コンセプチュアルアートと現在と
コンセプチュアルアートが好きだった
概念芸術と呼ばれるそれは、作品そのものではなく作家の思想や哲学にフォーカスされるモノで、作品はつまらないのにその作品制作に至る思考が面白いモノが多かったので昔は好きでよく美術館に足を運んだ
代表されるものであればマルセル・デュシャンの「泉」が有名だろうか
しかし、時代は進んだのでわからない
僕が若い頃はコンセプチュアルアートと言えばこれがよく例に出された
音楽にもある
ジョン・ケージの「4分33秒」というピアノ作品
ピアノ作品とはいうが、
これはステージにピアニストが登場し、4分33秒間演奏しないで終わるというモノで、初演の際にはかなりの物議を醸し出したらしい
そりゃそうだ
その後、ジョン・ケージは作曲における作曲家の意思を排除する試みを行ったりと音楽に新しい風をどんどんと入れていく
それは音楽なのか?
という疑問がいつも挙げられるが
突き詰めていくと、あらゆる実験を行って検証していく姿こそ音楽家として正しいのではないかと思ったりもする
答えはないのでわからない
そもそも、音楽という概念は歴史的に見て新しい概念だし
音楽は楽しむモノというのも漢字に当てはめてこそそう捉えるべきかのように思うだけで、実際には多様性があると言っていい
ギリシャ時代、音楽は学問の一つで物理の役割を担っており、当時の音楽の概念は今とは全く違った
最近よく思うことは、音楽の役割はまた大きく転換期を迎えたのではないかということ
音楽って楽しむものだろ?
って発想自体がもうはや古いかもしれない
どんな役割に変換したのか
これは言葉では難しいが、作品が従来の聴かれる音楽としての役目を終え始めているように思う
そこで、コンセプチュアルアートの登場になる
すなわち、作品そのものよりも思想や哲学、制作に至る思考など作品の向こう側に視点がフォーカスされているのではないか
これまでは逆であった、結果としての作品に感動した
しかし、今は作品の向こう側にあるものを知ることで感動を得るということになっている気がする
テレビでも作品を分析したり裏側を見せたりする番組が人気を博している
これまでも作品が生み出されるプロセスを見せることで感動を与え、ヒットするようなことはあったが、それとも違う
「生き方」が叫ばれる現代をまさに反映しているように思う
「収入」という点数に「生き方」という評価も加わって、ますます行きにくい時代になってきた
「自分らしさ」をアピールしないといけない時代
なかなか生きにくいぜ
それでも少しでも何かにあらがって生きていきたいと思う
今日で30代が終わる
マルセル・デュシャンの「泉」貼っとこ
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