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哲学・日記・メモ「ハレとケ 年賀状の事」

「ハレとケ 年賀状の事」

年賀状を書かなくなって久しい。しかし年始の挨拶を全くしないわけではなくて、メールで送信してはいる。これでいいのか?と思う事はあっても、それを20年も続けてきていると、それでいいのかもしれないと、開き直りでは決してない省察の結果として、今では受け入れている私がいる。
と言うのも次のように考えるからである。

メールでも心づかいが伝わっていれば良いのではないだろうか?
手書きでも走り書きで紋切型であれば残念に思ってしまう、ならば文言が印刷のみであった方が社交辞令としての潔さというか誠実さが伝わるというものである。
極論を言えば日頃のちょっとした付き合いの中に誠意があれば、節目の誠意なんて紋切型で会っても構わない。皮肉っていえばそれが出来ないからこそ、節目節目の「ハレ」の機会に言葉を飾り立てるのではないか?そのように「ハレ」でもって「ケ」を一気に清算しようとする事は、むしろ社会やコミュニティの「歪み」を認めていることになるのではないか?
私が年賀状を書く事を止めたのは、決して単にそれが面倒になったからではない。

2023年12月30日岡村

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