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丁寧にブチ切れる事は身を守る愛

昨日私は盛大にブチ切れました。
と言うか、そのブチ切れたモノは精神的な怒りの切れたモノでは無く、ご縁と言う方のモノが切れた瞬間でした。

彼女と私は30年来の親友。
彼女の生育歴と私の生育歴は少しだけ似た所があり、親からの事で共に苦しみが大きかったので、私たちは支え合って居ました。

彼女が数回離婚した時も、娘ちゃんと衝突した時も、私なりに彼女に寄り添って、彼女からアドバイスをちょーだいされたら、どーぞどーぞと、して来ました。

私が精神的にボロクソになっても、生活保護となっても、彼女は私を私として今迄通りに接してくれた唯一無二の存在で、私も彼女を一生大切な友として生き抜くのだ!
と、思い続けて来ました。

しかし、彼女に唯一私が落ち込む点があり、それは娘ちゃんへの脅迫にも見える様な教育虐待そのものをする姿でした。

私は教育虐待サバイバーです。
彼女の言動が特に母に重なって何度も悪夢やフラッシュバックでのたうち回りました。

それでも、それでも親友だから、私の記憶の中に唯一幸せな中学生の記憶を作ってくれた親友であり戦友だから一生大切にしたかった。

けれども、昨夜、とうとう身体に限界が示されました。
私は酷い胃下垂で(CTで医師笑ってたレベル)吐くのが難しい人間です。
その私が、彼女のインスタのストーリーを見ただけでおトイレでマーライオン状態となり、小一時間おトイレに籠城し、床で寝そべる羽目になったのでした。

5月の酷い精神状態での日々でのお疲れモードもあったと思います。

私の身体は少しだけ年齢的に年齢層より体調不良と言うか、更年期含め早く老化とは違いますが大人の階段を登っている感じです。

なので、彼女がこれから色々起きても私は今と同じ様に寄り添うでしょう。
しかし、その時も私は私の辛さがあり、その辛さは私が一人で耐えねば成らない状態であるのは予測出来ます。

彼女が自身の状態に気付けていない可哀想とも言えてしまう部分がある事を私は乙女先生に言われて気付来ました。

あ、彼女の病的な所を私はケアし続けて来たのか、と。
けれども、その病的な部分に気付けるように努力せねばならぬのは私のすべき事では無いのです。
彼女自身や身内が行う事。
いつの間にか範疇を超えてしまっていたのでした。

私は丁寧に昨夜ブチ切れて、FacebookとInstagramのブロックを今迄本当に有難う御座いました、と、言いながら行いました。

今日、精神科通院なので、LINEのブロックを元彼の時のように懇切丁寧な文章が必要かだけ伺い、全てのご縁を終わらせようと考えて居ます。

今朝、目覚めた時、昨日床で寝そべったからか左肩がパンパンに張ってしまい激痛でした。
でも、心は穏やかと言うか、海辺でたたずむ時の様な深呼吸してこの世を感じる様な状態でした。

あぁ本当に一人か…。
親も大事な人も親友もご縁が切れてしまった。
孤独な世界が始まるのかな…。

そう思ったけど、朝イチ乙女先生や牧師の沖先生からのLINEが入って居て、あ!アタイ1人やないな!
お互いを大切に思い合える仲の人がちゃんと居るから大丈夫やん!
そう思えました。

雑草魂でこれからも生き抜く所存でございます。
今日はお天気最高ですね。
暑くなります、水分補給とミネラル忘れずに!
ここまで読んで下さり有難う御座いました。
お互い健やかな1日となります様に祈ってます。


アンジーいつも哲学をありがとう

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