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写真のように 第5回 写真集だけではわからないこと 展評「石内都展 見える見えない、写真のゆくえ」(西宮市大谷記念美術館)

写真家が表現するメディウムといえば写真集だが、それだけで彼らの意図を十全に理解することはできないし、それに留まる性質のものでもない。写真家・石内都の写真展を見るたび、写真の潜在能力とその深さを思い知る。これまで、国内外石内の展示を見てきたが、その自由闊達な展示空間の使い方と作品の選択にはいつも驚かされる。平面の写真を3次元空間に解き放ち立体的に見せる天衣無縫な想像力、と言うべきか。石内の展示はそれ自体がマジックであり、つねに鮮烈な視覚体験に満ちている。折しも全世界がコロナ禍に入って2年を迎える最中、石内は関西地域で初の大規模な個展となる写真展「石内都展 見える見えない、写真のゆくえ」を、兵庫県西宮市にある西宮市大谷記念美術館で開催した。誰もがふさぎ込み、明日の見えない日々を送るなかで、石内都は私たちに何を見せ、何を伝えようとしたのか。注目の写真展をレポートする。

最近の石内都展

コロナ禍に入って開催される石内の展示は本展で2件目で、2020年秋に石内は栃木県の足利市美術館で開催された企画写真展「瞬く皮膚、死から発光する生」(*1)展に、8名の作家のひとりとして参加している。このときは、シリーズ「1・9・4・7」(*2)から2点、「1899」(*3)から3点、「INNOCENSE」(*4)から2点、「ひろしま」(*5)から3点を出品した。いずれもモノクロ作品である。この機会に新作を発表する作家が多いなか、石内は新作こそなかったが手足を撮った作品を巧みに組み合わせて動的な展示を展開し、キャリアの違いを見せた。
また、本展から遡ること3年、2017年末から2018年にかけて横浜美術館で開催された「石内都 肌理と写真」展もまた、石内の空間演出の巧みさが光る展示であった。同展は2017年時点での集大成的な内容で、石内の実家でありアトリエが横浜市金沢区にあった関係もあり、初期の「Apartment」「連夜の街」「Bayside Courts」、1992年に発表されたのち封印されていた「互楽荘」など横浜に縁がある作品や「ひろしま」「絹の夢」などの近作と並んで、記録映像「暗室 最後のロールプリント」が出品されていた。この映像作品は、本展「石内都 見える見えない、写真のゆくえ」にも出品されているが、このことは展示意図と深く関係していると思われるので、追って考察・解題を行う。このように、近年の石内の展示は、少しづつ形を変えながら新作も加え、美術館の展示室との調整を繰り返しながら、つねに次を模索している。

響き合う「ひろしま」と「フリーダ」

今回の「石内都展 見える見えない、写真のゆくえ」展が行われた西宮市大谷記念美術館は、関西の財界人・大谷竹次郎(*6)の自邸と収蔵していた美術品の寄贈を受けて開かれた美術館である。岡本太郎、山口牧夫、津高和一らの彫刻が置かれ、美しく整備された庭園が同館の特徴でもあり、石内が個展会場に決めた理由もこの庭園にあるとされる。

まず、「石内都展 見える見えない、写真のゆくえ」の展示構成について。展示作品の配置は美術館1階の展示室Ⅰに「ひろしま」と「Frida by Ishiuchi」、「Frida Love and Pain」。2階の展示室Ⅱに「連夜の街」、カラー版「連夜の街」スライド、「絹の夢」。同展示室Ⅲに「sa・bo・ten」と「Scars」、「INNOCENCE」、「Naked Rose」。1階に戻り展示室Ⅳに「One Days」「Yokohama Days」、新作の「Moving Away」と「The Drowned」、映像作品「暗室 最後のロールプリント」(2008/2017年)。以上が出品作品の構成となる。

会場中、最も広いスペースとなる展示室Ⅰには「ひろしま」とフリーダ・カーロの遺品を撮ったシリーズ「Frida by Ishiuchi」、「Frida Love and Pain」(以下、フリーダ)が展示される。一方は無名の女性たち、もう一方は美術史のイコンである女性画家が遺した衣服や遺品が、それぞれ「ひろしま」は紫色と水色、フリーダは赤に塗られた壁に分けて展示されている(fig.01、02)。石内の写真の展示は独特で、壁に縦横に定めたグリッドに沿って整理して並べるのではなく、エディトリアルデザインにおいて図版をリズムよく配置するように、サイズを大小取り混ぜて千鳥状に掲示する。展示室の空間は美術館ごとに異なるために条件は一定ではないが、石内はこれを逆手に取るように、作品の絵柄とサイズを巧みに組み合わせながら、画家がキャンバスに絵筆を使って描くように自在に展示空間を創っていく。

「ひろしま」は、今回の展示で石内が最も見せたい作品だったそうだ。同作は、2008年に広島市現代美術館において新作として発表されているが、広島に近い関西での展示のトップに本作を持ってきたのは示唆的であり、これに東京・資生堂ギャラリーと横浜美術館以外では国内初公開となる「フリーダ」を組み合わせたことにも意味があると考えたい。一方は無名の女性たちの、もう一方はひとりの女性芸術家の、それぞれの痛みと時間を写真で顕した作品である。

会場で、「ひろしま」の展示の壁に塗られた水色の壁色は「フリーダ」が撮影された「青い家」(*7)の壁の色で、「フリーダ」が掛けられた赤い壁は原爆ドームの赤レンガの色であることに気づいた。もちろん、実際の「青い家」と原爆ドームの壁の色とは大きく違うだろうが、意図されたものかどうかはともかく、それぞれの作品の背景にある象徴的な建物の色と作品が掛けられる壁の色が交差しているのは興味深い。「ひろしま」は青い空を求め、「フリーダ」は情熱の血の色である赤を求めているのであろうか。そしてこの景色は、石内の眼と作品を通じてメキシコと広島、原爆の光の下に生きていた無名の女性たちとフリーダ・カーロというひとりの女性が、時空を超えて響き合う光景を想起させた。写真はまるで生を湛え意志を持つかのように共振し、「ひろしま」と「フリーダ」の出会いを喜び、そのひとときを謳歌しているようにも思えた。写真の力などと軽く口にしたくはないが、そう言うしかない写真というメディウムがもつ潜在的な力を目の当たりにした瞬間でもあった。

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fig.01 、02 
西宮市大谷記念美術館「石内都展 見える見えない、写真のゆくえ」、展示室Ⅰおける「ひろしま」「Frida by Ishiuchi」、「Frida Love and Pain」の展示。それぞれの作品の壁の色に注目。水色が「ひろしま」、赤がフリーダ・カーロウのシリーズ

「連夜の街」史料化された戦後の記憶

2階の展示室Ⅱに展示される「連夜の街」は、ガラス貼りの壁面展示ケースに収容され、あたかも博物館における史料のように掲示された。部屋全体の照明は落とされ、入口付近にはスライド映写機でカラーポジフィルムで撮影された「連夜の街」が、ガラスの展示ケースに投影される。
写真作品の展示は、美術館というハードウェアとの闘いでもある。今回の石内の場合、展示室に固定されたガラスの壁面ケースが立ちはだかった。これはいわゆる博物館で史料や遺物といった“オブジェクト”を展示するために使われる壁面据え付け型のガラスケースで、西宮市大谷記念美術館が所蔵する掛け軸を展示するためのものだった。これに対して石内は、ガラスケースを逆手に取る。

石内は展示室Ⅱの展示作に「連夜の街」を選んだ。そして、旧式の木製水張りパネル(*8)で額装されたオリジナルプリントを用いた。1980年4月、「連夜の街」は同名の写真集の出版を前にニコンサロン東京で展示会(*9)が行われ、このとき出品された水張りパネルで額装された写真が今回出品された。近年の写真作品の額装はマットを使ったフレーム額装が主流で、木製水張りパネルによる額装はあまり見かけない。国内外の美術館での展示機会が増えた石内にとって、自身が所蔵する作品のなかで水張りパネルで額装されたプリントはほとんど出番が無い。また、プリントの売買においても水張りパネルは不利だ。というか、ほとんど売り物にならないと思われる。ただし、水張りパネルで額装された写真はそれ自体が史料然とした形態をしており、博物館では史料としてガラスケースで展示されることもある。

ここからは筆者の推察だが、西宮市大谷記念美術館での展示に至り、眼の前にガラスの壁面展示ケースがある。久しく機会がなかった水張りパネルの「連夜の街」に登場してもらおう、という流れで展示に至ったのではないだろうか。結果として、石内の選択は正しかったと思う。ガラス貼りの壁面展示ケースで展示された「連夜の街」は、立体的な水張りパネルによって存在感を増し、マットフレーム額装したプリント(*10)よりも戦後史の証言者である赤線売春宿の存在を際立たせているからだ。興味深いことに、石内は過去に著書『モノクローム』(*11)で、「連夜の街」を「歴史から降ろされた街」と書いている。また、同書では「連夜の街」は初期三部作(*12)の中で一番辛い仕事であり、その理由を「その辛さは私が女であることにつきる」とも。推測だが、石内には重く辛い仕事だった「連夜の街」=赤線を歴史の表舞台に押し上げることで、ある種の解放を試みようとしたのではないだろうか。それは、本展において「連夜の街」を美術館のガラスケースに丁重に納めて展示するという行為が証明していると思われる。だとすれば、これはドキュメンタリーではなく個人史(*13)から、歴史を問い直すという希有な手法であり、同時に男性主観の戦後史への異議申し立てという重要な意図をも含んでいる。

さらに、同じスペースには「連夜の街」カラー作品のスライドショーが設置されている。これは内部の照明を落としたガラスケースにポジフィルムを詰めたスライドプロジェクターで直接投影するもので、本展が初公開となるものだ。この映像は、未公開の石内作品として貴重であるばかりでなく、スライドプロジェクターが奏でるスライド交換音も相まって「連夜の街」をより立体的に見せていた。展示室Ⅱにおける展示は、本展の勝負どころというべき内容であり、展示巧者・石内都の面目躍如たる意欲的なものだった。

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fig.03 、04
西宮市大谷記念美術館の2階、展示室Ⅱに展示される「連夜の街」。水張りパネルで額装された写真をガラス貼りの壁面展示ケースに収容し、あたかも歴史史料であるかのように掲示された。

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fig.05
展示室Ⅱには「連夜の街」カラー作品のスライドショーも設置された。写真左奥に見える作品は「絹の夢」

生命の時間を一つに見せた
「sa・bo・ten」「Scars」「INNOCENSE」「Naked Rose」

展示室Ⅱの「連夜の街」における石内の冴えは、同じ二階の展示室Ⅲに連続して展示される「sa・bo・ten」と「Scars」、「INNOCENSE」、「Naked Rose」に続く。比較的近年の石内作品である「sa・bo・ten」(2013年)、90年代に制作が始められた「Scars」(写真集は2005年)と「INNOCENSE」(同2007年)、2000年代に制作された「Naked Rose」は、一見ばらばらに見えるものの、じつは共通点がある。それは、生命がもつ時間を撮っていることだ。「sa・bo・ten」は多肉植物の表面を映したカラー作品だが、そこには多肉植物の表皮に詰まっている成長の時間が捉えられている。「Scars」と「INNOCENSE」はすでに石内がインタビューその他で語っているように、人の身体に蓄積された生命の時間の痕跡を撮ったものだ。枯れる寸前のバラの花を撮ったカラー作品「Naked Rose」は、生命が使い切った時間を捉えたと言えるだろう。このように、3つの作品は「生命の時間」というひとつのワードでくくることができる。もちろん、「sa・bo・ten」と「Scars」を比較して、人体に生じた傷とサボテンの表皮は似通っているという見た目の相似を論じることもできるかもしれないが、きわめて比喩的に表現された「生命の時間」は、われわれに切実な問いを投げかけているように思える。

そもそも「sa・bo・ten」と「Scars」を組み合わせた展示は、横浜美術館「肌理と写真」展で館長の逢坂恵理子が提案していたが、諸事情で実現しなかった。今回は、たまたま西宮市大谷記念美術館の学芸員・作花麻帆がそれとは知らず同じ提案をしたことから実現に至ったという。石内の作品を知る者であれば、誰もがその相性の良さに気づくかもしれないが、実際に「sa・bo・ten」と「Scars」のビジュアルの相性はきわめて良好であり、カラーとモノクロの対比を含めて親しみやすい展示となっている。ただ、展示の後半にさしかかるとき、「sa・bo・ten」と「Scars」の蜜月が途切れるころ、「Naked Rose」が加わることで鑑賞はシリアスな局面を迎える。鑑賞者は枯れかけたバラの花弁に、生命の時間が途切れる刻=死の刻を想う。展示室Ⅲの展示は、本展中最も文学的な内容と言えるかもしれない。

石内都は、近代から現代にかけての時間軸において、撮るべき被写体を通じ、そこに蓄積した時間を写し撮っている写真家でもある。初期三部作「絶唱、横須賀ストーリー」「Apartment」「連夜の街」、その後の身体をテーマにした「1・9・4・7」「Scars」などの作品、転機となった「Mother’s」、「ひろしま」「フリーダ」「絹の夢」などカラー作品。これらすべての作品に共通するテーマがあるとしたら、それは何かしら「時間」に関連した事象を写していることにある。本展において、その「時間」を象徴する際だった作品があるとしたら、「sa・bo・ten」「Scars」「INNOCENCE」「Naked Rose」の4作品がこれにあたるだろう。多肉植物の表皮の下に潜み成長の瞬間を待つ生命の「時間」、身体の傷に堆積した生の証としての「時間」、間もなく終わろうとしている薔薇の花の生命の「時間」と、いずれも生命の「時間」を写し撮った作品が一つ処に集まっている。

写真はしばしば「時間の死体」と言われるが、逆説的に写真は「静止した生命」とも言える。写真は生と死のメタファーでもある。このことを声高に言わないまでも、4つの作品には、躍動しはち切れんばかりの多肉植物の表皮の下に、傷跡を包む肉と皮膚の下に、美しくも儚げに朽ちていく薔薇の花弁の色彩の下には、濃密な生と死の時間が蠢いている。なんと文学的な光景であろうか。この空間に立ったならば、「sa・bo・ten」「Scars」 「INNOCENCE」「Naked Rose」、4つの作品を見比べながら、自らの生と死を深く見つめて頂きたい。

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fig.06 、07
2階の展示室Ⅱに展示される「sa・bo・ten」「Scars」 「INNOCENCE」「Naked Rose」。4つの作品がひとつにまとめて掲示されている

「Moving Away」「The Drowned」「暗室 最後のロールプリント」
滲み出す「暗室」というキーワード

最後の展示空間となる1階の展示室Ⅳには、石内の日常を題材とした作品「One Days」(1999-2007年)、「Yokohama Days」(2008-2011年)と、二つの新作「Moving Away」(2015-2018年)と「The Drowned」(2020年)が展示されている。このほかにも、映像作品「暗室 最後のロールプリント」が上映されている。ここで展示される作品は、石内がデビュー以来の制作拠点となった横浜市金沢区の実家にある暗室と、家の内部、近所の風景や日常光景などが写されている。
石内は2018年、住み慣れた横浜の実家にあったアトリエを生誕地である群馬県桐生市に移した。この展示には惜別の念が込められているのだろうが、石内による横浜への惜別は、郷愁や懐古といった湿っぽさがほとんど見当たらないほど清々しい。新作の「Moving Away」などは、額装せずにプリントはマジックテープで貼られ、あくまでも明るく乾いた印象で一見して屈託が無い。その乾いた明るさは、重苦しい背景を背負った新作「The Drowned」の素性を見落としてしまいそうになるくらいだ。

しかし、言うまでもなく横浜のアトリエには写真家・石内都を語るうえで重要な暗室があった。暗室はデビュー以来、具体的には1975年のデビュー(*14)から最後に「ひろしま」をプリントした2008年まで約30年間、石内の創作を支えた写真の現場である。本展で暗室の写真を発表した理由は、石内は本格的な暗室作業、より具体的にはロール紙を使った暗室プリントをやめた(*15)からだ。新作「Moving Away」の乾いた明るさの裏側には、過去と訣別し新天地に懸ける石内の決意とともに、作家の一部だった暗室との訣別という切実な心情が潜んでいる。
実際、「Moving Away」には、先述の『モノクローム』で石内が暗室について書いた文章と符号する作品が収められている。例えば、横浜の暗室にあった温度計や薬剤を溶かすビーカー、ニコンとオメガの引伸し機、市松模様タイルで飾られた水洗場などだ。引伸し機と一緒に写っている暗室に貼られたデビッド・ボウイのポスターも興味深い。『モノクローム』には、「暗室作業は性行為に似ているが、残念ながら私の暗室には相手の男が誰もいない」と書かれているが、暗室には守護神の如くデビッド・ボウイがいた。節々にユーモアを織り交ぜてはいるが、本作は石内の暗室を記録した証言者としても重要なものであり、次に語る新作「The Drowned」とは対をなしている作品である。

新作「The Drowned」は、本展において特に重要と思われる作品だ。この作品には複雑な由来がある。2019年10月、関東地区を襲った台風19号は写真作品を多数所蔵する川崎市市民ミュージアムに多大な被害を与えた。台風の大水による浸水が本来美術品を守るはずの収蔵庫を襲い、写真や漫画原稿を含む多くの収蔵品を水没させたのである。同館は歴代の木村伊兵衛賞の受賞作品を保存・収蔵していたことから、石内の受賞作である「Apartment」や、父方の祖母を撮った「1899」のオリジナルプリントも浸水によって修復不能なダメージを被った。新作は、川崎市市民ミュージアムの被害を聞いた石内が現場に出向き、プリントの状態を確認し、変わり果てた状態のプリントを撮影し、逡巡ののち本展での公開を決断したものだ。「The Drowned」に写った「Apartment」と「1899」は、表面の像が流れ、支持体は剥がれ落ち、黴が生えている。見るも無惨な状態のプリントを、石内は変わり果てたわが子を看取るかのようにカラーフィルムで複写した。この行為は、石内が暗室において自らが印画紙をカットし、引伸ばし機でネガを焼き付け、現像し、定着させ、水洗し、乾かすといった作業を経て産み出したオリジナルプリント(*16)への深い愛着と執着から生じていると思われる(*17)。それゆえ「The Drowned」は、明るく乾いた「Moving Away」とは真逆な、暗く湿った印象を受ける。

石内のプリントと暗室への愛情は、映像作品「暗室 最後のロールプリント」で確認できる。本作は、横浜美術館「石内都 肌理と写真」展でも公開されているが、本展では石内作品における暗室の重要性を確認するうえでも深い意味をもつ。2008年に撮影されたこの映像は、モノクロフィルムで撮影された「ひろしま」の初期作品を、石内が横浜の暗室でロール紙を使って大判プリントに仕上げる過程を記録したもので、題名通りこれが最後の暗室作業となった。映像を見ていると、著書『モノクローム』にある「暗室作業は性行為に似ている」という記述を思い出す。確かにプリントの表面を手で洗う作業は人の肌に触れる感覚と似ているかもしれないが、とにかく実感がこもっている。神聖と言うよりは、赤電球の下で人の手と水と薬品を使った人間臭い格闘のように思えてくる。また個人的な感想ではあるが、石内は写真を撮るときよりはむしろ、暗室でプリントしているときのほうが写真をよく「見ている」のではないかと思う。このときくらい、石内が写真に向かい合っている時間はないと確信したくなるほどその印象は強い。

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西宮市大谷記念美術館、1階の展示室Ⅳにおける新作「The Drowned」の展示光景

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1階の展示室Ⅳには映像作品「暗室 最後のロールプリント」も展示される

石内都「見える見えない、写真のゆくえ」展を考察するー
3つのポイント「空間」「時間」「暗室」

おおまかに展示作品を解説し終えたところで、本展の総括に移る。本稿の主題である石内が私たちに何を見せ、伝えようとしたのかに迫り、さらに石内作品の考察と批評を試みる。

本展のポイントは3つに絞られるだろう。それは、展示室Ⅰ「ひろしま」「フリーダ」と展示室Ⅱ「連夜の街」の二つの展示に代表される「空間」の扱い方、展示室Ⅲ 「sa・bo・ten」「Scars」「INNOCENCE」「Naked Rose」を一つにまとめた「時間」というテーマ、最後の展示室Ⅳの「Moving Away」「The Drowned」 「暗室 最後のロールプリント」に共通する「暗室」というキーワードである。写真の展示において「空間」「時間」「暗室」は、それぞれごくごくありふれているというかステイトメント等で当たり前に使われるキーワードではあるが、石内の作品を通過するとこの3つのキーワードは意味が深化し、言うなればより文学的な方向へと変化する。

「空間」と「時間」それぞれの役割

まず、「空間」がテーマである展示室Ⅰの「ひろしま」と「フリーダ」、展示室Ⅱ「連夜の街」について。
「ひろしま」と「フリーダ」の展示で石内は、用意された広い空間と2つの作品それぞれに対して重要な色彩を展示壁の色に使うことで、遺品の背後にある女性たちの気配を交感してみせた。広島の無名の女性と偉大な女性美術家の遺品は、その過酷な歴史からも解き放たれるように新たな光を纏って見えた。それは、誰もが忍耐を強いられているパンデミックの渦中にあって、せめて写真という架空の時空の中では誰もが自由であることを伝えるメッセージにも思えた。また、展示室Ⅱではガラスケースが並ぶ空間を生かし、「連夜の街」を歴史的史料のように見せることで、従来の写真然とした展示手法を刷新した。これは同時に、戦後史における負の遺産とされた赤線の街を、立体的に再構築・再確認したのち、昇華させる行為にも思える。

続く、展示室Ⅲの展示は、趣意の異なる4作品「sa・bo・ten」「Scars」「INNOCENCE」「Naked Rose」を、一つにまとめた「時間」というテーマの扱い方がキーポイントだった。一見関連性が無いと思われるサボテンと人の皮膚の傷跡と枯れた薔薇の写真は、それぞれを時間が堆積した特異点と捉えることで、ばらばらの存在である3つのテーマを一つの展示にまとめ上げた。写真は時間を封印あるいは凍結できるが、時間に対してしかこの機能を発揮することができない。性急な表現であったり、三次元立体的であったり、インターネットのように時間を自在に扱える表現は苦手だ。しかし石内は、写真の時間凍結と細密描写の機能のみを生かし、それぞれの作品がもつ繊細で濃密な「生命の時間」を演出した。写真=時間という単純でありきたりな考えにとらわれず大胆に、そしてひとつまみの文学的なエッセンスを調味したことで、この空間の展示は成立している。言葉やフェミニズム等思想、美術的なコンセプトに頼らずこの空間を生み出した石内と学芸員の展示演出は、見事であり特筆すべき成果であったと思う。

石内都は「暗室」と訣別することができたのか?

最後の常設展示室の3つの作品「Moving Away」「The Drowned」 「暗室 最後のロールプリント」に共通する「暗室」というキーワードは、本来テーマではないはずのものだった。それは、横浜から桐生へのアトリエの移動を契機にした惜別・訣別というテーマから、結果的には滲み出てしまったものと言える。これは筆者の推測だが、新作の「The Drowned」を撮ったことで、石内は近年の制作手法、すなわち暗室作業から遠ざかりカラー作品の制作に絞る方針に疑問をもったのではないか、と思えるふしがある。石内は2016年に出版された著書『写真関係』(筑摩書房)で、暗室をやめた理由について触れている。

…暗室へ入らなくなって7年になる。あんなに好きだった暗室作業なのにどうなってしまったのかと言うと、モノクロームのネガフィルムで写真を撮らなくなったからだ。きっかけは「Mother’s」である。(中略)口紅からスタートしたカラーネガフィルムでの撮影は「ひろしま」に引き継がれ、フリーダ・カーロへ進み、このままいくと暗室に入る日はこの先ないかもしれない。あんなに愛してやまなかった暗室作業がなくなる。何事も愛しすぎると別れはそっけなくやってくる。たぶんもう暗室に入って仕事することはないだろう。ましてや20メートルのロール印画紙を切って、40リットルの現像液を溶き、木枠を組んでビニールを張り、小さなプールのようなバットを作り、ひとりで格闘する暗室作業は確実にできない。はっきりと体力と気力がなくなったことと、今まで使っていた印画紙が無くなり昔と同じクオリティーを保つことが出来ないという現実があるからだ。それはロールプリントだけの事ではなく、モノクロームは私の中で終わってしまったのかもしれない。(『写真関係』P17-20 「モノクロームからカラーへ」より引用)   

銀塩写真を支えるフィルムや印画紙、現像液などの感材用品は、おおよそ2005年を境に姿を消していく。これは、プロ向けの機材がフィルムからデジタルへ移行し始めた時期にあたる。現在、フィルムや感材は生き残っているが豊富にあった品種は淘汰が進み価格は高騰、銀塩写真は風前の灯火といえる。この状況は石内の作品制作においても同じだろう。2000年からカラーフィルムを使い始めたとはいえ、銀塩写真であることに違いはなく、むしろモノクロームよりもカラーフィルムのほうが絶滅の危機に晒されている(*18)。そして、終わったかのように見えるモノクロームと暗室は、「The Drowned」を見るかぎり、石内のなかで考えが揺らいでいるように見える。その揺らぎは、展覧会のタイトル「見える見えない、写真のゆくえ」に反映されていると思えた。タイトルは、コロナウイルスに襲われ先行きの見えない世界と、スマートフォンとSNSの発展台頭で急変する写真の先行きを表していると読めるが、石内の写真が向かう先もまた不透明であることを暗示しているのではないだろうか。石内は本当に暗室と訣別できたのだろうか。

評論家の清水穰は、石内の写真集『sa・bo・ten』の解説において、かなり明晰な石内作品評を書いている。

石内都の初期作品の本質は、写真とは「裸のリアル」の、ではなく「極私的な真正性(個人的記憶)」の痕跡であり、傷跡であり、レリック(遺物)だということである。だから彼女の変化は、まず「裸のリアル」と結びついていた借り物の「アレ・ブレ」「黒々」スタイルを捨てることから始まった。「連夜の街」はこの意味で注目すべきシリーズである。〈中略〉どうすれば写真の真正性を写真自体の内へ宿らせることが出来るのか。この問いに対して彼女が見出した、あっけなくもストレートな解答は次のようなものである:写真とは痕跡であり、レリックである、だから痕跡を、傷痕を、レリックを撮れば良い、と。森山大道の『光と影』(1982)が、写真とは光の化石であるという彼自身の見出した写真原点の表現でもあったように、石内都の皺や古傷のシリーズは、写真とは痕跡であり傷痕であるという写真の原点の表現である。つまりその写真は「写真とは何か」という写真、写真の写真であり、それを彼女は「光と影」という写真の基本条件だけで表現した。皮膚の表面に刻まれた寡黙な傷痕は、写真そのものの比喩であるとともに、特定の物語に依存せずに真性なる傷痕として光と影の中で凝視されている。(『sa・bo・ten』 P103-104 清水穣「石内都、instrumental」より引用)

清水は、石内作品の本質が個人的記憶の痕跡である「真正性」を写真に宿らせたことにあると指摘した。実際、石内が自らの写真は個人史と認めていることからも、この指摘は的確と思える。そして、写真の「真正性」を宿らせている現場であり担保しているものこそが「暗室」である。その本質に、石内自身が「The Drowned」の制作を通じて気づいたとしても不思議はない。
石内が再び暗室に向き合うときが巡ってきたのが、「Mother’s」「ひろしま」「フリーダ」等のカラー作品が軌道に乗り、国際的にも評価を受けている、いまのこのタイミングというのは興味深い。実際どうなるかはわからないし、石内がカラーフィルムで作品を撮ってラボに現像と暗室作業を委ねる現在のスタイルを続ける可能性も高い。しかし、筆者は現状の制作スタイルを踏襲しながら、石内が何らかの形で再び「暗室」に向かい合うであろうと予測する。それは限定的なかたち、例えばプリントサイズを縮小する、暗室作業助手を雇う等で暗室作業を再開するか、あるいは新しいやり方で暗室作業に代替するものを見つけるかに絞られると思う。もし、この二択があると仮定すれば、石内は後者を選ぶだろうと筆者は予想する。そして、石内の写真と暗室のゆくえはこれから取り組む仕事に懸かっていて、それは新しくアトリエを置いた桐生で行われる仕事に委ねられると思う。もしかすると、その仕事のなかで「暗室との正しい訣別」が語られるかもしれない。

まとめに代えてー暗室との正しい訣別とはなにか?

筆者がこれほどまでに石内の暗室作業を語る理由は、個人的にこだわりを持つ写真的命題にまつわる疑問を、映像作品「暗室 最後のロールプリント」の中に見出したことにある。それは、「石内は撮影時以上に暗室作業において写真を『見る』行為を行っているのではないか?」という疑問だ。筆者は最近、写真的命題として語られることの多い「見る」「見られる」に興味を持っている。この興味は、デジタル画像とネットワーク技術の急速な発展普及によって相互監視社会が現実のものとなったことが背景としてある。そして、それ以前から視覚の狩人であった彼ら写真家は、「見る」こと「見られる」ことについて、良心の呵責等を含めて精神の内面でどのような折り合いをつけていたのか、ということに興味をもつに至った(*19)。

「暗室 最後のロールプリント」を見て、石内の暗室作業は特異だと思った。特に視覚を写真に仕上げる場所が暗室内で完結している点が興味深かった。石内は、インタビューやトークイベントで頻繁に「私は写真を撮るのが好きではない」と語っている。実際に映画やドキュメンタリー映像(*20)で、石内が撮影する姿を見ることができるが、被写体となる「ひろしま」や「フリーダ」の遺品を見て撮っているというよりも、遺品にさわったり、触れながらシャッターを切っている印象が強い。これに対して暗室作業における石内は、現像液の中の印画紙に「さわる」こともしているが、むしろ現像液に泳ぐ印画紙に浮かび上がるモノクロームの画像を「見る」行為に集中している姿が印象に残る。ここから、石内の写真において「見る」行為は暗室内で集中的に起こっているのではないかと思ったのだ。カメラのファインダーを覗いたときに被写体を「見る」のではなく、暗室で現像したフィルムを印画紙に焼き付けているときに被写体を「見る」のである。これが、視覚したものを写真にする場所が暗室内で完結していることのゆえんであり、石内独自のものなのだろう。より正しくは、写真をつくる段階における「見る」ことに対し、撮影時よりも暗室時に多くの比重を置くのは石内ならではのオリジナルだった、というべきだろう。
森山大道や杉本博司をはじめ、暗室作業に重きを置いていた作家は多い。しかし、彼らは撮るときに「見る」、つまり視線の行為を置き忘れてはいないし、なによりも撮影時において被写体に「さわる」ことはしない。対象物に触れることなく表現できるのは、写真由来の映像表現ならではの特性であり、それを生かすのが写真家であるが、石内においては確実に被写体に触れる行為が彼女の創作に含まれているのである。

前置きが長くなったが、筆者は石内が暗室作業に代替するものを見つけるだろうと予告した。さらに、石内の作品のゆくえは新しくアトリエを置いた桐生で行われる仕事に委ねられているとも。もちろん、この推論には根拠がある。3つあって、ひとつは制作手段としての「色彩」、2つめが作品制作の前提としての「歴史」、最後が表現のリアリティとしての「触感」である。
「色彩」は具体的な制作手段であるカラーフィルムから来ている。「歴史」は、女性目線=カラー作品であることを前提に近代史を捉え直す試みを作品に盛り込んでいる点にある。「触感」もカラー作品であることを前提に、撮影時に被写体をさわることで「暗室」で行っていた「見る」行為を補完する役目を果たす。
なぜ、この3つが暗室作業を代替するものとなり得るのかを解題しよう。まず、「Mother’s」以降の石内の新作は、すべてカラー写真でないと成立しない。「ひろしま」然り、「フリーダ」然りだ。「歴史」というキーワードは、すでに本展の「連夜の街」で出現している。「連夜の街」をガラスケースに入れた史料然とした展示によって、戦後日本の繁栄の裏側にあった赤線を歴史の前面に押し上げ解放を試みようとした行為を指す。

「色彩」「歴史」「触感」の3つの要素を説明するのに適した作品がある。本稿では詳しく取り上げなかった「絹の夢」(*21)がそれだ。同作は、群馬県の桐生に遺された戦前の女性のきもの「銘仙」を撮った作品で、石内が桐生に制作拠点を移すきっかけにもなった。この作品は「色彩」と「歴史」、二つの要素と深く結びついている。「絹の夢」もカラー写真でないと成立しない作品だが、「フリーダ」「ひろしま」よりも「歴史」的な背景がより濃いことに着目したい。「絹の夢」に写る銘仙は無名の女性たちの遺品であるが、それ以上に絹織物を通じてその裏側にある明治維新以降の日本が歩んだ近代の「歴史」が背景としてある。被写体が近代を生きた女性たちが着た「銘仙」であるのに、作品名は「絹の夢」であるところに、石内の「歴史」に対する意識が伺える。また、「絹の夢」は「触感」も制作時においては重要な要素だった。ペラペラで二次元に近い立体物の銘仙を写真として成立させるために石内は、銘仙の生地に何度もさわり、色彩と触感を確かめながら撮影を行った。「Mother’s」や「ひろしま」でも下着や衣服を撮ってはいるが、洋服に比べて和服は立体感に乏しい。これには「触感」によって補いながら作品に仕上げる行為が不可欠だったと思われる。その経験は、「フリーダ」の撮影にも生きているように思われる。

実際、「色彩」「歴史」「触感」という3つの要素が、石内の暗室作業を代替することができるかどうかは、繰り返しになるが新しくアトリエを置いた桐生で行われる今後の仕事に委ねられると思う。一つだけ言えるのは、これら3つの要素はモノクロームにはないものだ。暗室作業においては「触感」も要素の一つに数えられるかもしれないが、再現性においてモノクロームはカラーに比べて「触感」の情報を写真にキックバックする力は弱い。また、「歴史」も「色彩」によって説得力を裏打ちし、「ひろしま」のようにこれまで語られてきた一面的な見方を上書きする手助けになるかもしれない。そして、それを証明するのは写真集ではなく、展示によって行われるのが石内都流のやり方だと思う。そうした仕事の反復のなかで、やがて「暗室との正しい訣別」が石内から語られるかもしれない。今後も「暗室」のゆくえに注視しつつ、石内都作品を見続けていきたい。(了)

展覧会情報

題名:石内都展 見える見えない、写真のゆくえ
会場:西宮市大谷記念美術館
会期:2021年4月3日(土)〜7月25日(日)
URL:http://otanimuseum.jp/exhibition_210403.html
主催:公益財団法人 西宮市大谷記念美術館
後援:西宮市、西宮市教育委員会
助成:公益財団法人 朝日新聞文化財団、公益財団法人 三菱UFJ信託地域文化財団
協賛:(有)フォトグラファーズ・ラボラトリー
特別協力:The Third Gallery Aya

作家プロフィール

石内都(いしうち・みやこ )
1947年、群馬県桐生市生まれ。神奈川県の横須賀に育つ。多摩美術大学で染織を学んだ後、独学で写真を始める。1977年、初個展「絶唱、横須賀ストーリー」を開催。翌1978年に発表した「Apartment」で、1979年に第4回木村伊兵衛賞を受賞。2000年、自身の母親の遺品を写した「Mother’s」を発表し、2005年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館の展示作家に選出される。また、「Mother’s」を機にカラー作品にシフト、以降は2008年に「ひろしま」、2012年にメキシコの美術作家フリーダ・カーロの遺品を写した「Frida by Ishiuchi」、「Frida Love and Pain」を発表。2014年には写真の世界で偉大な業績を残した作家に授与されるハッセルブラッド国際写真賞を受賞。2018年、活動拠点となるアトリエを神奈川県横浜市から群馬県桐生市に移した。

文中注釈

*1 2020年8月25日から11月3日まで、栃木県の足利市美術館で開催された8名の写真家によるグループ写真展。参加した作家は石内都、大塚勉、今道子、高崎紗弥香、田附勝、中村綾緒、野口里佳、野村恵子。

*2 「1・9・4・7」は、1988年1月から89年1月にかけて制作された石内のモノクロ作品。作家と同じ歳(当時41、2歳)のさまざまな女性たちの手と足を撮った。

*3 「1899」は、1990年に制作された石内の祖母の手足を撮った作品。

*4 「INNOCENSE」は、1996年から傷痕をテーマに取り組んできた「Scars」シリーズから、テーマを女性に限定した作品。

*5 「ひろしま」は2008年に発表された、広島平和記念資料館に寄贈された資料である被爆した衣服や生活品を撮影した作品。「Mother’s」に続くカラー作品。

*6 大谷竹次郎は、昭和電極(現SECカーボン)を創業者。鉄鋼王として知られ、ホテルニューオータニを創業した兄の大谷米太郎と共に戦前の関西で活躍した財界人。

*7 青い家・通称「casa azur」。1907年にフリーダ・カーロが生まれ、1929年に夫となる画家・ディエゴ・リベラと結婚するまで育ち、再びここに戻り亡くなるまで住んだ家。現在はフリーダ・カーロ博物館となり一般公開されている。石内のフリーダ・カーロに関する作品は同博物館の依頼で、博物館が保存するフリーダの遺品を撮影したもの。

*8 木製水張りパネルとは、木製の四角枠に印画紙サイズに合わせた平面のベニヤ等の板で組んだ木製パネルに、油絵で使うキャンバスのように印画紙プリントを直接貼り付けた展示用の写真プリントの形態のこと。木製パネルに印画紙を貼り付ける際に、写真の裏側に水を塗ってふやかすことから「水張りパネル」と呼ぶ。乾燥する際の張力で板にぴったり貼り付く仕組み。現在のフレーム額装に比べて、木枠のぶんの厚みがあり、透明アクリルパネルがないぶん軽量で、1980年代までは盛んに使われた。ただし、一度水張りしたプリントを額から外すのは困難。このことから、作家の手で制作されたオリジナルプリントの価値を尊重する現在は、プリントを保護できるるマット額装が主流になり、水張りパネルはあまり使われなくなった。

*9 「連夜の街」1980年4月1日〜6日 銀座ニコンサロン、東京、同1980年4月8日〜14日 新宿ニコンサロン,東京。

*10 通常のマットフレーム額装された作品、それ自体はヴィンテージプリントである。

*11 『モノクローム』は1993年に筑摩書房から出版された石内都の著書、エッセイ集。初期三部作から「1・9・4・7」に至る作品の解説および暗室に関するテキストが収録されている。


*12 石内都の初期三部作とは「絶唱・横須賀ストーリー」、「Aprtment」、「連夜の街」を指す。

*13 石内は著書『モノクローム』のあとがきで「自分の写真は個人史である」と告白している。

*14 1975年に参加したグループ展「写真効果・3」(シミズ画廊)で発表した「無効の暗」が石内都の実質的なデビュー作。2018年に写真集『Beginnings:1975』(蒼穹舎)として出版された。

*15 石内は、2000年に発表した「Mother’s」以降は徐々にフィルムをモノクロからネガカラーに切り替え、現在はほぼカラーに切り替えている。作家自らがロール紙でプリントしたのは初期の「ひろしま」が最後である。ただし、モノクロでの撮影は継続しており、2014年と2017年に熊本県出身の作家・石牟礼道子の手足を接写した「不知火の指」を撮影している。

*16 ここでは写真家が自らの手で焼いた=制作したプリントを指す。

*17 石内は、寄贈したあるいは販売されたものを除き、自分が暗室で焼いたモノクロプリントは初期からほぼ保存・保有していることで知られている。通常は、捨ててしまう失敗したプリントさえもアトリエに保存しているほど、プリントに対する愛着は深い。一説に、失われたプリントは写真雑誌に掲載のため貸し出して未返却のまま紛失されたものだけと聞く。

*18 カラーフィルムは、ポジ・ネガともにデジタルカメラとスマートフォンの普及で需要が激減、製造設備が簡便なモノクロフィルムに比べると製造コストにおいてメリットが見出せないことから絶滅の危機が近いとされる。現在カラーフィルムが生存できているのは、使い捨てフィルム製品「写ルンです」と映画産業からの要望によって最低限の需要が担保されているからである。

*19 詳細は拙著「写真のように-第2回 “見られる”社会への処方箋としての“待つ視線” 〜考察・田口和奈『エウリュディケー』〜」を参照のこと。https://note.com/okimoto66/n/n9a8252dbefaf

*20 石内都が撮影を行っている姿は以下の映画で確認できる。
「ひろしま 石内都・遺されたものたち」(リンダ・ホーグランド監督、2012年制作)
「 フリーダ・カーロの遺品 石内都、織るように」(小谷忠典監督、2015年制作)

*21 「絹の夢」は、2012年に発表された日本の近代化に貢献した繊維産業の拠点である群馬県桐生市に遺された戦前の女性のきもの「銘仙」を撮った作品。銘仙とは、くず繭を材料にした質の悪い絹糸を織って化学染料で染めた安価なきもので、大胆な図柄と派手な色味に特徴があり、都市部で働く女性や女学生など大正・昭和初期の女性たちに愛された歴史がある。

参考・引用文献

展覧会図録『石内都 見える見えない、写真のゆくえ』(西宮市大谷記念美術館、2021年)
展覧会図録『瞬く皮膚、死から発生する生』(足利市立美術館、2020年)
展覧会図録『石内都 肌理と写真』(求龍堂、2017年)
展覧会図録『石内都展 ひろしま/ヨコスカ』(目黒区美術館、2008年)

写真集 『Moving Away』(蒼穹舎、2021年)
写真集 『Beginnings:1975』(蒼穹舎、2018年)
写真集 『互楽荘』(蒼穹舎、2017年)
写真集 『フリーダ 愛と痛み』(岩波書店、2016年)
写真集 『Frida by Ishiuchi』(RM、2013年)
写真集 『sa・bo・ten』(大和プレス/平凡社、2013年)
写真集 『ひろしま』(集英社、2008年)

エッセイ集 石内都『写真関係』(筑摩書房、2016年)
インタビュー集 『シリーズ いま、どうやって生きていますか? ③ 女・写真家として』(編集グループSURE、2014年)
エッセイ集 石内都『モノクローム』(筑摩書房、1993年)

作品画像提供 綾智佳(The Third Gallery Aya)、西宮市大谷記念美術館
Image provided by Tomoka Aya(The Third Gallery Aya),Otani Memorial Art Museum,Nishinomiya City

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