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僕の第1次森高ブームとブームの終焉、そして第2次森高ブームに至る雑文②

今回はLoma、森高ファンやめるってよ編になります。

かなりネガティブなことを書いてます。
森高ファンの方は読まない方がいいです。

15年前に何故僕の森高ブームが突然終わったのか?を思い出しながら書いてみます。SNSでも結構「森高ファン熱が再燃した」みたいな人を見かけますが、その前段階「どういう経緯でファンを辞めたのか?」「何故、森高を聴かなくなったのか?」にとても興味があります(熱が冷めたのか?と言うべきか)。

数年間は、ずっとアイドル森高千里の熱心なファンだったと思います。

当時の僕は、森高は引退したアイドルという捉え方をしていました。妊娠・結婚・出産・育児・引退したためもう表舞台に立つことはない、新譜の出ない過去のアイドル。もうステージに立って輝きを放つことは無い森高という稀有なライブ女王。

実際には引退ではなく活動休止だったのですが、先輩森高ファンの兄による吹聴「もう復帰しないだろ、現実的に考えて」(原文ママ)もあり、引退したものと認識していました。どうやら兄はキャリア終盤のセールスの落ち込みが気になっていたようです。その後、森高は2013年頃からステージに復帰しますが、本人も「活動を再開してライブやツアーができるなんて全く想像していませんでした」と言っています。兄の見解も強ち間違いではなかったのです。

第1次森高ブームだった頃の僕の心境は、大好きな映画『ある日どこかで』クリストファー・リーヴとダブります。

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大昔の女優に恋焦がれる『ある日どこかで』

あの映画は、偶然見かけた古い肖像写真の女性に心を奪われる話ですが、古写真がLDに置き換わっただけです。

でも、憧れの女性がとっくの昔に死んでるのと、現在も生きてるが隠遁してるのでは距離的に大きな隔たりがあります。

そこで。結婚を機に引退した女性歌手(しかも存命)のファン心理を考える際に最適な人が一人います。『日本武道館さよならコンサート』でマイクをステージに置いて全盛期に引退した山口百恵です。21世紀にあれを見て感動した10代の少年が山口百恵ファンになった心境を考えてみて下さい。そこからずっと引退した山口百恵のファンで居続ける人もいるでしょう。

でも僕はいつまで森高を聴き続けるんだろう?と考えるようになりました。LDやVHSでしか会えない女性歌手に恋するのは、後ろ向きといえば後ろ向きですが、アイドルとは本来「偶像」という意味です。

僕の実感として、1993年『Lucky 7 Live』を全盛期と考えると、正直後期のアルバムやライブ映像を経ての活動休止は、文字通りフェードアウトしていったように映りました(セールス的な意味ではない)。

特徴のひとつだった歌詞は女性向け職業作詞家のような作風になり、オリジナリティも独特のユーモアも感じられなくなりました。森高自身も、1995年に「もう(作詞の)引き出しがない」と発言しています。

ライブの女王だけあってコンサートツアーの度にライブ映像作品を発表していました。ただ、ライブの安定感は増したもののキレや躍動感は確実に無くなっていきました。老け込む年齢でもないのに何故か妙に大人しくなってしまった。ステージ衣装もズボン着用率が上がっていき、ミニスカートで美脚を見せる回数も減っていきます。

決定的にそれを感じたのは、時系列では最後のライブ映像作品になる1998年の『Sa Va Sa Va LIVE HOUSE TOUR』です。これは森高千里ファンクラブ限定販売作品でファンクラブに入っていた兄が入手したVHSです。僕は第1次森高ブームの終わり頃に観ました。

キャリア後期、ステージ上での振りがどんどん小さくなっていく森高、でも明らかにコアなファン向けライブハウスツアーではハッチャケてるだろうと思いましたが、僕はステージ衣装も含めて肩透かしを食らいました。むしろ50代になった現在のライブの方が衣装も含めてハッチャケてるように見えるくらいです。

復帰以降の森高は、過去作を全網羅したコンサートツアーやセルフカバー、ラジオパーソナリティー、音楽番組MCという形での活動が中心で、未だにニューシングル・ニューアルバムを出すには至っていません。
枠組み的には何故か老けない懐メロアイドルという立ち位置です。
新作を出して世に問わない歌手やグループはアーティストだとは思いません。今の僕はライブのチケットを買うぐらい第2次森高ブーム真っ只中ですが、この自論を譲る気はありません。
因みにジャンル的には同じアイドルに分類される中森明菜松田聖子は直近2016年にそれぞれニューシングルを発表、小泉今日子は2012年にニューアルバムを発表しています(Wikipedia調べ)。森高千里の最後のシングルは1999年、アルバムは1998年です。えー!

閑話休題。

僕の人生でハマったアイドルは後にも先にも森高千里ただ一人です。※1
ですが、元々僕の中にはアイドルの居場所はありません。根本的にそういう偶像的異性を好きになる資質がないのです。たまたま兄が森高という妖精を使って、僕に一時的な風穴を空けただけです。なので「森高がいなくなった」から「違うアイドルに乗り換える」という現象は僕には起きませんでした。

根っこが洋楽ロック小僧なので、小難しい理屈を捏ねて批評するのが生き甲斐で、常に新しい音楽・新しいバンドとの出会いに飢えている10代でしたから、現役ではないので新しい楽曲の出ることのない森高を熱心に聴く回数は減っていきました。
当時はガレージロック・リバイバルやポストパンク・リバイバルがまだまだ盛況でしたし、大好きなレディオヘッドの『In Rainbows』やリンキン・パークの『Minutes to Midnight』が出た頃でした。森高ばかりループして聴いてる訳にはいかない。

多感な10代に1993年の森高千里へ疑似的な恋愛感情を抱いたが、キャリア最晩年の森高を見て、結果的にその幻想が打ち砕かれたという一面もあります。当たり前かもしれませんが、1998年の森高千里の中に、1993年の森高千里はもういなくなっていた。
僕にリアルなガールフレンドが出来たのも大きな要素かもしれません。疑似恋愛する必要が無くなった、ということです。

洋ロックで例えるなら、ジギー・スターダスト期のデヴィッド・ボウイが大好きだけど、もうボウイがジギーを演じることは二度とない。ボウイの中にジギーはもういなくなっていまった。でもジギーを演れるのは地球上でボウイだけというジレンマです(この頃はまだデヴィッド・ボウイが存命だったので例えた)。

厳密には隣りにミック・ロンソンもいなければジギーにならないけど、、

「もうアイドルはいいや」
僕はライブLDとCDを兄に返却しました。

さて糞長い雑文も、次の③再会編でおしまいですぞ。

※1 森高はアイドルなのか?アーティストなのか?モリタカなのか?論争をすると、それだけで1本のnoteが出来上がってしまうので止めます。


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