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No.446 「文は人なり」の言葉の体温を感じさせてくれたコラム

人の親になられたお母さんなら、思ったことがあるのではないでしょうか?
「自分は、地球上に人類が誕生して以来、この子に出逢えた幸せを思う時、一体、これまでどれほどの人が、生まれたんだろう?」
と…。ちょっと想像もつかない数ですが、この質問にみごとに答えたコラムがあるのです。讀賣新聞コラム「編集手帳」(2009年4月7日付)がそれです。いいお話ですので、無断借用しちゃいましたが、筆者のご寛容を願うばかりです。ぜひ、ご一読ください。

普段、知ったかぶりをしてあれこれ書き散らしている身から出た錆(さび)で、読者の方からときにむずかしい質問をいただいて頭を悩ます。何日か前のお便りで、「過去から現在に至る人類の総数」を聞かれた◆存じません、では愛想がないので書棚を引っかき回し、アーサー・クラーク著「2001年宇宙の旅」の一節をコピーして返信に添えた。〈時のあけぼの以来、およそ一千億の人間が地球上に足跡を印した…〉とある。数字の当否は見当もつかない◆はがきをくださったのは、埼玉県内の若いお母さんである。じきに1歳を迎えるお子さんの寝顔を眺めていて、ふと、「この子の母親になれたのは人類で私ひとり…」と気づいたことで兆した問いという◆「一千億人のなかで一番」の幸せをかみしめるのか、育児の疲れを「一千億分の一」という奇跡のような縁(えにし)の糸で癒やすのか、数字の使い道は分からない◆青い鳥の住処(すみか)はチルチルとミチルの物語で知っている。知っていながらついつい忘れ、いつも不機嫌な顔ばかりしている。思い出させてくださって、ありがとう――返信に書き落とした1行をここに書く。

「文は人なり」とは、18世紀フランスの博物学者で啓蒙思想家のビュフォン(1707年~1788年)という人物が、アカデミーフランセーズへ入会する際の演説「文体について」の中で述べた言葉だそうです。「文章を見れば、書き手の人となりがよくわかる」という意味でしょうが、読売新聞の当時のコラムニスト・竹内政明氏のお人柄が透けて見えて下笑(え)ましくなるようなお話です。

筆者は、読売新聞社に入社後、長野支局を経て、東京本社経済部で財政、金融などを担当されました。1998年から論説委員となり。2001年7月から読売新聞1面のコラム「編集手帳」を担当して来られましたが、2017年体調不良により同僚に筆を託されました。弱きを助け、強きをくじき、鞘に納める太刀捌きのような筆の運びに、私など憧れてしまいます。

先日、第3期OBJ(大分馬鹿爺の略)の称号を娘から頂いたばかりの私です。「娘」から「母」と呼ばれる存在になれたからこそ、その味わいも一入増すのではあるまいかと思い、このコラムを紹介しましたが、同時に、読んでくださるすべてのお母さん方にも贈りたいと思います。