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「大吉原展」の展示構成について考えてみる-吉原の光と闇の双方を伝えるには-


はじめに-吉原の光と闇を両面を展示で伝えるには?-



先日大吉原展に行ってきた。

開催前から主に宣伝部分についてSNS中心に議論が起こっていたが、休日午後の展覧会は盛況だった。


私自身学芸員資格を持っており
展覧会にも携わったことがあるので、
これで閑古鳥が鳴いていたら運営的に辛いだろう…
と勝手に思っていたので少しホッとしました!

ただ、本展覧会については素晴らしい面がありつつ、「もっとこうしたら良いかも!?」と考えたところがあった。

今回の展覧会の主旨を考えれば少し的外れかもしれないが、吉原の光と闇の両面をしっかり伝えるには、という思考を軸に述べる。

※以下展覧会のネタバレあり。一鑑賞者の感想であることをご承知ください。
また、本記事では広報面には触れず、あくまで展示内容について言及します。

1.素晴らしいと感じた展示

まず展示資料の質、量共に圧巻の一言。

本展の吉原にまつわる絵画や工芸品は230点にも上り、過去にこれまで吉原の資料が一堂に会する展覧会はあっただろうか、と思うほど豪華!
本展の協力美術館リストはかなり長く、運営側の尽力には頭の下がる思いである。

また、遊女の1日や吉原の四季をテーマに展示を切り取る構成は、日本の時節と吉原が共にあったことを体感できる視点であった。

加えて、管絃や歌の嗜み、客との手紙のやり取りなどにおいて遊女には文化的素養が求められ、聡い者もいた、という目線の展示も興味深いものだった。

技量や内面を磨くことも求められ、浮世絵に顔を残した一部の遊女たちは、市井の憧れであり、疑似恋愛の対象であり、悲哀の象徴でもあり、娼婦でもあった…そんな彼女たちに求められるものの多さと、その多面性に展示として切り取ることの難しさを感じた。

2.もっとこうしたら良かったのかな?と思った展示


2-1.吉原の負の側面を展示すること


やはり、吉原の負の側面を展示したスペースは一つ欲しいと思った。

家族による人身売買、膨らむ借金、蔓延する梅毒、苦労を抱える人々が働く切見世…といったワードは登場するが、負の側面を表現した絵や工芸品は少ないこともあり、負の側面を鑑賞者に伝えきれていないと感じざるを得なかった。

絵や工芸品が難しければ、文学作品や後世の文字資料、周辺取材などで攻めるのも悪くないと個人的には考える。

例えば、実際に展示にあった樋口一葉の「たけくらべ」は遊女の哀傷が描かれている他、近世〜現代にかけて多くの文字資料で遊郭の悲惨な現実が語られ、研究されている。

また、浮世絵では描かれない末路を辿った女性が多くいたことも述べるため、遊女の遺体の投げ込み寺と呼ばれた浄閑寺にまつわる資料や、寺への取材があっても良いだろう。
現代人よりもあるかに宗教が思想に反映されていた時代だったからこそ、宗教から見た吉原という目線も興味深い。

華やかさはないスペースになるだろうが、光が強いほど闇は濃くなる、という法則は吉原という絢爛豪華で実に虚しい世界に当てはまるのでは、と私は考えている。
ゆえに、例え絵などの展示が揃えられなくても、何らかの形で凄惨な一面を鑑賞者に伝えるために、企画・運営には足掻きが求められると思うに至った。

個人的には、3階の展示で鑑賞者がただ吉原に来た客になってしまわないか心配だったので、最後に負の側面を展示するエリアを持ってきて「今まで見てきた展示の裏側、こんな感じですけどね!」というように鑑賞者を裏切りながら客という眼差しを外したい。

例え資料に存在感がなくても「運営として展示資料に苦慮しましたが、吉原の絶対に負の側面は外せないので悪しからず…」的なことを書いてでも押し通したい。

そして、凄惨な側面も十分に打ち出したその時、絵や創作で彩られたフィクションの吉原を超え、ありし日の吉原が浮かび上がるのではないか。

2-2.吉原に存在した女性たちの眼差しを重んじること-四代目子稲の例-

展示にあった高橋由一の「花魁」油彩画は実在の遊女、四代目子稲を描いたものだが、子稲自身が油彩画の顔は似ていないと述べた、というキャプションがあった。

再現度の真偽はさておき、小稲は浮世絵にも描かれているなど様々に描かれてきた一方で、絵に残る遊女は誰かの眼差しを通したものでしかないと、彼女の発言からふと思った。

小稲は飲食店を営み、その後婚をするなどその足跡を辿ることが可能な人物である。そんな小稲の資料を集約し、一人の遊女の人生を辿れる展示はどうだろうか。

吉原の絵の多くは男性の眼差しから生まれたものであり、(それはそれで価値があるのだが)一人の遊女の眼差しをどうにか見出すこと、それが小稲であれば出来たのではないかと考える。

無名の遊女たちでそのような展示が成立しないのは悲しいが、一つ女性の眼差しを見出す試みをすることで、我々は客ではない立場で彼女たちを見つめる者になれるのではないだろうか。

おわりに

これまで色々と述べてきましたが、あくまで筆者は一鑑賞者として外野から語っているだけであり、運営の皆様には計り知れないご苦労があったと思います。

吉原にまつわる資料を展示することは非常に難しく、現代では忌避されてしまうテーマになりかねないところ、このような大規模展覧会が催されたこと自体価値あるものと考えます。

改めて、本展にまつわる全ての人々に心からの敬意を称したいと思います。


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