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『スカイフック』第6話 机上の戦場

米田上等兵の射撃のやり方は他と大きく違っている。

彼は、数学の教師であった経験を生かして、手帳に細かい文字で計算式を書いて、計算によって標的に当てるのである。彼はデーターの集積によって、当てることが出来る 。

だから、上官に執拗に質問を与える。目印にするあの建物までの正確な距離、その日の風速、気温、使用する砲弾の重さなど、事細かに聞いてくる。

最初は、鬱陶しがっていた上官も、それらを教えれば教える程、正確な射撃を見せるので渋々ながらも、分かる範囲で教えるようにした。その噂を聞きつけた、鶴舞分隊の責任者である加藤分隊長が興味を示した。

彼は帝大の理工を出ていた。その加藤分隊長が、米田上等兵を呼びつけて面談した。中隊長は27歳の中尉であり、上等兵の米田とは格段の違いがあった。そのような間柄でも、初対面から二人は意気投合した。

士官室に入るなり、米田上等兵はびっしりと数字の詰まった手帳を分隊長に見せた。最初は、怪訝な表情を見せていた加藤分隊長が、見る見るうちに変わった。驚いたような表情が真剣な表情になり、熱心に米田上等兵の手帳に食い入る様に見入っていた。

次第に立場逆転し、教えを乞う生徒と教師のような関係になった。加藤分隊長は、自分の机の上にあった書類を裏返しにして、何やら図形を書き出した。その下に、計算式をびっしりと書いた。それを見ていた米田上等兵は、時よりアドバイスしたり、加藤分隊長の計算式に書き込みを入れてみたりしていた。

副官はもう一時間も、経とうとしているが一向に終わりそうにない二人を傍らで見ているだけだった。副官は二人が何をしているのかさっぱり理解できなかった。終わりくらいになると、二人は、お互いの書いた数字を見せ合いながら、友人同士の様に笑いあっているのだった。図形と計算式を見せ合いながら、そうしているのだから理解できないのも無理はなかった。

「分かりました」

米田上等兵が退出する際に、加藤分隊長は立ち上がって上官に接する様な敬礼をした。

次の日には、陸軍大本営作戦部と刻印のある最新の計算尺が手渡された。そして、測量班の小隊長が自ら最新の地図を持ってきて、米田上等兵が望むあらゆる測定して欲しいでデーターの要望を聞いてきた。

その翌日の本日3月25日の午前中に、それが全部揃ったところだったのだ。

米田上等兵は、夕暮れを心待ちにしていた。正確な測量データーを貰い、入念な準備が整っていたからだ。

これからの高射砲の発射にたいして一点だけ厳重に注意されていたことがある。

それは、爆弾投下中又は、投下前の爆撃機に対して、胴体の主翼が付いている部分は、決して狙わないように言われていた。もし、攻撃機の爆弾で満たされているその部分に砲弾が当たれば、残骸や砲弾が下にいる一般住民に雨のように降り注ぎ、大きな人命失いと大いなる損傷を被ることがあるからだ。

この為、米田上等兵は、敵機の尾翼の後ろにある方向舵に狙いを定めるようにしていた。方向舵を失っても、暫くは飛行を続けることが出来るからだ。しかも、水平尾翼の昇降舵と主翼のフラップを使えば方向を変えることができる。その際には、機体を大きくバンクさせないといけない。機体が傾いているときに爆弾が投下出来ないことを知っているのでそのような方法を取ったのである。

一般市民の命を危険から遠ざけることなど、米田上等兵の頭の中に微塵もない。命令だから、それに従うだけなのである。

ましてや自分の放った砲弾が、B29の搭乗員の命を奪うことになることなど考えてもいない。

我々からとって、人間はまだ未熟だ。戦争と言う大義名分があれば、善良な高校教師さえも、従順な殺人マシーンに変わってしまうのだ。

そこが人間の限界であり、弱点であることを我々は知っている。

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