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書活172日目*新しいことを学ぶという悩み。

今、最も悩ませてること。
「新しいことを学ぶ」ということです。

大変嬉しいことに学びたいと思うことが、2つ同時にやってきました。どちらも魅力的、どちらも痺れます。

ただし、お金がかかります。
しかもそれ相応の金額。どちらか一方であればなんだかんだと全力でかき集めるつもりです。

でもねー、どっちかだなあ〜。

理由は、お金ももちろんですが、最大の理由は「とっちらかるから」一つ一つ丁寧に向き合いたい。

我が儘(わがまま)ですが、そこには我がありますからね。私を基準に考えてますが答えが出ません。

答えが出ないのに、講師直々にメールなんて頂いちゃったもんだからその点でそちら側に偏ってしまう力が働いちゃう。うまいな〜。

「わざわざこうしてお誘いいただいたのだから…」という気持ちは置いておきたい。

でもねー、チラつく講師の顔。

結局、この数日間の寝つきが悪く(普段よりも寝つきが悪いだけで熟睡しています)悶々としています。

これが、私の未来にどう通じるのか。

ところで最近夫と話していた時のこと。
「あなたは、教師向きだったよね」と言われました。どうしてそうなったのかは、わかりません。

そういえば、ずいぶん前の弟が大学受験をしていた頃に話が飛びますが、弟は美大を目指していました。父の背中を追ってデザイナーになりたいと目標設定してのことです。

母は私たち姉弟が、小さい頃より「美大に入ったらいいな〜」なんてことを口にしていたので、それは嬉しいことだったのでしょう。

ただ、子育てをしていくうちに我が子の資質は美大向きなのか?というふうに悩んだ様子。弟が懸命に受験勉強をしているのですから、それは本人に口にすることはできず、私にボソッと言ってきたことがあります。

「あの子、算数か数学の先生に向いてる気がするんだけど…ついでにいうと、あなたも教師向きよね。」

突然の火の粉に動揺を隠せません。
なぜ?こんなにも勉強が出来なくて、学校が大嫌いで、先生という職業を忌み嫌っていたという私が!?

注意書きをしますと、こちらは当時の感情です。学校との相性がすこぶる悪いと思い込んでいた、他人のせいにするしか脳のなかった私の若かりし黒歴史です。

「は?なんで?」
この言葉で当時の感情をまるっと詰め込み母に戻しました。

「だって、出来ない子の気持ちわかりそうじゃない。」
「はあ?それだけでは教職は務まらないでしょう?」
「まあね」

何を持ってそう感じたのやら?

その会話がひっかかりつつも数十年過ごし、子をなし育て今に至る現在。

夫にも「あなたは、教師向きだったよね」なんて言われると再び意識したくなるものです。

もう少し早く気づいていたら未来は変わったのでしょうか?

子育てをしている中で、興味がわくのは、やはり教育関連のこと。教育方法、指導方法、先生の話。とにかく私を魅了してくるのです。

私が教えられることは、仕入れたウンチクくらいなもん。いつか定年後に地域ボランティアとして生徒さんたちに何かしらを話す人になれたらなあ、なんて妄想するのが席の山かしら?

と思っていたんです。
しかしまだ定年まであと何年だ?まだ二桁はあるぞ?その頃に定年制が存在するのか?

恐ろしい未来も想像してしまいました。
それならば、何か私でもできて、なんか関われることってないものでしょうか。

あれ、待てよ。
今悩んでいる二つの講座は、どうこうすれば絡むことがもしかしたらできるかもしれないの?

受けることは決まってる。
でもどっち?なに?私は今何を話してるの?

そう、私が悩んでることは、新しいことを学ぶということ。

実はお金のことで悩んでいました。それが最大の悩みかと思いきや、それはどうこうするぜ!と脳みそが言い出したのでもっとフラットに考えられるようになりました。

どっちがいいかなあ。
直々に誘ってきた講師の顔もチラつきますが、すこし待機していただいて…いろんな人の意見も聞いてみようかなあ。

連日、悩ましい朝を迎えております。春ですねえ。

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