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ルネサンス音楽と大友宗麟

初めて西洋音楽に触れた日本人はその音楽をどのように感じたのだろう
幕末より以前、戦国時代に宣教師が来た際、西洋音楽も持ち込まれていた
織田信長や豊臣秀吉も聴いたらしい

その中でも、大友宗麟という大名の音楽における情熱は戦国大名としてよりもその部分にのみ魅力を感じる

音楽を意味するMusicはギリシャ語のMusica(ムジカ)を語源とする
そのムジカから取られた無鹿(むしか)という地名が宮崎県延岡市にあるらしい
キリシタン大名であった大友宗麟がキリシタン国を造るため、島津氏との戦いの時に本陣を置いたという地
ここ15年くらい、行きたいと思いつつ行くに至らないところだ

熱心んなキリスト教徒だった大友宗麟はキリスト教とともにもたらされた西洋音楽の魅力に取り憑かれたようだ
当時持ち込まれた楽器は、バイオリンなどの弦楽器や少年少女の合唱などもあったらしい

想像する
それまで聴いたことのなかったおとや響きに宗麟は何を感じたのだろう
時代的にはルネサンス期、ミサや合唱曲などの宗教音楽が栄えた時期でもある

キリストが目の前に降臨するような錯覚を覚えたのではないだろうか
無鹿にキリスト国を建国し、音楽が溢れる平和都市を夢見たに違いない

大友宗麟のこと自体は詳しくは知らないが、地名に無鹿という名前を付けるくらいである
武将としてどうであったかはさておき、無邪気な人であったと思う

熱心なキリシタン大名はたくさんいる
しかし、音楽について伝わっている大名はすくない
それと比較するだけでも地名にまでしようと西洋音楽に情熱を注いだ武将を他に知らない

戦の前、死ぬかもしれないという恐怖を前にミサなどを聴いて祈った違いない
恐怖が和らぎ、生きる希望を持って戦場に出たはずだ
もちろん、見たわけではない想像だけど、音楽にはそれくらいの力がある

無鹿は音楽で有名ということもなく、なんでもない普通の町であるらしい
それでも僕はそこに500年前に音楽に魅せられた人がいるというだけでロマンを感じる
だから、行ってみたい

地名の由来については、実際のところ諸説あるようだが
一音楽人として、この話を信じたい

いつの時代も音楽は素晴らしいのだ

ルネサンス期のミサ宗教音楽なら、このあたりを聴いていたのだろうか


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