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【感想】『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』:「CMで救われる」という唯一無二の体験

2022年12月24日
楽しい楽しいクリスマスをどのように過ごしましたか?
私は一言で簡潔にまとめられる。
アベマで機動戦士ガンダム0080ポケットの中の戦争を見ました!!!

…アベマで機動戦士ガンダム0080ポケットの中の戦争を見ました!!! クリスマスイブに!!!!

大切なことなので二回言いました。
ずっとずっと見たいとおもっていた。評価が高く必見の名作をいうことも知っていた。にもかかわらず見たいと思ったときにはアマプラになく機会を逃していた。
今年のクリスマスはちょうどアマプラで公開されている、さらにはアベマで放送するとのことで同時視聴することに。
気が付けば見終わってから一週間ぽやぽやしていたら一か月も経っていたので、もう一度軽く見直して感想をまとめている。

振り返ってみて、まず最初に出てくるのは「クリスマスにはバーニィを思い出す世界線に来てしまった…」という思い。
決して落胆ではない、でも深いため息をなんと表現したらいいのかわからない。ファーストガンダムすら見ていないガンダム初心者、感想を残しておきます。


ポケットの中の戦争について知っていたこと、それによる弊害

ポケットの中の戦争、明確なネタバレを見たことはなかった。
それでもネットスラングとして「○○といってよ、バーニィ!」は見たことがあったし、ビデオレターがでてくるというのもクリスマスが関係しているのもなんとなく知っていた。(ビデオレターについて、正確には最初からわかっていたのではなく、見ているうちになんとなく知っていた”金髪の青年が片膝立てて映るビデオレター”がポケットの中の戦争のものなのだと結びついてしまった)
そんなわけで、登場人物とそれぞれの役割・キーになるであろうアイテムが出そろったとき、物語の顛末がなんとなく予想できてしまった。
断片的な情報で頭の中でツギハギしてできたエンディングがこの物語のすべてであるなら、ある程度ネットに触れたことのある人はもうこの物語を楽しめないではないか、とネットスラングにちょっと腹が立った。この物語も不憫に思った。


・・・が、物語序盤に抱いた不安は杞憂だった。
「○○といってよ、バーニィ!」、ビデオレター。

そこじゃないんだ!!!!!!ポケットの中の戦争は!!!!


自分の琴線に触れたのはそこではなかった。
そこではない、というか、そこだけがこの物語のすべてではなかった、が正しいな。
物語を見ての溢れた感情は以下3つ。それぞれこの順で溢れてきた。

  1. 同級生の中でひとりだけ”戦争と平和”に対する認識・解像度が上がってしまったアルへの心配

  2. 「ガンダムと戦ってみたくなったから戦う」とビデオレターで伝えるバーニィに救われた気持ち。そこからの絶望

  3. CMを見て、アルの将来を知って、②の絶望からのポジティブな解放感


① 同級生の中でひとりだけ”戦争と平和”に対する認識・解像度が上がってしまったアルへの心配

町の惨状を見た時の反応にアルの変化が表れていた。
最初、バーニィと出会ったの戦闘では、助けを求める声も素通りし、遠くから何も考えず眺めるだけ。チェイとテルコットと同じように他人事で、周囲の心配よりも自分が学校を抜け出したことを先生に叱られていないかのほうが気がかりだった。
二回目、ケンプファーとアレックスの戦闘の後にチェイとテルコットに会った時。崩壊した学校を目の当たりにしたアルは周囲の皆を本気で心配。チェイとテルコットの戦争を茶化す話には、薄く涙を浮かべながら無理して苦笑いしていた。
三回目、クリスとの戦闘でバーニィが亡くなった後。朝礼を聞きながらただ一人涙を流すアル。チェイとテルコットの「戦争なんてまたすぐ始まるって!」という純粋で残酷な励ましを受ける。そこで物語が終わった。

ただただ苦しくて涙が出た。大きく大きくため息をした。
この物語をハッピーエンドとバッドエンドのどちらかにわけるなら、ほとんどの人がバッドエンドと言うと思う。
その質問に、”誰にとっての”バッドエンドか、も加えてほしい。

私は「アルにとってのバッドエンド」だと思った。


その理由。
親しくしていたバーニィが亡くなったから。想いあう二人が戦っていたという真実をアルだけが抱えているから。
私が感じてしまったのはそれ以上に、「アルだけが、周囲と戦争・平和に対しての解像度が異常に高くなってしまったから」だった。

ここは連邦軍にもジオン軍にも属さない平和なコロニー。
学校の皆にとって、戦争もモビルスーツも身近じゃない。一番仲のいい友達は戦争=楽しい非日常の価値観のまま。
大人たちだって、核ミサイルがすぐそこまで来ていたという事実を「怖いわ~」と軽く話すだけ。
そんな中でアルだけが、3回のモビルスーツの戦闘とその犠牲、迫っていた核ミサイル、すべて自分事になってしまった。
核ミサイルがもうすぐコロニーを襲うと知った時、「全てを話すぞ!」と意気込んだ、でもそれは皆を守るため。
すべてが終わった今、アルの知っている全てを話しても、誰かを守るための勇気ある告白にはならない。もし話したとしても、待っているのは兄のように親しくしてくれた友人を亡くした可哀想な小学生5年生への小さな慰めか、自分から首を突っ込んでジオン軍の作戦に参加しモビルスーツ同士の戦闘を誘導した少年への厳しい𠮟責か。懲りない狼少年だと、また信じてくれないかもしれない。
誰にも言えない。言ってもずっと独り。

重たい業を小さな背中に背負わせてしまったことが苦しくて苦しくて堪らなかった。この子はこの年でこんな体験をしてしまって、この先どうなってしまうのか。成長期真っ盛りの精神にとても重大な影響を受けてしまったのではないか、不安に駆られた。
もしかして、アルが涙した校長先生の朝礼の言葉、あれが救いになるのか?もう一度聞いて文字起こしした。

長く苦しかった戦争も遂に終わり、平和の日々が訪れました。しかしこのコロニーにも、戦争は深い傷跡を残していきました。私たちは校舎を失っただけでなく、幾人もの親や、兄弟、友人を失ったのです。この平和は、まことに多くの犠牲の上に勝ち取られたものです。君たちにはそのことを忘れないでほしいと思います。そして君たちが大人になった頃、二度と戦争が起こらぬよう平和な世界を築くために真剣に努力してほしい。それが残されたもの勤めであり義務なのです。

『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』 第6話 ポケットの中の戦争

残酷だった。


「二度と戦争が起こらぬよう平和な世界を築くために真剣に努力してほしい。」
そんなこと言われて、じゃあアルはどうすればいいのさ!!
平和のありがたさがよくわかった。戦争のない世の中を切望している。じゃあそれを託された世代、その1個人はどうしたらいいの!?
平和と戦争というあまりに大きすぎる課題を次の世代に丸投げする先生の言葉、それを聞いて泣くしかないアルを通して、戦争教育や平和の大切さを伝えるテレビ番組に対して以前から抱いていた思いを掘り起こされたことに気がついた。ずっと思っていた。平和が大切なのはわかるよ、じゃあ私たちはどうすればいいの!?具体的で実践に活かせる一番欲しい言葉を学校では与えてくれない。教育の機会を与えられる度に消化不良に悩まされていた。でも私は授業を通してそう思っても2日もすれば忘れてる。自分の今に直結しないから。
アルは違う。すべてがただひとりの自分事になってしまった彼は、ずっとこれからもこの答えがない大きな課題を常に抱えて背負い込んでしまう。
泣くしかないいまのアルだけじゃない。しばらくたって泣きやんで、少し冷静になった頭でこれからもその世界で生き続けなきゃいけないと認識するアルのことを考えたら私もただ泣くしかできなかった。戦争なんてただ一人でどうこうできることじゃないのに。結局みんな、お偉いさんが決めた作戦に駆り出されて命を落として、民間人も巻き込まれて苦しまされる。それをまじまじと実感させるためだけの物語ならあんまりじゃないか。

最後の朝礼、演出面でも感じたことを語らせてくれ。
BGM。使い方がうますぎる!いや酷すぎる!
朝礼シーン、涙は三段活用だった。
平和を説くありがたいお話で泣いてしまうアルに「あぁ…😢」
「戦争はまたくるから泣くな!」と残酷に励ますチェイに「つら!いや、え、アアアアアアア!😭」
遮るように大音量で流れるBGMに「アアアアアア!!!!!😱🤯🥶☠️😭😭😭😭😭」

大音量BGMで一方的に遮断された。

見えないけど確かにある"壁"ができてしまった。
戦争を目の前にして、いつもと変わらぬ周囲の人々と心理的に一生独りになってしまったアルとの壁。
大きな涙を流すアルを助けることのできない、その後をもう見届けることもできない、視聴者と物語の登場人物との壁。
チェイの励ましの言葉を遮るようなBGMと遠くなるアルたちの姿で私達は強制的に物語から締め出された。私達には流れるエンドロールはアルのいる世界には存在せず、これからもずっと続いていく。物語が描きたかったのはここまでだと強制的に終わらせられ、その後の彼らを思う余韻すら奪われた。

劇中歌、BGM、効果音。
それらにわくわくして胸が熱くなって、気持ちを高められたことは何度もあった。しかしこんな絶望感を与えられたのははじめてだった。

「映画は感情商売だ。そして脚本家の仕事は読者の感情を掻き立てることなのだ。」

『「感情」から書く脚本術』

この言葉がすごく好きで作品を見るときにいつも思い出してしまう。
「絶望させてやる!」と受け手の感情操作を意図されてあの場面であの形でBGMが流されたのなら、音と映像で形成される作品づくり、うますぎないか。見事に感情を操作させられた。それでいて、脚本家の影を感じる嫌な作為性は感じない。
キャラクターの一生の中の一瞬だけを切り取った、その上でそれを最大限に彩るための演出を施した、そんなふうに思わされた。うますぎる、酷すぎる。「もお〜!💢」としか言葉が出ない。作品を楽しむ視聴者として物語のつくりの完成度の高さをもっと深く見たいけど、まだアルの人生を心配する感情が勝つ。しばらく経ってこの物語に慣れて感情がいまほど動かされなくなったら、もっと色んなことに気付けて演出の上手さを褒めてるんだと思う。でもまだそれができる余裕はない。

アルが可哀想で気がかりで、ただただ悲しかった。ふと、バーニイのビデオレターで語られたことを思い出した。バーニイのビデオレターだけが希望になった。


②「ガンダムと戦ってみたくなったから戦う」とビデオレターで伝えるバーニィに救われた気持ち。そこからの絶望

戦争によって大きく狂わされるだろうアルの人生を思って苦しんだ。

(戦争によって狂わされる=身近な人を失う、一生の障害を負うみたいなよくある展開ではなく、戦争によって狂わされる=誰にも話せない共有できない過去と一人で抱え込むしかない罪悪感と責任感、なんて作品、私は他に知らない。やっぱり物語がうますぎる。)

アルを狂わせたのは戦争。いや、アル以外の人々だって戦争で狂わされてる。戦争なんて、全部が全部お偉いさんの決めることで、一市民は自分の命の使い方すら選べない。与えられた選択肢なんて選ばされてるだけであって、自由意志ではない。
そんなことを見せつけるためだけの物語なんて見たくない。
バーニイに至っては、お偉いさんが勝手に決めた作戦で自分の死に場所に決められて、作戦の失敗すら知らされなくて結果的にもう死ななくていいところで命を落とした。
結局戦争に最初から最後まで振り回されて、そのためだけの人生を終えた。
そんなのあまりにあんまりじゃないか。
一般人はお偉いさんに勝手に決められた命の使い方しかできないのか。
絶望したとき、思い出した希望もまたバーニイだった。
バーニイはビデオレターの中でこう言っていた。

連邦が憎いとか隊長たちの敵をとりたいとかじゃない。
上手く言えないけど、あいつと、ガンダムと戦ってみたくなった。

『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』 第6話 ポケットの中の戦争

バーニイは「ガンダムと戦いたい」という純粋な自分の思いで立ち上がったんだ…!

最後は自分の意志で戦ったんだ!!選ばされて振り回されて終わった人生じゃないんだ!この気づきは絶望の中に天から差し込んだ希望だった、自分に言い聞かせていた。

そんなとき、同時視聴のコメントが教えてくれました。
「バーニイは嘘をつくとき、目をそらす癖がある」

もう一度ビデオレターを見直した。
「上手く言えないけど、あいつと、ガンダムと戦ってみたくなった」この一言だけ、カメラを見ていなかった。




あんまりじゃないか!!!???!?
バーニイの、戦いで純粋に力を比べたいという思いは嘘だったと!?


再び絶望に引き戻された。悲しい苦しい泣きたいどうして

考えてみればそうよな。「ガンダムと力を試したい!」それで命からがら抜け出せたはずのコロニーに戻ってくるか?アルに対してあの表情で電話をかけ、電話越しの「大好きだよ」の言葉を噛みしめるか?
バーニイがガンダムと戦ったのは力試しが第一の目的ではないとわかった。
でも、バーニイの決死の覚悟は大切な人を守るためのものだということも改めて知ることができた。核ミサイルが来るかもしれないからバーニイは立ち上がった。
結果的にバーニィは亡くなった。それでもバーニイの大切な人を守るために立ち上がった、その決意は間違えなく自由意志。

バーニイは、自分で命の使い方を選べていた。

今度はサッと消えちゃうような差し込んだ光ではない、ずっと手元にあった小さな灯りに気づいたようなホワっとした希望が冷めた身体にしみ込んだ。

※バーニィが嘘を付くときの癖について教えてもらったとき、少し違和感があった。亡くなる寸前の隊長に「ガンダムを倒した」と嘘をついたときは目をそらさず真っ直ぐみつめていなかったっけ?と思ったら、完全一致の意見がありました。私もこの方と同じく、”バーニィは噓をつくときに目をそらす”ではなく、”バーニィは噓をつくのが下手”に落ち着きました。



③CMを見て、アルの将来を知って、②の絶望からのポジティブな解放感

バーニィが語った戦う理由が希望だったが、それはアルのためについた強がりであることがわかった。物語をもう一度思い返して、それでもこの戦いがバーニイ自身の選択であることが、手元に残った唯一の救いだった。
しかしそれ以上の救いがあった。

それは、DVD、Blu-RayのCM。なんとなんと本編外だった。

この頃僕は思い出す
はじめてザクを見た日の事を
止められなかった戦いの事を
機動戦士ガンダム0080
バーニィ、忘れないよ

「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」
DVD発売告知CM(1999年)

今でもたまに夢に見る
運命は信じないけど、悲しいことばかりじゃなかった
機動戦士ガンダム0080
バーニィ、忘れてないよ

「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」
Blu-rayメモリアルボックス告知CM(2017年)

アルに対して抱いていた不安、心配がすべて報われた。


アルは「ポケットの中の戦争」を思い出にできるほど大きく成長できていた。
最後の朝礼のシーンで強制的に物語の外に締め出され、アルのこれからを知る権利も機会もないとメタ的に突きつけられた絶望感から解き放たれた。それが円盤宣伝用のCMによってなんて、思いもしなかったな。

アルの成長の先にある一瞬を、2度も知ることができた。
2回あるのが肝なんだよ。2回あるから変化が見れる。どちらかひとつじゃここまでの爆発力はない。

この2本のCMがあって、ポケットの中の戦争が完結したんだろうと勝手に思ってしまった。


DVD。
「この頃僕は」ということは、なにか思い出すきっかけがあったのかな。コロニーの外で行わている戦争に関するニュースがあったのか、平和な日常のなかであの戦いに関するふとした会話があったのか、戦いに赴かなければならない身近な人を見送ったのか、はたまた何もきっかけなんてなくただただ平和な毎日を過ごす中でふと思い出すようになったのか。
このときのアルは、ザクも戦いもそれぞれを”出来事”として記憶して思い出している。
その上でバーニイのことを忘れないという言葉は誓いのように感じられる。

Blu-Ray。
”今でもたまに”夢に見ると。ということは、短期間に集中的にじゃなくて時間をおいて時たまという頻度なんだろう。
そして夢見たあとは出来事を思い「悲しいことばかりじゃなかった」と振り返る。
そして、「バーニイ、忘れていないよ」と。忘れていないのはバーニイのことはもちろん「他人を恨んだり自分のことを責めたりしないでくれ」というバーニイがアルに伝えた最後の願いと残した思いも全て丸ごと胸に刻んでいる、そんなニュアンスのように思える。


なんだろう、うまく言葉にできない。
「出来事を思い出す・バーニイを忘れないと誓う」が「当時を振り返り(思い出すより先に進んで)改めて思う・バーニイのこともバーニイが残した思いも忘れていない」に変わったのは、アルが大きくなった成長の証のように思えて刺さったんだ。
今のアルは、あの出来事を「悲しいことばかりじゃなかった」と振り替えれている。それが何よりも嬉しい。罪の意識と孤独感でアルの人生が狂うという不安はすっかりさっぱりなくなった。アルはバーニィとの思い出を人生の大切な1ページにして、未来をしっかり歩んでいた。

アルに対して安心したとき、バーニイも同じく救われた。
アルの中の大切な一部分にバーニィの生きた証が宿っている、そのことがとても嬉しい。無駄死になんかじゃなかった。バーニィの残した意志はこれからもずっとずっと残り続ける。それって、人間の命の終わりとしてとても幸福なことなのではないだろうか?


終わりに

「○○といってよ、バーニィ!」がタイトルだったとは知らなかった。てっきり目の前で亡くなったその人に叫ぶ言葉だと思ってた。それに、どこかで見たことのあるビデオレターは勝手に抱いていた想像と全然違ったな。憎しさいっぱい未練たらたらビデオレターだと勝手に思ってたので、爽やかでびっくりした。
というか、「○○といってよ、バーニィ!」がいまだに見る古き良きネットスラングになったことにも驚いた。そんなにキャッチ―だったか。よく見るスラングになってなかったら特に思いに止めることはなかったな。

CMを見て完結するところは、物語本編は過去回想でそこを物語る現在がある感じ、こころや人間失格、壬生義士伝みたいな構成だな~と思った。そして私はその構成がものすごく好きなんだということがわかった。多分、物語がプツンと終わるとそのあとが気になってソワソワしてしまうからだ。このあと主人公たちにめちゃくちゃ不憫な災難が起こるとかない?この物語は全てなかったことにならない?大丈夫?ここで見届けていいの?
ちょこっとだけでも現在軸があるだけで、そのソワソワが一切なくなる。こういう構成の物語にカテゴリー名があるなら教えてほしい、片っ端から読みたい。

CMといえば、シュタインズ・ゲートと蒼穹のファフナーも思い出深い。
シュタインズ・ゲートは、ゼロの放送前に、蒼穹のファフナーはEXODUS放送前に、共に再放送で初めて見た。
シュタインズ・ゲートは再放送の最中、「これは彼女を救えなかった世界線の物語」という言葉からゼロのゲームのCMが流れていた。それが最終回でゼロにつながる世界線に分岐したあと、「これは○○を救えなかった世界線の物語」とCMで初めて救えなかった彼女の固有名詞が出され本格的なあらすじが語られた。このCM、初めて見たとき本当にびっくりして絶叫して「そういうことか!そういうことか!」と叫び倒していた。
蒼穹のファフナーでは、一期・ROL・HAEのboxのCMが流れていた。数々の名シーンが細かく散りばめられたCMで、「このシーンは誰がどうなっている場面なんだ?」と興味が湧き建てられ視聴を続けたのを覚えている。

どちらも、CMによってより物語の続きを見たい気持ちにさせられた。こういうCMがつくられるのは、再放送の良さだな~と思う。全てが世に出ているからこそCMで語れることがある。ポケットの中の戦争を通して、より再放送のありがたさを実感した。
というか、ポケットの中の戦争をこのCMが生まれる以前に見ていたらだいぶ落ち込んでいたな。でもその状態になっていたら、30年越しの新しいCMで救われるなんて、感動が桁違いだ。
う~ん?その感動のために30年引きずれるか?…私には厳しいな。
やっぱり、2本のCMが出そろった今にこの作品が見れてよかった!!!
救われた!!! ありがとう、ポケットの中の戦争。

少年、青年、大人のアルを本編とCMナレーションで演じた浪川大輔さんへのインタビュー記事がありました。ありがとうございます。


メモ

見直しながら殴り書きしたメモ、どこにも置いておく場所がないので下記に残しておきます。読む必要はまったくありません。

冒頭の北極での戦闘を見ての感想は「皆の何かに依存してるんだな」だった。
隊長はタバコ。アンディはナルシストな自分?(自分の髪の毛を整える姿から)ミーシャは酒。ガルシアは女。そうか、と思わされた。納得した。すごく簡単な描写だけど何故かすこし胸が高鳴った。納得感と胸の高鳴りは戦争ものをみているという高揚だった。後から気づいて、そんな自分がちょっと嫌になった。

場面は一転して平和な町並み。主人公は小学5年生のアルフレッド(アル)。
クラスメイトのチェイやテルコットと母親の待つ家と学校を行き来する日常を送りながら「また給食が合成タンパク質か」とぶーたれている。
戦争はコロニー外の自分たちとは直接関係のない出来事、それよりも自分たちのご飯が大切だという様子。
チェイが自慢してきた、兄からもらったという連邦軍の階級章から物語が動き、わくわくした。
”軍人の証とビデオ”をキーアイテムにしてアルと物語が動き出す流れは、ノンストレスで見やすくストーリー展開のお手本をみているような気分になった。丁寧につくられた作品であると感じさせる始まりは、物語に入り込める安心感を与えてくれるのだと再認識した。

突如行われた市街戦を屋上から見物。助けを求める声に振り向きもせず森林公園に落ちるザクまっしぐら。
その先で、アルとバーニィは出会う。アルは戦争もモビルスーツも初めて。そんなアルにとってバーニーは、非日常に連れ出してくれる存在、憧れ、”退屈な生活から白馬に乗った王子様”なのだろう。
バーニィとわかれモビルスーツでの戦闘後の人々が傷つく目の前の惨状を見るもどこか他人事で、学校を抜け出して自分が怒られていないかのほうが気になる様子。目の前の”戦争”という陰の非日常と”モビルスーツに乗ってやってきたバーニィ”という陽の非日常を結びつけないのは自分にとって楽しいことしか目を向けない小学生らしさがにじみ出ていて残酷だな~と思った。その後、バーニィと再会するために自分の手でチャンスをもぎ取るアルの行動で、アルのことが個人的にすごく好きになった。物語のレールにのせられて自動的に進む展開、主人公の能動的な行動が見えないストーリーに全く魅力を感じないのでアルの手当たり次第で小賢しい行動がとても好き。
バーニィは車の中でアルに自分をかっこよく見せる嘘をつく。サイクロプス隊の他の隊員と

「いってきます」と元気よく家を飛び出し木々の浮間からこぼれる日差しがキラキラ光る。「公園行って戦争しよ」の友人の誘いを断りたどり着いた”仲間たち”が行っているのはモビルスーツの組み立て作業。「パイロットはバーニーがいい」と得意げな様子。連邦のモビルスーツを見つけるという”隊長がくれた任務”に張り切るアル。
モビルスーツを見つけてニシシと笑う姿は微笑ましい。
スケッチブックに書いた似顔絵は”仲間たち”の姿を残す唯一無二
ジオンが敵という同級生の言葉
Gの所在を確かめるための囮。ジオンが負けて終わると気づいている
ガンダムと五分五分だと息まくバーニー
滅びゆくもののために
ケンプファー?出撃
隊長を抱えるバーニーに銃を向けられる
秘密裏のモビルスーツ開発でジオン軍が責めてきたと警察がクリスに詰める。昨日の犠牲者は死者246名。重軽症者572名。
怪我人を見て。野次馬「逃げたジオン軍の兵士、見つけたら…」「連邦軍は何をやっている」その場から逃げるように駆け出すアル。
クリスマスの夜までにガンダムを始末できなければ核を使ってコロニーごと破壊する気だ、とマスターはバーニィに伝える。
嘘だ!バーニィは…
警察に言って話してやる
ゲーセンでは戦争ゲーム
宇宙艦隊がこのコロニーに責めてきたら…。
クリスは戦うという。私の生き方では、周りの人がいないと生きていけない。逃げる人もその人の生き方。戦えばその人が死ぬ、でも戦わなくても死んでいく。正しい事なんてどこにもない。自分にできることをするしかない。
学校の皆の無事を心配するアルを笑う友人は戦闘の痕を自慢げに見せてくる。不器用に苦笑いしながら涙を拭うしかない。
死刑がなんだ。自分をひとりぼっちにしないためだ
「嘘を言い通す根性も無いくせに」
父さんが家に帰ってくるという嬉しい報告も、父さんまで死んでしまうという悲しい知らせになってしまう
さっきはごめんなさい。僕たちを助けて
そのつもりだ。あいつを倒すためにもう一度攻撃をかけることにした
大好きだよ、バーニィ
サンタさんの風船と発煙筒を盗む時「殺さなかった?」
バーニィが死んだら?不安気
去り際にバーニィ死なないよね?勝てるよね?
クリスの家を優しく見つめるバーニィ、車を走らせる
聖なる夜に願い事。
神様、お願いを叶えてください。
もう二度といたずらしないと誓います。
本島です。約束します。カエル殺して遊ぶの辞めます。蛇やとかげを女の子の机にいれたりしません。だから、だからお願いです。バーニィをお守りください。このコロニーを、皆の命をお救いください。アーメン

核ミサイルを積んでいたジオン軍は連邦軍に既に降伏していた。
もう戦う必要は無かった。

連邦が憎いとか隊長たちの敵をとりたいとかじゃない。(まっすぐ)
上手く言えないけど、あいつと、ガンダムと戦ってみたくなった(目をそらす)
俺は多分死ぬだろうな。そのことで、連邦軍の兵士やガンダムのパイロットを恨んだりしないでくれ。彼らだって俺と同じで、自分がやるべきだと思ったことをやっているだけなんだ。無理かもしれないけど、他人を恨んだり自分のことを責めたりしないでくれ。これが俺の最後の頼みだ。

うなされていても朝はくる。新学期を神様が祝っているみたい

さよならアル。さよならクリス。

校舎や親や兄妹や友人を失った。この平和は、誠に多くの犠牲の上に勝ち取られたものです。君たちにはそのことを忘れないでほしいと思います。そして君たちが大人になった頃、二度と戦争が起こらぬよう平和な世界を築くために真剣に努力してほしい。それが残されたもの勤めであり義務なのです。
アル、泣くなよ。戦争はまたすぐ始まるって。今度はもっともっと派手で楽しくってでっかいやつだぜきっと。
そうだよ。そしたらさ、薬莢なんかじゃなく実弾も拾えるしさ、ひょっとすると軍隊のレーション?くれるかもしれないぜ

DVD
この頃僕は思い出す。
はじめてザクを見た日の事を。
止められなかった戦いの事を。
機動戦士ガンダム0080
バーニィ、忘れないよ

ブルーレイ
今でもたまに夢に見る
運命は信じないけど、悲しいことばかりじゃなかった
機動戦士ガンダム0080
バーニィ、忘れてないよ


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