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黒からピンク、ピンクから黒になるまで

退職して5か月、アルバイトを始めて2か月が経った。

「新卒で就職して4か月で退職ってどうなの?自分が情けなくて生きていけない、、」

と思っていた私が、いまは楽しく個人経営のカフェで働いている。

当時下を向いていた私だが、おそるおそる蓋を開けてみれば、高校時代の友人もまた自分の1か月前に勤務先を退職していたことを知り、そのあたりから自由になれた気がする。

ずっとやってみたかった髪色にチャレンジしたり、カフェで働き始めたり。退職前の自分では思いつかなかったことだ。

気づかぬうちに、いわゆる「普通」の呪いにかかっていた。


順風満帆!に思えたが

新卒で就職した先は、県内で一番大きな社会福祉法人。知的障害者支援施設に配属され、生活支援員として社会人のスタートを切った。

就職を機に始めた、古い宿舎でのひとり暮らし。

小さなミスが命に直結する仕事ゆえ、つねに緊張しながらの業務。

まわりに助けを求められる人は誰もいなかった。

みるみるうちに心身のバランスを崩し、3か月の病休を待たず退職した。

それでも退職願を提出する頃には吹っ切れ始めていて、高校を卒業したての18歳ばりの発想と行動力で茶色がかった黒い髪をピンクに染めた。

大学生活4年もあったのに、いつも実習だのバイト(派手な髪色禁止)だの重なり、人生で一度は派手な髪色にしてみたいという願望は叶わないまま卒業してしまった。

そしたらまあそれが転機となり「今しかできないことはなんでもやってみたい!」の思いでどんどん行動した。

人間は儀式的な行いをすると、一時的に何らかの効果をもたらすらしい。

ピンクの髪は、当時の自分に活力を与えてくれた。


「働きたいです」

中学の頃行ったっきり、しばらく行ったことがなかったりんご畑併設の小さなカフェ。ローカル番組で取り上げられているのを観て、久しぶりに母と行ってみた。

レジのあたりに小さく「スタッフ募集」のメモ。

思わず「働きたいです」と口走る、衝動性の強いピンクの頭。

休養中、アマプラで観た 映画『さいはてにて〜やさしい香りと待ちながら』に影響を受けまくっていた。

カフェで働いてみたい。

性格上、実際にやってみないと納得できない。ピンクヘアもそう。今しかないと思った。

オーナーを戸惑わせつつも、後日面接の末、晴れて働かせていただくことになった。


スコーン

初めて自分の手でスコーンを焼いた時の感動は忘れない。

重い卵アレルギーだった私にとって、卵を使用しないスコーンは「少ない選択肢の中から選べる数少ないお菓子」という存在で、好き好んで食べたことはなかった。

ところが、オーナーから教わるスコーンはおいしいのである。

英国ルーツのお客様から「英国でNo. 1になったカフェのスコーンよりおいしい」と言ってもらえるほどだ。

それまで「小麦粉は小麦粉、砂糖は砂糖、全部一緒!」と思っていた私の価値観が覆るきっかけとなった。

スコーンを覚えたら、ランチで提供するキッシュやスープ、定番の焼き菓子までどんどん教わった。

何者でもなかった私が、自分の手で作ったものをお客様に提供する楽しさを感じている。


どんな風に働きたいか

ひとりの友人が来店した。

彼女はカウンターに座り、クランブルケーキを食べながら学校の課題に取り組んでいる。

私はその横で作業をしながらしばし談笑した。

そこにはゆったりとした時間が流れていて、映画のワンシーンと言ったらおこがましいが前述した映画で憧れたような「理想の働き方をしている」と思えた。

体調不良で休んだ日には

「うちはゆっくりでいいからね」
と励ましいつも通り接してくれるオーナーに

「熱はないの?大丈夫?」
と心配してくれる常連さんもいる。

小さな田舎ではピンクの髪色をしている人は珍しく、お客様とのコミュニケーションツールにもなっていた。


在学中に就活して、求人のある組織に入って働く。

基準は狭い視野ではかる「立派」であるかどうか。

肩書きやわかりやすい名誉ばかり気にしていたのかもしれない。

これだと思い込んでいたものがそうでなかったときの喪失感は大きい。

しかし、

自分が意識しないところにチャンスは転がり、道は開けている。

自分が見えていないだけで、まだまだ自分の可能性を見出せる場所はきっとあるのだ。

働くなら、楽しく働きたい。
それがアルバイトでもいい。

まだ見ぬ出会いにわくわくしながら、根本は黒く生まれ変わっていた。

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