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短編小説『声に出さない歌を聞いてくれる人』

二人並んで歩いている。

しばらくの間、 お互いに黙ったままでいる。

声には出さないけれど、ワタシはオトーサンにずっと話しかけている。

初めて会って、喫茶店で話をした時のように。

ワタシは、失った何かを埋め合わせなければならないと思っていた。

ワタシは何を失ってしまったのだろう?

さっきのオトーサンの話を聞いて、ワタシがオトーサンの奥さんや娘さんに嫉妬を感じた時、初めてそれが分かった。

ワタシが失ってしまったものは、

家族の記憶。

お姉ちゃん、お母さん、

そしてお父さんの記憶。

ワタシにも、家族がいた。

ワタシなりの過去がある。

歴史と呼べる大層なものでもないけど、

物語はある。

ワタシは、過去を消し去ろうとしていた。

過去に戻れないから、

ワタシは未来を描くことが出来ない。

オトーサンに出会うことが出来て良かった。

オトーサンが、

優しい灯火で足元を照らし出してくれた。

オトーサン、ありがとう。

気が付くと、

あの歌がワタシの頭の中で流れてきていた。

♬夕暮れ
 色あせる街並み
 光りを失ってゆく街に
 窓に灯りだす明かりは
 私には眩しすぎる
 涙でかすむ
 頬をつたう涙の
 そのぬくもりが欲しい
 あなたは何処へいってしまったの
 あなたの思い出だけを
 追いかけるのは
 辛すぎる
 あなたが好きだった
 言葉にならないほどに
 あなたが好きだった
 身体が震える程に
 あなたが好きだった
 あなたが好きだった
 言葉にならないほどに
 あなたが好きだった
 身体が震える程に
 もし、また会えたのなら
 「ごめんなさい」と言う
 そして「ありがとう」
 そして「ありがとう」
 そして「ありがとう」

ワタシは、並んで歩きながら、声に出さずにあの歌をオトーサンのために歌っていた。


「いい歌だね」

突然、オトーサンが声を発した。

びっくりした。

声に出して歌っていないはずなのに、

オトーサンに聞こえている。

ワタシは、オトーサンを見た。

すぐそばにいるはずなのに、

オトーサンは遠くにいるように見えた。

闇に吸い込まれるみたいに、

色を失っていた。

なぜかオトーサンは悲しそうな顔をしていた。

オトーサンも、お父さんの記憶のように過去に消え去ってしまうことがあるかも知れない。

ワタシは、不安になった。

オトーサンだけは、

ワタシの現在を知ってくれている存在なのだ。

オトーサンが、闇に吸い込まれてしまえば、私は独りぼっちになってしまう。

そしてワタシは、老いた巡礼者のように過去をなくして、未来を持たずにさまよい歩く。

オトーサン、何処にも行かないで。


「いい歌だね。また聞かせてくれる?」

私は何処にも行かないよ。

ずっと君の側にいるよ。

ワタシには、そんな風に聴こえた。



男と女の対比。下記の物語と合わせて読んでもらえると嬉しいです。


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