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創作大賞出品 「川辺の月」


PTSDを抱えた人の傍らにいる晃の立場から書きました。
当事者以外の人も感情移入しやすいと幸いです。

観音山にかかる様に真っ白な入道雲が2人の見詰める先にあった。
7月7日、高校最後の七夕の帰り道、茜と晃は何時もと同じ様に烏川の川辺の階段に腰掛けていた。
新緑を過ぎた山は青々と光り、7月の太陽を映すかのように煌めき、それを2人は見詰めていた。
ふと晃が茜の横顔を見ると汗ひとつかかない真っ白なその横顔は何時もと様子が違い、やけに淋しく悲しそうに感じた。
「茜、何かあった?」
茜はチェックのプリーツスカートをパタパタと叩いて立ち上がり、視線は変えぬままで
「引越しが決まった。東京に行くんだって。秋からは向こうの学校に行く。」
晃は余りに唐突な知らせにただただ呆気に取られた。
「茜はそれでいいんか?」
晃は茜に聞きながらスラックスを叩きもせずに立ち上がった。
茜は口数が昔から少なく、口癖は「大丈夫」。
晃は嫌な予感がした。
今年の最高気温をたたき出した今日はただ暑いだけではなく、湿度も異様な日だった。
晃は自分が汗べったりで今すぐ汗ふきシートで全身を拭きたかったし、何なら目の前の川に飛び込みたい位なのに、茜の汗ひとつかかずに立ち尽くす姿に、ただ同じ様に観音山の緑に目を向けるしか無かった。
茜が口を開いたのは入道雲の映える青空が黄昏時を迎えた頃だった。ゆうに2時間近く経っていた。
鳥達の群れが山の方へと帰って行く。
川辺の横の大通りもクルマの混雑が始まって居た。
いわゆる華金の日、晃は自分だけが世界から取り残された気持ちになった。
茜はやはり「大丈夫だょ」そう言ったからだった。

晃は茜から茜の祖母以外に自分だけは唯一無二で心を許された存在だと思って居た。
しかし、その思いも虚しく、自分も消えてしまいたいとすら思った結果になった。

茜の左手首と自宅の学習机のマットの下はカッターで傷付けられた無数の線で埋められている。
 茜のその傷を初めて見た時
「茜!何やってんだよ?痛いだろ?身体に傷つけんなよ。」
そう、俺の方が涙目になりながら伝えた時、茜は
「晃、あたしはもう消えたい。疲れたよ。」
表情一つ変えずにそう言う茜の代わりに晃の目から涙が溢れた。
あの時は高校へ入学したばかりで、城下町で育った2人には馴染み深いお堀端を囲む様に咲く桜の花がライトアップされ、晃の気持ちとは裏腹にキラキラと水面は光って居た。

先日一周忌を迎えた茜の祖母は彼女の表には見せない繊細さに気付いており、幼い頃から茜に寄り添う唯一の大人だった。
あの時の火葬場でも茜の表情は崩れなかった。
だから晃は心配でしか無かった。
茜が本当に今度こそこの世から消えてしまったらどうしよう。あぁ、俺の方が涙で視界が歪むよ茜。17にもなって好きな人の隣で泣くなんてダサすぎて狂いそうになる。そう思った。

中三の時にも同じ思いをした事があった。
やはり2人で川辺の階段にちょこんと座って観音山をただただ見詰めて居た時だった。
「晃、あたしお母さんにあんたを産んだのはただのエゴでしかないし、今は産んだこと後悔してるって言われた。」
そう春の山桜の可愛らしいお色味とは違う、真っ黒な漆黒の闇に目の前を覆われたのは、この時振りだった。
それは、茜の父親と祖父が同時にこの世から消えて49日を迎えた日だった。
茜の父親がアルコールに溺れる様に成ったのは一体何時からだったか思い出せない程幼い頃からだった。
あの頃から茜の家から夜や休日に成ると、茜の父親と祖父の大声が近所中に響き渡って居た。
そして中三に入る春休みに入って直ぐに事件は起きた。
茜の祖父が戦時中に父親から託され、それはそれは大事にして来た宝物の蓄音機を父親はこともあろうか、リビングの窓から庭へぶん投げ壊したのだった。
茜の祖父が壊れるには充分な理由だった。
茜の祖父はキッチンにある自分の自慢である魚釣りをした後に捌く用の出刃包丁で、義理の息子を一思いに刺した。
祖父は冷たくなり行く茜の父親の横で遺書を書き上げると縊死を選んでこの世から居なくなった。
そのショッキングな出来事の唯一の救いは、茜と母親、祖母は3人で祖母の出身地である宮崎県へ旅行に行っており、現場に居合わせなくて済んだ事だった。
茜はその旅行中よっぽど楽しかったのか、茜が心の内を話すのも、茜からLINEが送られて来るのも少ないのだが、宮崎のモアイ像の写真が珍しくはしゃいだ姿が想像出来るかのように送られて来て俺は嬉しかった。
2人の葬儀は茜の家と晃の家族だけで行われた。
茜も母親も祖母も俺も、俺の両親も泣く理由も無いと言った感じで皆無言だった。
ただ茜が祖母とずっと手を繋いで居た後ろ姿はやけに淋しさが垣間見えるものの前を向いて生きて行こうとする力強さが目を引いた。
茜の母親は煙草を常にに所構わず呑み、葬儀場でも火葬場でもスタッフさんから喫煙所の場所を何度も伝えられていた。
茜の母親も夫と実の父親を失ったのだ。本当は寂しいのかもしれないと思ったが、それは取り越し苦労だった。
全てが終わり、夫の遺骨を抱いた彼女は
「あぁ、清々した。これで明日からまともな生活が送れて幸せだわ。」
そう茜の前で言ってのけた。

茜は家の中でどう生きているのだろうか。
茜の心は何処に一体あるのだろうか。
茜の生きていると言うより、無理矢理生かされている様な人形みたいな表情が無性に晃の心を苦しめた。

結局金曜日の内にも、その次の週に成っても茜からは一向に引越しの日を聞ける事は無かった。
聞かされないと言うよりも怖くて聞けない晃自身が居た。

しかし、晃はうっすらともう茜を守れるのは驕り高ぶりでは無く自分だけなのだと自覚があった。

その日の帰り道にも2人は観音山を見詰めていた。新月の日で、珍しく茜の方から口を開いた。
「今年の土用丑の日に何時ものお店で食べてから次の日に向こうへ行く予定だったんだけどさ、お母さん相変わらずで。土用丑の日、築地の方がもっと美味しいのあるだろうからって急なんだけど、今週土曜日に引越しが決まったの。それでさ、晃、見送りとかいいから。これからは独りで頑張らないとだから、お願い。」
晃の目からは涙が頬を伝っていた。
幼稚園からずっと片思いしてきた茜からの初めてのお願い事。晃にそれを断る力は無くて、自己の無力感で全身の力が抜けそうだった。
今迄いつだって隣を見れば茜が居た。
その大好きで大切な愛おしい茜を独りきりにしてしまう。しかもそれを彼女自身に言わせてしまった。情けなさで自滅しそうだった。

初めて2人で自転車に乗れた日、晃の祖父母が交通事故で亡くなった時、共に励んだ受験生の日々、茜の父親と祖父を見送った日。2人はいつだってこの烏川の川辺で2人並んで観音山を見詰めてきた。しかし、それもこの日が最後になってしまった。

茜を支えたいと想って居たが、気付かぬ内に支えられて来たのは自分自身の方だったのだと晃はやっと気が付いた。

都心へ行く茜。俺に何が出来るのだろう。月の見えぬ蒸し暑い夜になって降り出した雨は、晃の心の内を代弁しているかのようだった。

土曜日迄の3日間、梅雨の最後の本降りが続いた。

土曜日は幸い晴れたが、朝9時に晃が目を覚ました時には既に茜は始発の新幹線に乗車した後で、マンション迄行ってみると表札が無くなっていた。
幾つもの時が脳裏でフラッシュバックする。
晃は思わず駅の新幹線のみどりの窓口迄猛ダッシュして気が付いた。
晃は茜の新しい住所を知らなかった。その事に涙目になりながら項垂れた。

家にそのまま帰れるはずも無く、晃は初めて一人きりで川辺のいつもの場所に座った。
隣に茜はもう居ない。それだけが突きつけられた変えられぬ現実だった。

昨日迄の雨が嘘の様に晴れ渡ったその日、気象庁から関東の梅雨明け宣言が出された。

そのまま夏休みに突入したが、晃の脳裏から茜の存在が消える日は無かった。
「何とかして新しい住所を知れないかな……」
気付いたら夕食時に心の声のつもりが口からダダ漏れして居た。
晃の母親はニヤリと父親と視線を合わせると、目を細め笑顔で茜の母親から聞いておいたと言う新しい住所を教えてくれた。晃の父親は
「これぞ灯台もと暗し~」と、笑った。

8月に入って直ぐに晃は茜に暑中見舞いを出す事にした。本当なら直ぐにでも会いに行きたいのだが、如何せん突如都内の大学へ志望校を変えた為、毎日塾で缶詰め生活を送って居て難しかったのだった。
それに都内の大学へ合格すれば茜とも必ず逢いやすくなると、茜の志望先も聞かぬままだが胸いっぱいの状態でもあった。
もう2人で川辺に座り込むだけではなくて、まあるい地球を共に歩きたい。これからは黙らず一緒に共に沢山話したい。
晃の心は茜と歩む未来へ覚悟を決めて居た。

「暑中見舞い申し上げます。
茜、元気にやっていますか。
新しい家の近くには息抜きの出来る場所は有りますか。
俺はというと、一人きりで見る観音山を淋しく感じています。
茜が居なくなって、茜の存在の大きさに気付いたよ。
夏の本格的な暑さの時期が来たから、どうか体調を崩さぬ様にね。
良かったら返事、待ってます。晃」

一気に書き上げた葉書をポストへ投函した。
出しておいて自分の素直な気持ちを記してしまった事に顔から火が出そうだった。
厨二病みたいな文じゃなかったかな、大丈夫だろうか。
そんな心配をしつつ、満月を見上げながら、どうか茜へ気持ちが伝わります様に。あわよくば返事が着ますようにと、空を見上げながら祈りを込めた。

返事の手紙は届かぬまま、最大10連休だとテレビが騒いだお盆休みも終わりを告げ、夏期講習も終わり、8月最後の日を迎えた。
暑中見舞いを投函してから次の満月の日に成っていた。

晃は不貞腐れながら扇風機に八つ当たりをして
「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙~!!」と、叫んでいた。

そんな折に玄関のチャイムが鳴った。
今日は誰も居ない。晃はだりぃ~と、言いながら階段を降り、玄関のドアを開けた。
するとそこには髪の毛が少し伸びた茜が居た。
「手紙、書くより会いたかったから会いに来た。ねぇ、いつもの場所で話さない?」
茜は相変わらずの無駄のない言葉数で、でも珍しくはにかんだ顔で言った。

約2ヶ月も2人が会わなかったのは17年生きて来て初めての事だった。お互いそれだけ常に近くで寄り添って着た。

晃と茜は何時もの場所、烏川の川辺の階段に2人並んで座った。

歩いている間に麦茶を自販機で買った。2人が産まれた産院横の自販機だ。

 座って直ぐに麦茶を2人はぐいっと飲んだ。8月末とは言えども、晴れたこの日は気温も湿度も尋常ではなかった。

2人で観音山を見詰めながら先に口を開いたのは茜の方だった。

「晃、大学もう決めた?ねぇ、一緒の所受けよう?それと、高校卒業したら一緒に暮らさない?私ね、離れて分かったけど晃が居ないと無理。やっとその事に気付けたんだよ」
茜は晃の彼女に伝えたかった事を自分に伝えてくれていた。
晃は思わず苦笑した。
「茜、全部言っちゃうんだもんな。
俺、全く同じ事を考えて思ってた。
茜、同じ大学へ行こう。それに一緒に暮らそう。俺、東京行くから。これからはずっと2人で生きて行こう。沢山想いを伝えあって行こうよ。」
晃と茜は全快の笑顔で見詰めあった。

気付けば青空の中、白く満月が浮かび上がって良く見えた。
「ねぇ茜、月が綺麗だね。」
「うん。」
茜がこんなにも幸せそうな微笑みを魅せてくれたのは初めての事で、晃は喜びで照れて耳まで真っ赤になった。

僕等の幼い日々は大人の階段を登り行く。
大事な人を守れる様に、大切に護り抜く為に。
-[完]-


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