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熊野に神います~熊野の神をご一緒に

「熊野に神います」というフレーズは、984年に源為憲(みなもとのためのり)が、冷泉(れいぜい)天皇の皇女尊子(そんし)内親王のいわば仏教入門書として書いた三宝絵詞(さんぽうえことば)に登場します。 彼女は後に那智で修行したとされる花山(かざん)天皇の同母姉です。原文は「紀伊国牟婁郡に神います」ですが、これを少し変えてブログのタイトルにしました。原文ではこの後、神の名前が出てきますが、それは改めてにします。牟婁(むろ)郡は、現在の行政では、三重県に南北、和歌山県に東西の牟婁郡が

    • 衛門三郎伝説と熊野信仰ー愛媛大学の研究論文の2

      続いて、乙の史料が挙げられています。論文の続きです。   一方そのころにはこれらとやや異なる衛門三郎伝説が存在していた。「石手寺刻板」、『四国遍礼霊場記』、『予陽郡郷俚諺集』にみえる衛門三郎伝説がそれである。として、これらを「乙」としています。それぞれの年代ですが、「石手寺刻板」は永禄10年(1567)、『四国遍礼霊場記』は元禄2年(1689)、『予陽郡郷俚諺集』は宝永7年(1710)です。 そしてこの論文では上記3点の史料のうち最も古い「石手寺刻板」を取り上げてその内容を載

      • 衛門三郎伝説と熊野信仰ー愛媛大学の研究論文の1

         愛媛大学には「四国遍路▪︎世界の巡礼研究センター」があり、衛門三郎伝説に関する論文がネットに公開されています。そのタイトルが「衛門三郎伝説と熊野信仰」です。当ブログは熊野信仰が本来のテーマですから、この論文についてみていきたいと思います。 はじめに 一般的には、衛門三郎伝説は弘法大師ゆかりの地を巡る四国遍路の起源伝承であり、弘法大師信仰と関係の深い伝説とされている。しかし衛門三郎伝説は本当に弘法大師信仰の所産であろうか。本稿は、この点について考察を加えたものである。とありま

        • 衛門三郎終焉の場所ー杖杉庵

           杖杉庵と書いて「じょうしんあん」と読みます。珍しい名前です。名前の由来は衛門三郎が亡くなった後に弘法大師が墓標として三郎が持っていた杖を逆さまに立てたところ、そこから芽が出て大きな杉の木になったということからです。  杖杉庵は徳島県名西郡(みょうざいぐん)神山町(かみやまちょう)下分(しもぶん)字地中174にある高野山真言宗の寺院です。本尊は地蔵菩薩であるところからかつては「地蔵堂」と呼ばれました。   伝承では、衛門三郎がこの場所で亡くなったのは、天長8年(831)10月

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          文殊院に伝わる衛門三郎の伝説ー弘法大師との再会と三郎の死

          衛門三郎は、文殊院に弘法大師を訪ねますが、旅立った後でした。三郎は紙に自分の住所、氏名、生年月日を書き、大師がこの札を見ると衛門三郎がお参りした事が分かるようにと、お札をお堂に貼りました。その場所が「札始大師堂」とされています。このお札を「せば札」といい、現在の納め札のもとと言われています。 やがて、8年の歳月がたちました。その間、衛門三郎は弘法大師に会うために20回巡りましたが大師には会うことができませんでした。閏年の天長9年(832)に徳島県の切幡寺(きりはたじ)から逆に

          文殊院に伝わる衛門三郎の伝説ー弘法大師との再会と三郎の死

          文殊院に伝わる衛門三郎の伝説の1ー旅立ちまで

           衛門三郎の屋敷跡に建つ文殊院にも衛門三郎の伝説があります。既に書いています石手寺やウィキペディアの伝承と比べてみてください。引用はウェブサイト「空海」からです。 昔、弘法大師が巡錫(じゅんしゃく)の折り、伊予の国上浮穴郡(かみうけなぐん)荏原(えばら、現在の松山市恵原町)へ立ち寄られたところ、一人の童子が大師の前に現れ、「ここに罪深い人が住んでおります。改心させて来世の鑑(かがみ、先達)にしてはいかがですか」と告げると何処となく立ち去って行きました。すると豪雨になって大師は

          文殊院に伝わる衛門三郎の伝説の1ー旅立ちまで

          衛門三郎の屋敷跡に建つ文殊院

           衛門三郎が住んでいた場所は伊予国浮穴郡荏原郷とされ、三郎の屋敷跡と言われる場所に文殊院があります。正式名称は大法山(だいほうざん)文殊院(もんじゅいん)徳盛寺(とくじょうじ)と言い、真言宗醍醐派の寺院です。本尊は地蔵菩薩と文殊菩薩。住所は松山市恵原町(えばらまち)308。四国八十八箇所番外札所、四国別格二十番霊場第九番札所、伊予巡錫二十一霊場第十五番札所、伊予七福神の毘沙門天になっています。  寺伝によればこの寺は、西山興隆寺を開いた空鉢上人が八窪のある山中に寺を建て、徳盛

          衛門三郎の屋敷跡に建つ文殊院

          衛門三郎の再来伝説からー遍路の逆打ち

           高知銀行のブログに衛門三郎の伝説の後半部分が載っていますので紹介します。 衛門三郎は弘法大師に会って許しを乞おうと、何年もの歳月をかけて遍路の旅を続けてきましたが、用意した金もとうに尽き、阿波の国焼山寺(第12番札所)にたどり着いた時には、病に倒れ歩くことができませんでした。死期が迫る衛門三郎の耳に、「三郎、三郎」と呼ぶ声が聞こえました。目を開くとそこには大師が立っていたのです。強欲非道な自らを省み、泣いて非を詫びる衛門三郎に大師は問いかけます。『この世の果報は既に尽きてい

          衛門三郎の再来伝説からー遍路の逆打ち

          衛門三郎の再来伝説ー寺の伝承とウィキペディアから

           石手寺は四国遍路のルーツとされる衛門三郎(えもんさぶろう)ゆかりの寺院です。衛門三郎の伝説について石手寺の公式サイトから引用します。 むかし、愛媛県に衛門三郎という豪族(河野家の一族)がいました。家は富んでいましたが、強欲で非道な行為で神仏を敬わず、慈悲の心を持たず、日夜私利私欲を追及していました。ある日、彼の屋敷を訪ねてきた托鉢(布施を求める行為)の僧を追い払おうと竹ぼうきで鉢を8つに割ってしまいました。その僧こそは弘法大師空海だったのです。翌日から、三郎の8人の子が次々

          衛門三郎の再来伝説ー寺の伝承とウィキペディアから

          石手寺の沿革ー河野玉澄が熊野十二社権現を祀ったのが始まり

           石手寺の寺伝によると聖武天皇の神亀(じんき、しんき)5年(728)に伊予の豪族、越智玉澄(おちのたまずみ、たますみ)が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、この地が霊地であると感得、熊野十二社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇(在位724~749)の勅願所となりました。翌年の天平元年(729)に行基菩薩が薬師如来像を彫造して本尊として祀って開基しました。創建当初の寺の名前は「安養寺(あんようじ)」と言い、宗派は法相宗でした。平安時代に入り、嵯峨天皇の弘仁4年(81

          石手寺の沿革ー河野玉澄が熊野十二社権現を祀ったのが始まり

          石手寺の七不思議

           洋の東西を問わずいろんな場所に「七不思議」があります。不思議という言葉に人は魅力を感じるようです。当ブログでも下鴨神社や伊豆の七不思議を紹介していますが、この章では「石手寺の七不思議」を紹介します。 (1)渡らずの橋 石手寺の入口近くにあります。弘法大師が渡ったと伝えられており、別名を「弘法大師お道開きの橋」と言います。この橋は本来、渡ってはいけないとされており、それを無視して渡ると足を痛めるとか足が腐ると言われています。参拝者が渡らないように橋には障害物が置かれています。

          石手寺の七不思議

          四国八十八箇所札所66番から88番

          (66)巨鼈山(きょごうざん)千手院雲辺寺(うんぺんじ) 真言宗御室派 千手観世音菩薩 徳島県三好市(みよしし)池田町(いけだちょう)白地(はくち)ノロウチ763 住所は徳島県だが霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。 ここからは香川県になります。 (67)小松尾山(こまつおざん)不動光院(ふどうこういん)大興寺(だいこうじ) 真言宗善通寺派 薬師如来 三豊市(みとよし)山本町(やまもとちょう)辻(つじ)4209 (68)七宝山(しっぽうざん)神恵院(じんめいん) 真

          四国八十八箇所札所66番から88番

          四国八十八箇所札所44番から65番

          (44)菅生山(すごうざん)大覚院(だいかくいん)大寳寺(だいほうじ) 真言宗豊山派 十一面観世音菩薩 上浮穴郡(かみうけなぐん)久万高原町(くまこうげんちょう)菅生2ー1173 (45)海岸山(かいがんざん)岩屋寺(いわやじ) 真言宗豊山派 不動明王 上浮穴郡久万高原町七鳥(ななとり)1468 (46)医王山養珠院(ようじゅいん)浄瑠璃寺(じょうるりじ) 真言宗豊山派 薬師如来 松山市浄瑠璃町(じょうじゅりまち)282 (47)熊野山(くまのざん)明見院(みょうけんいん)八

          四国八十八箇所札所44番から65番

          四国八十八箇所札所26番から43番

          (26)龍頭山(りゅうずざん)光明院金剛頂寺(こんごうちょうじ) 真言宗豊山派 薬師如来 室戸市元乙(もとおつ)523 (27)竹林山(ちくりんざん)地蔵院神峯寺(こうのみねじ) 真言宗豊山派 十一面観世音菩薩 安芸(あき)郡安田町(やすだちょう)唐浜(とうのはま)2594 (28)法界山(ほうかいざん)高照院(こうしょういん)大日寺 真言宗智山派 大日如来 香南市(こうなんし)野市町(のいちちょう)母代寺(ぼだいじ)476 (29)摩尼山(まにざん)宝蔵院(ほうぞういん)国

          四国八十八箇所札所26番から43番

          四国八十八箇所札所8番から25番

          (8)普明山(ふみょうざん)真光院(しんこうもいん)熊谷寺(くまだにじ) 高野山真言宗 千手観世音菩薩 阿波市土成町土成字前田185 (9)正覚山(しょうかくざん)菩提院(ぼだいいん)法輪寺(ほうりんじ) 高野山真言宗釈迦如来 阿波市土成町土成字田中198ー2 (10)得度山(とくどざん)灌頂院(かんじょういん)切幡寺(きりはたじ) 高野山真言宗 千手観世音菩薩 阿波市市場町(いちばちょう)切幡字観音129 (11)金剛山(こんごうざん)一乗院藤井寺(ふじいでら) 臨済宗妙心

          四国八十八箇所札所8番から25番

          石手寺での四国巡礼体験と八十八箇所札所の1番から7番

           石手寺は四国遍路のルーツとされる衛門三郎ゆかりの寺院です。そういうところから石手寺で四国八十八箇所の巡礼ができるようになっています。 お砂撫で。四国八十八箇所札所全てと高野山の砂が集められて袋に入れられています。袋の上には札所の番号とお寺の名前が書かれています。住職さんが集められたこの砂袋を一つ一つ手で撫でることで八十八箇所の巡礼をしたのと同じ意味があるとされています。札所の砂を地面に敷いてその上を歩くという「お砂踏み」が一般的ですが、こちらは足で踏むのではなく手で撫でるこ

          石手寺での四国巡礼体験と八十八箇所札所の1番から7番