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他に目もくれずに没頭したことってありますよね。
そして諦めたり飽きたりしたこともかなりあるはずです。
日常の様々な刺激で忘れ去られるそれらを、今一度思い出してみるのはどうでしょう?
というわけで、久々に文章を書いています。

元々もやしは暇つぶしに物書きを始めました。
パソコンやスマホと簡単なテキストツールがあれば無料で始められるからです。
しかもラノベを山のように読んでいたもやしに物書きの抵抗はありません。
なんなら脳内に埋め込まれた中二病スイッチをひとたび押せば、あれよあれよと妄想が捗るわけですよ。
気付けば半年以上、毎日3000文字(原稿用紙15枚)以上を書くなんて芸当をしていました。
今思えば頭のおかしい所業ですね。

当時を振り返ればとにかく書くことが面白く、暇潰し以上に時間をぶち込んでいたのがわかります。
しかも幸いなことに、その処女作が出版されたんですよね。
もやしが「才能あるんじゃね?」と誤解してしまうには十分なイベントでした。
ともあれ、その出版経験が逆に足を引っ張ることになるとは思いませんでしたが。

それは出版を経ることで評価軸が激変したことが原因でしょうね。
というのも、企業はボランティアではないので、評価はすべて売り上げなんですよね。
面白いかどうかではなく、売れたかどうか。

もちろん、Web掲載していた頃も閲覧数や☆の数、コメントなどで評価は受けていました。
初めは鳴かず飛ばずで、100日書き続けても閲覧数は伸びずに一日数百件とかでしたね。
どう考えてもやり続ける理由などありませんが、もやしが書き続けたのは『面白いから』です。

いつでもワクワクしながら次の展開を考えて。
書いてしまった、どう見ても無理ゲーなストーリーをどう決着させるか苦心して。
そして何より『自分が読み返して面白い話を書かないと意味がない』と今でも確信しています。
せっかく自分で作り上げるストーリーなのに、面白くない物作るとか地獄ですからね。

そして何より、書くこと自体は『好きなだけ続けられる』のです。
また、自分さえよければ取り返しのつかないことはないし、ストーリー展開は自由です。
それによって見放されるのも人気が出るのも自分が原因です。
いいえ、そもそも書かない自由まであるのです。
今思えば自分が読むために物語を考えていたので、その他の読者は関係なかったんですよね。

それが商業では出版社によって続編の運命が決まります。
完結させたいと願っても売上がよければ『続きを書け』と迫られ、悪ければ連絡さえないでしょう。
何なら打ち切りの理由が売り上げだけとは限りません。
社内の規約かもしれないし、都合やただの機嫌かもしれません。
続けるのも打ち切るのも出版社次第で、しかもその基準は出版社で異なります。
作家の意向はほとんど聞き入れられません。

ともあれ、商業になると影響が出る変数が膨大になり、もはや原因追及など不可能です。
個人から組織に組み入れられた弊害でしょうね。
こうした出版経験はもやしの価値基準を激変させました。

それは価値観の上乗せ。
気付かない内に『評価を得られる面白い話を書く』ことを自分に課していたわけです。
特に問題なのは『評価』に意識が向いているところです。

評価されたいので、何を書いても面白くありません。
面白くないから書けず、書けなければ評価もありません。
評価されるために『書かないといけない』と焦燥感だけが募ります。
そうして何とか書き上げたものを投稿しても、期待したほどの評価は得られません。
ただでさえ低いモチベーションは下降の一途をたどり、続きを書く気力は消滅します。
それが二度・三度と続ければ、書き始めること自体が嫌になります。
求めてる評価が得られないのに、膨大な『苦痛の時間』を費やしているわけですからね。

しかし価値基準が完全に切り替わっているのであれば、『評価されることに楽しみ』を見出していることになります。
読者のニーズを模索したり、流行りに乗ってみたり、新境地を開拓してみたり、と楽しめる材料は山積みです。
特にもやしは好奇心旺盛なので、あれやこれやと試すことは大好きなんですよねぇ。
だというのに楽しめない。何なら苦痛すら感じる。
不思議な話ですよね。

結局ところ、もやしは自分のために話を書くのが一番なのでしょう。
こんなストーリーが読みたいな、こんな展開面白そうだな。
書く機会が随分減った今も場面だけはばっちり脳裏に浮かんできます。
けれど評価の味は忘れられないようで、書いていると面白いと感じなくなるんですよねぇ。
困ったもんだ。

だがしかし。
あれだけ『これって面白いのか?』と苦心して苦悩して絞り出した話を読み返すと――すべてが実に面白い。
後の展開も覚えているにも関わらず、とにかくもやしの好みが反映されていてとにかく面白い。
ふと『成長してないのかな?』なんてことが頭を過るも、文章的な違和感はあるので、そうでもないらしい。
つまりどれだけ悩んで書いても、少なくとも自分にだけは完全に突き刺さる話になるみたいです。
そう考えると自分ってすごいかもしれないな、って衝撃を受けますよね。

まだまだ評価の呪縛からは解放されてはいないけれど、前々から感じていた違和感が少しばかり吹っ切れた気がします。
今一度、無心で書き始められる環境を構築していきたいですねぇ。

#面白い #小説 #あの頃 #熱中

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