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#ジオパークで生きる人03|島の社会で複数の役割を持って生きる。その中の「田んぼ」でどう楽しむか。

#「#ジオパークで生きる人」「ジオパークの実践者」として主に第一次産業と食に関わる島民を主に取り上げる本特集。彼らが語る言葉にある今の隠岐そして彼らから見るジオパークを実直に、映し出します。

浅井峰光さん。ご自身の田んぼが見渡せる場所での1枚。

 今回お話を伺ったのは海士町(島前地域中之島)の企業で働きつつ、兼業でお米作りを行う 浅井峰光さん。「島らしさ」の土台としてお米づくりをコミュニケーションツールと捉え、自身の田んぼに関わる人を増やしています。例えば、子どもが田んぼで泥んこになって遊べる機会を作ったり、高校生・インターン生・大人までごちゃまぜになって田植えから収穫までを共に取り組みます。田んぼが次の世代にとっても島の価値ある資産であるための挑戦についてお話をいただきました。

牧草地か耕作放棄地になっていたかもしれない田んぼを引き受ける
 "僕が海士町に移住してきたのは2016年のこと。今は育休をもらっているけれど海士町では株式会社 風と土と っていう会社で働いていて、今年新しく海士町で自然エネルギー導入を進める 交交‐こもごも‐という株式会社も立ち上げた。海士町はいろんなことを挑戦しやすい町だから、新しいことに次々と取り組む日々を過ごしてるね。2018年から始めたお米作りも、その挑戦のひとつ。ある農家さんとお話していた時に「田んぼを減らすんだ」と仰った。農家さんが田んぼを減らす時って条件の良くない田んぼから減らしていくから引き受ける人が少ない。そうすると、その田んぼは牧草地になるか、あるいは耕作放棄地になってしまうんだよね。「それならやってみようかな」と。
 でもお米作りは完全にシロウトで、始めるとなった時は「まさか自分が田んぼをするなんて」っていう気持ちもあって。そうやって始まったお米作りだったね。"

浅井さんの田んぼは上から数えて2番目-5番目までの4枚です。

株式会社 風と土と について
 2008年に海士町で創業した「株式会社 巡の環」。2018年に「新たな可能性(風)を、現実(土)に。」を由来とした「株式会社 風と土と」に社名を改めました。日本各地・世界中の人々に知恵を広げるための大切な場所として海士町を捉え、持続可能で幸せな未来を次の世代に手渡すために変わらず海士町を基盤として活動しています。事業としては地域づくり、企業・行政の幹部向け研修や、出版事業など幅広く展開を続けています。

株式会社 風と土と 公式ホームページはこちら ↓


株式会社 交交-こもごも- について
 交交株式会社は今年2022年に海士町で創業した会社であり、インタビュー相手である浅井峰光さんは共同代表の一人を務めています。現在は島内への自然エネルギー導入を支援する事業や地域の利用されていない資源を活用する支援事業などを中心に、活動を進めています。交交がこの島で担いたいのは事業や人同士を繋ぎ、地域内や島内外に限らずあらゆる「交わり」のハブ的役割であること。社名にもある「交わり」を大事にしながら島のなつかしい未来を作っていこう、という思いでコンセプトは「the RETRO FUTURE」と表現しています。

株式会社 交交-こもごも- 公式noteはこちら ↓



島らしさの土台でもある田んぼを維持するのは難しい?
 "海士町の田んぼの面積は大体100ヘクタール、東京ドームでいうと20個分の広さくらいかな。今は、島の田んぼの6割くらいを数人の主に高齢者が守っている。その方々も平均すると75歳を超えてきていて、今の面積を維持するのが精一杯っていう状態なんだよね。古くから半農半漁で、お米づくりと漁業があるからこそ豊かに暮らしてきたこの島。だからこそ、その大切な土台を作る田んぼを維持していくことが大切なんだ。今のままだと経済合理性が合わず、縮小していくしかない島の田んぼ。海士町はいろんな形で国からのお金を活用して産業を守ってきたけれど、でもその国のお金っていつまで続くと思う?だって、日本全体が人口減少や高齢化、色んな問題を抱えていて、地方を国が支援するのっていつか限界が来る。
 そんな環境の中、いつまで今の現状って維持できるだろう?"

浅井さんの田んぼがある土地の上にあるのがこのため池。
ここから田んぼに使う水をひいています。

島で楽しく暮らし続けるために、田んぼを「複業」の選択肢にしたい 
 "海士町の魅力は、なんでも挑戦できる雰囲気。お米づくりにしても色々と試行錯誤して、今年ようやく想定の収穫量に到達できた。収穫に使うコンバインが田んぼにはまって動けなくなってしまわないよう、収穫前に田んぼを乾かして固くしないといけないんだけれど、去年は失敗して4枚ある田んぼの内、1枚は完全にコンバインが入れない状態だったの。残りの3枚もほとんど入れない状態で手作業で収穫しなくちゃいけなかった。一緒に稲刈りしてくれた人も「もうやりたくない!」っていうくらい大変だったね笑"

自身の田んぼに関わってくれている方々と記念撮影した時のもの。

  "お手伝いしてくれる人も「楽しいことやろうよ!」で集まってくれていて。お米づくりがみんなで作業することで「楽しいこと」であり続けるために、無理をしないで複業としてお米づくりが出来る事例を作りたい。いつか国が地方に予算を出せなくなった時に、自分たちで暮らしを成り立たせないと、今みたいな挑戦しやすい風土もきっとなくなってしまう。僕が幸せだと思うこの島の挑戦の風土が無くなってしまうのは、単純に嫌なんだ。だから、島に移住してきたひとりとして、「田んぼを楽しみながら複業として稼ぐ」モデルをつくりたいと思ってるよ。"

島外のお客さんと直接コミュニケーションしながら試行錯誤
 "この島の平均所得水準で子供を育てて教育費までってなると結構厳しい。でも月に5-6万円稼げる複業があったらどうだろう?僕がお米づくりに割く時間は年間約200時間、本業の10分の1くらいの時間でやれてる。今年収穫したお米は約3トンで、島外のお知り合いに直接買ってもらってる。だいたい1㎏あたり400円なので5㎏で2,000円、これに送料がかかるので都市部のスーパーより少し割高という感じかな。"

 "お米って日本の食卓には欠かせないけれど、実は個人消費量で考えてみるとそんなに多くないし、お米に使うお金で考えても実はそんなに多くない。でも、お米って食卓の中で存在感が大きいし、お米が美味しいだけで食卓の雰囲気が変わる。そんなことを感じてもらっている島外の方に直接買ってもらえて、毎年有難いことに完売出来ているよ。島外の方に買ってもらうためにと思って、最初の年は4枚の田んぼ全部で除草剤を使わないお米づくりをやってみたんだ。けれど、除草剤を使わないと田んぼの中の雑草を取り除く作業が大変すぎて追いつかなかった。頑張って雑草を取り除いても、本来3トン収穫出来る広さで2トンしか収穫できないという状態だった。"

この水路を通り、ため池から水が流れます。今は収穫も終わっているので田んぼへの水路の入り口は木の板と石で閉じられている様子が見えます。

 "お客さんとコミュニケーションをしながら、徐々にやり方を見直して、今年は1枚だけ除草剤不使用でやって、あとの3枚は田植え時の除草剤だけ使わせてもらう形をとったんだ。田んぼ1枚だと何とか除草剤を使わなくても雑草を取り除くことができて、やっと全体で3トン収穫できた。田植え時に1回だけの除草剤なら、収穫したお米に残留する農薬もないっていうことを島外の買ってくれる方にお話しして、ようやく続けられる道筋が見えてきたって感じかな。"

「斜面にある田んぼだから草刈りの面積も多くて大変。でも谷間にあるからか里山を思い出させるようなこの田んぼ風景、結構気に入ってるんだ」と話してくださいました。

複数の役割をもちながら生きる理由
 "田んぼをいろんな人とのコミュニケーションツールとして楽しみつつ、複業として稼げるモデルが4年目にしてやっと見えてきた。考えてみると、昔って仕事とか役割とかを複数持っていることが当たり前だったんだよね。お米づくりしてる時は農家で、草履を編んでいる時は草履編みで、農機具を作ったり直している時は農機具職人で、そうやってひとりで複数の役割を持つことが当たり前だった。きっと、本来人は複数の役割を同時に持ってる方が自然なんだと思う。そんな働き方や生き方は、顔の見えるこの島に合うんじゃないかと思ってるよ。"

今年2022年、手伝ってくれた方々と。

 "こんな生き方をしている原点は、島での暮らしを通して自分の地元である愛知県の長久手のことを考えているから。愛知県長久手市は、全国で一番平均年齢が若い街。海士町はざっくり2割くらいが移住者って言われてるけど、50年ちょっとで街の人口が10倍近く増えた長久手は、9割が移住者ってことになるね。その中で、僕は先祖も長久手なので、1割の原住民の子孫なんだよね笑"

  "地元長久手で人口が増えてるのは名古屋や豊田へのアクセスの良さや住みやすさからなんだけれど、ほとんどの人が昼は長久手の外に働きに行っていて、夜寝るために帰ってくる街に愛着を持つのって構造的に難しいんだろうなって思う。急速に人口が増えて、しかも日本で一番若い街ってことは、〇〇ニュータウンみたいに、将来は急速に高齢化して、しかも、日本全体の中で一番最後に高齢化するってことが宿命になってる。だから、長久手が将来経験する高齢化を先に経験しているこの海士町で、たくさんチャレンジして、その中で「やっぱりこれだ」と思うことを地元長久手でも取り組みたいなと思ってる。"

地元・長久手で毎年参加している長久手警固祭りでの1枚です。
海士町ではしゃもじを持って踊るキンニャモニャ祭りが代名詞。
お祭りにはそれぞれの町の歴史文化が色濃く反映されますね。

 "最初に話した株式会社 交交-こもごも-で始めている自然エネルギーの事業は、地域に地域のための仕事や役割を取り戻す手段としてすごく優れていて、これは長久手でもやりたいと考えてるよ。小さいかもしれないけれど、そうやって長久手でも街の中の役割としてエネルギーに関わることを複業として取り組む人が増えて、いつか、そういう働き方をする人が増えたら、街への愛着ってのも自然と生まれてくるんじゃないかなと。"

島のおすそわけ文化にもつながるお米づくり  
 "お米づくりが持つ意義って、この島の場合は特にだけれど、産業というより文化・風土の土台っていう意義が強いんだと思う。キーワードとして使っている「役割」としての側面もあるね。"
 
 "経済合理性だけでは成り立たない田んぼを守る"っていう自負とプライドを持てる取り組みとして、お米づくりはとっても貴重な「役割」なんだ。島は人の関係性が近いから、この「役割」を感じやすいんだよね。きっと、島で働く人それぞれに「島のために」という自負やプライドは必ずあるんだと思う。ひとりひとりが島のいろんな「役割」を持つと、島のことが自然と自分事化するでしょ。例えば、お米づくりもそう。島でお米づくりをやっていれば、数人の高齢の方が田んぼの過半数を支えてる今の現状も他人事じゃなくなる。"

 "文化とか風土でいえばこの島の「おすそわけ文化」って本当に貴重だとおもう。暮らしていると、家で作った野菜とか釣ったお魚をおすそわけでもらうことが頻繁にあるよね。もし、この島に田んぼがなくて、外から買わないといけなかったら、お米をおすそわけすることは出来ない。小さなことに感じるかもしれないけれど、奇跡的に残っている「おすそわけ文化」って、そういったことの積み重ねの上に成り立っていると思うんだ。だから、単に「お米づくり産業を守る」っていうことを超えた意義がある。島の風土を作っている大切な要素として、お米づくりに意義を感じているよ。"

子供たちが遊べる機会を作れればと始めた田んぼでの泥んこ遊び。
楽しそうに駆け回る様子が写真からも伝わります。

その時やりたいことを、その時に形にする。
 "「田んぼを楽しみながら複業にする」っていうモデルが広がれば、田んぼは次の世代にとっても価値ある島の財産になる。この島に来る移住者でも地元の若い人でも、同じように島の「役割」のひとつとしてお米づくりをやってくれたら嬉しい。素潜りもできて特に夏が楽しい島だから、田植えの時期から稲刈りまでをこの島で暮らし、残りの期間で地元長久手で新たな「役割」を持つって暮らし方もしてみたい。大層な理由なんてなくても、どこに思い入れを持って何を自分の「役割」とするかは自分で決めたらいい。僕にとっての田んぼも島の貴重な「役割」のひとつなんだと思うよ。"
 

おわりに
 これほど頭を使ったインタビューは初めて…と思うほど数字を使ってお話される様子が印象的でした。鋭い分析が続く中でもどこか柔らかさを相手に感じさせるのは根底にある「優しさ」でしょうか。自己への内なる優しさも外へ向ける優しさもあるから人、環境、ひいては将来も考えられる視野の高さに、楽しませて頂くばかりでした。