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哲学・日記・メモ「酷薄な人間と情に厚い人」

酷薄な人間と情に厚い人                       酷薄な人間が考える間もなくとっさに人を助けてしまい、時の人となることだってある。                             情に厚い人が、熟慮の時間が長くある故に、あらゆる可能性に情を傾けすぎて身動きが取れず、結局何も行動を起こせずに誰も助けらないことだってある。                                この時酷薄な「人間」は「縁と起」によって、その関係性に於いて賞賛されるのだし、同じくこの時、情に厚い「人」は諸情の板挟みに合い、自ら決断できずにその「主体性」に於いて非難されるのだろう。              人と人との間柄(人間)と不可分な縁起、はそういった理不尽を受けいれなければ嘘であるし、また自らの生き方を決定していく実存の「主体性」は、必ずしも決断に裏付けられなければならない、訳ではない。決断できずに迷う「主体性」だってあるはずである。と思うから。                                                           

                     2021年2月10日 岡村正敏

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