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日本語は正しく使いたい -誹謗中傷問題に添えて-

こんにちは。okknです。

名古屋市内には、東京のように環七や環八があるわけでもなく、大阪のように一方通行の東西南北専用通りがあるわけでもありません。
なので、名古屋市内一周といえどもかなり適当な感じでバイクで走り回ってきました。
名環?走りませんよ?
高速なんて走ったらすぐ終わるじゃないですか。

今日は日本語について。

最近、テラスハウスに出演されていた木村花さんがお亡くなりになったことに関連して、SNSでの誹謗中傷が問題と化しています。

この話に直接的に関わることは申し上げません。
ただ、Twitterなどを見ていると批判と誹謗中傷を誤用しているとみられる人が多いこと多いこと。
そもそも意見ではなく誹謗中傷に誹謗中傷を返している人も見られ、なかなか混沌としております。
(だから私はTwitterでは発言したくないのです。)

なので、一度誹謗中傷に関連した語句の整理をしようと思った次第でございます。
今回は語句の意味については、全て「広辞苑 第六版」を参照するものとします。

・・・

では、まず「誹謗中傷」から意味を見ていきましょう。

誹謗中傷:根拠のない悪口を言って相手を傷つけること。

超簡単に言ってしまえば、「悪口を言うこと」ですね。
悪口とはどのような言葉を言うのでしょうか?
私が思うに、人の尊厳を踏みにじるような言葉であると思っております。

こう言うとなんとなくわかってくる気がしますね。
悪口とは人の尊厳を踏みにじる言葉全般を指しているのだと思います。
まだ、分かりづらいですかね?
人が人として生きることを否定しているという話です。

誹謗中傷の言葉の発する側は受け取る側に対して、敬意なんて微塵もありません。
当たり前ですね。
敬意があれば、誹謗中傷をそもそも言おうとはしないでしょう。
私は違憲にならない程度の言葉狩りを否定するわけではありませんが、道徳の授業時間で何を習ってきたのかと言いたいです。

人が人を思いやる優しい世界では、匿名だろうが実名だろうが人の心から敬意は消えることは決してないと思います。

類義語として「誹謗」「中傷」「罵倒」「罵る」「罵詈雑言」などがあります。

・・・

次は「非難」についてです。

非難:欠点・過失などを責めとがめること。

「誹謗中傷」と「非難」を勘違いしている人も多く見受けられました。
非難にはそもそも悪口は含まれません。

「責める」「咎める」の意味はあくまでも「取り立てて問いただす」ことです。
悪口を言うことではありません。
非難している最中に、悪口が混ざってしまえば、それは誹謗中傷に成り下がります。
議論の場でもしばしば問題になることがあります。
誹謗中傷が議論の場に出てきてしまうと、悪口の応酬会に早変わりしてしまいます。
とりあえず落ち着いてほしいですね。

少し話が逸れましたが、非難とは欠点・過失について特に問題として問うことですね。
例えば、「なぜこんな簡単なミスをするのだ」や「この資料は誤っている」といったことでしょう。
非難は相手に対して答えを期待してのことですが、大概建設的にはなりえません。
なぜなら、主観が混じっているからです。

非難の言葉を発する側からすれば、自分が納得のいく回答が得られるまで非難することを止めません
そしてそれは、議論ではありません。
非難というものはいわば「何かについて期待をして、裏切られた怒りが攻撃として発せられているもの」であると私は考えています。

誹謗中傷よりは理非を弁えている言葉ではあると思いますが、それでも感情が混じっています。
故に、良くないと私は感じています。

・・・

最後に「批判」についてです。

批判:物事の真偽や善悪を批評し判定すること。

「批評する」がよくわかりませんね。

批評:物事の善悪・美醜・是非などについて評価し論ずること。

前の2つの言葉と決定的な違いとして、感情が混じってはなりません。
即ち、批判とは客観的な事実に基づき論じられた言葉でなければならないのです。

批判とは、派閥(賛成派・反対派など)によって全員の意見が概ね合意を得るところに収束するものだと思っています。
なぜなら、客観的な事実に基づき論じているのなら、個々人の思考しか違いは無いはずですから。

批判は物事について詳しく調べた上で良し悪しを確かめて、判定までがセットです。
そして、近頃の日本語を察するに、批判とは主に判定のプロセスにおいて「否定的な意見」として判定されたものを指す場合が多いようです。
この点については、言語とは移ろいゆくものであるがゆえに誤りだとは言えません。
しかし、もともとは判定をして肯定的な意見でも否定的な意見でも「批判」と言っていたことを忘れないようにしたいものですね。

結論的に、感情が見え隠れするような否定的なツィートは全て批判とは見做せない、ということが言いたかったことです。

正しく批判をする人は、大概どうすればより良くなるか「助言(アドバイス)」までセットで考えています。
これこそが、他人への敬意というものではないでしょうか?

・・・

ITエンジニアをしていると日本語にも英語にも少しうるさくなってしまいます。
コミュニケーション上の認識齟齬はシステムの品質に大きく影響してしまうからです。
故に、常日頃から正しい言葉を使うようには心がけているつもりです。

意味を理解して正しい言葉を使うことは、正しい共通認識を生み出すものだと信じております。

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