生の時の記憶とともに、父から掛けられた「こんなに他人に感謝をされる仕事は他にないぞ。」という言葉の影響が大きかった。

そして、今後高齢化社会が進んでいく上で、亡くなる方は増えてゆく、そんな時に自分が活躍できるフィールドとして、手に職をつけて人生を歩んでいく上でも、理想的な仕事だと感じていた。

そのような背景があり、21歳の時、大学に通いながら、父の知人の納棺士の専門会社でのキャリアをスタートした。

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「僕の学生生活は、ほぼヘディング、納棺、飲み会、(学校) で構成されていました(笑)
週6でサッカー部の練習、練習の後は車のトランクに詰めておいた黒いスーツに着替え納棺の仕事。その後は同じくトランクに詰めておいた私服に着替え飲み会に向かう…みたいな(笑)」

20代のうちから、毎日「死」を意識する環境に身を置いていた木村さん。

「人はいつか死ぬ…そんな紛れもない事実を、大学生のうちから身をもって感じていたからこそ、いつも生き急いでいたような気がします。「今」を充実させて生きることにフォーカスしていたので、毎日睡眠時間を削って必死に生きていました。」


|独立。きっかけは東南アジアでの技術指導

大学在学中に、父と共に映画『おくりびと』の技術指導を行った木村さん。

この作品は日本だけではなく、世界中で大ヒットし、「日本の納棺士」の存在を世界に知らしめるきっかけになった。

授業


【おくりびとアカデミーの授業風景】

2011年、当時23歳だった木村さんの元には、人材教育に携わって欲しいとの声が東南アジアの各国から寄せられた。中でも、父と共に渡った中国で行った研修がとても印象的だったそう。

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【海外技術指導の風景】


「海外での経験を通して、感じたことは大きく2つあります。1つがカリキュラムを作ることの重要性。そして、2つ目に日本の技術の素晴らしさです。」

「中国や韓国、台湾、香港などに出向いたのですが、技術を向上させる以前の課題として、納棺士としてのマインドセットの面、なぜ納棺士が存在しているのか、どのような気持ちでご遺体に向き合うべきか…など、日本にいたら、ことさら指導していないところから共有する必要があったのです。そのためにも、異なる文化に対しても共有できる、共通言語としてのカリキュラムが必要だという考えに至りました。

そして、他国の納棺の様子を見るにつれて気づいたことは、感情や想いを敏感に所作に移しこむ一つ一つの技術の素晴らしさは、日本特有のものだということです。この技術をより多くの人に伝えていきたいと思うようになりました。」

東南アジアでの技術指導を経て、納棺士の育成に興味を持った木村さんは、25歳の時に、
日本初の納棺士養成学校「おくりびとアカデミー」を設立することになる。


|故人のために働く納棺士を増やすために


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木村さんが課題を感じていたのは、教育の他にもう一つあり、それは日本の納棺士の働き方の構造にあった。

通常、納棺士は納棺・湯灌専門会社、葬儀社内、フリーランス、いずれかの形で活躍することが多いという。
そして、故人・故人のご遺族→葬儀会社→納棺士という仕事の流れになる。

「このような構造になっていると、本来故人に向き合う大切な時間である納棺士の仕事が、葬儀会社のための仕事になってしまうのです。葬儀会社の指示の下で動くので、例えば故人のために頻繁に死化粧をお手入れしたいと思っても、許可なしには、なかなか叶いません。」

お父様と

【お父様とのお仕事風景】

かくいう木村さんも、故人のためではなく、葬儀会社から指名をもらうことを目的に働いてしまっていた時期があった、と話してくれた。

そのような課題を解決するために、2015年ディパーチャーズ・ジャパン株式会社を立ち上げ、納棺士が主体で、故人に本質的に向き合うことができる葬儀を提供できるような仕組みを目指すことになった。

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「私たちの行う葬儀は、プランニングから全て納棺士が行います。故人を見送る重要な役回りである納棺士が一貫して葬儀を行うので、より深く故人のご遺族とも関わることができています。」

|おくりびとアカデミーを通して目指すこと

最後に、木村さんが、おくりびとアカデミーを通して叶えたい夢を聞いてみた。

NHK取材時

 【NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 放送時】

「教育を通して、質の高い納棺士を増やすことです。そして納棺士の可能性を広げていくことです。
質というのは、心と技術、そしてコミュニケーションのバランスだと思っています。
まず心。故人や故人のご遺族に託す想いはもちろん大切ですが、日常的に人の死に向き合う仕事なので、自身の心を強く持つこともとても大切です。

そして、技術。故人・ご遺族の方への想いを細やかな所作一つ一つで示してゆく、日本
特有の技術を習得していくこと。
最後に、コミュニケーションですが、これは主にご遺族の方とのコミュニケーションのことを指します。

Type取材時

”いいお別れ”が増えたら、残されたご遺族の未来も変わると思うんです。そうしたら社会も変えることができると信じています。いいお別れができる納棺士をどう増やすか。そのことだけを考えて、今はアカデミーを運営しています。」


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