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【Album】影のある光景

【Album】影のある光景

こんにちは。
今回のテーマは「影のある光景」。
「影」をじっくり見て撮った写真たちをセレクトしました。
ご覧ください。


影について

私は、影をよく撮る。たかが影、されど影。写真に取り組んでいなければ、影がそこらじゅうにあっても何も気に留めずにいたであろう。しかし、影はときに絶好の被写体になる。
写真に取り組むうちに、影を見つける度に「あっ」と頭が反応することが増えた。大半の影は、一瞬の「あっ」で見終わり、通り過ぎる。しかし、ほんの一部、「あっ」の後に、写真に収められないかと考えをめぐらす影もある。それは、「フォトジェニック(っぽい)な影」である。そして、それがうまく写真に収められそうと判断すれば、影にカメラを向ける。

影がどこかに写り込んでいる写真は非常に多くある。なぜなら、光がある世界には、必ず影ができるから。我々の視界の中のどこかには必ず影があり、必然的に、フレームに切り取った風景の中にも影が写り込むことになる。そのため、影がどこかに写り込んでいる写真のほとんどは、フレーミングした風景の中にたまたま影があったために影が写っただけの写真だろう。
しかし、最近は、カメラで撮る(=フレーミングし、シャッターを押すことで切り取られた風景(世界)を写真の中に静止させる)ことで、「影を起点に光景をつくる」ということをすることもある。それがどんな取組み方であるかは写真のあとに語りたい。

まずは、「影を起点に作られた光景」を見ていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。

Ⅰ. 広場 ―3つの視点より―

広場は、影をうつすシアターである。





Ⅱ. OLD JAPANESE SHADOW




Ⅲ. 晴天の江ノ島にて





Ⅳ. THE TREE IN NIGHT GROUND





「影のある光景」について

さて、「影のある光景」とはどんな光景と定義すればよいか。夜の部屋で一人、これらの写真を撮ったときの状況を思い出しながら考えたが、言葉にするのが難しい。そんな中で私が創り出した定義は、以下である。

影の発見によって起こる、その影のある空間に対する見方の変化によって生じる、その空間のようすに対する解釈や印象をもとに切り取られる光景

この定義は拙いものであると思うが、その拙さは言語化の難しさの表われと思っていただきたい。
かみ砕いて説明すると、まず、「影の発見」とは、影を見つけて「あっ」と心・頭が反応することである。単に影が視界の中にある状態ではなく、「あっ」という反応が起きることを「影の発見」としている。
そして、影に無意識である状態と、「発見」をした状態では、影そのものに対する見方や印象だけでなく、その影が存在する空間に対する見方も変わってくるだろう。具体的には、「影の発見」のあとは影を中心としてその空間を見るようになる。これが、「影の発見によって起こる、その影のある空間に対する見方の変化」である。
そして、影のある空間を、影を中心に見るという見方で見ると、まず考えるのは影とその周囲の物体、もしくは影と影を映す面との関係性である。そこから、その影のある空間に対する、新たな解釈や印象が生じる。その解釈・印象は影を起点とするものなので、影を起点としない解釈とは影の扱い(=影の捉え方やその空間における影の役割)が違う。そして、その解釈をもとにその空間を写真に切り取ると、それは影そのもの、もしくは影と周囲の関係性が主題として鮮明に写る写真となるだろう。これが、「その空間のようすに対する解釈や印象をもとに切り取られる」ということである。
こうしてできあがる光景が、「影のある光景」であると考えている。

もうすこし簡単に言えば、ある影を見て「あっ」となったあと、その影の形、影がまとう雰囲気をつぶさに見つめ、影を様々な角度から観察し、その影を取り巻く空間を改めて観察し、影を中心に風景を切り取り、「影のある光景」にするということである。

少し難しい話になってしまったが、これが私が写真を撮るときの影との向き合い方である。ただし、この文字数の多さに比するほど、大層な作業ではない。実際はそんなに長い時間は考えずにサッと写真を撮っている。
そして、影をこのように見る感性は、多くの写真を撮り、多くの写真を見る経験がなければ得られないものであると思う。写真撮影を趣味にすることで見方が変わってくるモノ・コトは、影の以外にも多くあるだろう。

ご覧いただき、ありがとうございました。


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