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第三章 お江戸大作戦


21歳になったばかりの秋。
私は上京した。東京は高円寺。

名前は聞いたことがあった。
銀杏BOYZだっただろうか。
調べるとどうやら音楽の街らしい。

こうしちゃいられない。
上京前に父におねだりし、
中古のベースを1万円で買ってもらった。

興味など1ミリもない。
田舎者だとバレないようにする為の策だった。

今考えるとよく分からない発想だ。



これを引っ提げていざ、参らん!!


なんとも田舎者の考え。
きっと武士道に反する。


案の定、
移動の邪魔になって仕方なかった。

大きな大きな鉛を背負い、
純情商店街をくぐり抜けた。


着いたのはシェアハウス。
たまたまだった。

いや、というよりも
家の契約が出来なかったというのが実のところ。

3畳4万円。
光熱費、その他日用雑費込み。


数週間前までの大阪での暮らしといえば、ベッドの上だけが自分のスペース。約2年間をドミトリーで過ごした。

そのことを思えば、
2万円上乗せではあるもののラッキーでしかない。


だがしかしbad
そんなことはもう問題ではない。


ヨガのインストラクターになるため、ここに来た。

目的はたった一つ。


気合を入れ、始めたアルバイトは計4つ。

某ヨガスタジオの受付
某駅ビルのアパレル店員
とあるコンビニ店員
高円寺のライブハウス

+ヨガのスクール


我ながら相当タフな人間でも
諸々崩れてしまうスケジュール構成だと思う。
おまけに休みは練習と勉強に励んでいた。


今書き起こしても
どうやって働いていたのかをあまり思い出すことが出来ない。

こういう人にこそ
マネージャーが必要だ。
マネジメントがまるで出来ない。

とにかくキツかった。
でも止まれなかった。

人は生き急ぎすぎると、
強迫衝動に駆られるようになり
時間ができればランニングまでするようになる。

イヤホンからはきっと
THE BOOMが流れてくるはずだろう。



ある日、学校からバイトへ行き、その休憩で勉強をする。
その足でまたバイトに行き、休憩で勉強をする。
電車に乗り、心の中でも練習をするのが染み付いていた。

ヘトヘトで家路に着き、
椅子に腰掛け、学校のテキストを広げながら、
右手にはボールペン
左手にはタバコ。


………

段々、何をしているのかわからなくなってきた。




























いや、出来るかぁぁぁあああああい!!


















机をひっくり返し
部屋をぐちゃぐちゃにした。












当たり前だ。
こなせるはずがない。

考えれば分かる話なのだが
渦中にいる人間には届かないものである。



そしてついに
根幹部のネジが外れ始めるが、

そんな事などつゆ知れず。
日常はまだまだ止まらない。


そういえば
変わったシェアメイトがいた。

大手テレビ局員
声優
大学生。

テレビ局員さんはあまり帰ってこなかった。
私のバイト三昧など比ではない事が分かる。


声優さんはとにかく凄い。
台詞ひとつにつき46通りくらい強弱や感情を変えながらひたすら読んでいる。
聞いている方はたまったもんじゃない。
どれが正解だったのかは未だ分からないままだ。



大学生の彼女はとにかく頭が良く、英語がとても堪能だった。
一人二役で英会話をするという独自の練習法で風呂に入るのが彼女の日課だった。
時々爆笑すら聞こえてくる。


面白い人間が沢山いるものだ。


これに感化された私は
シャワーをマイクに見立て
風呂の反響でLIND BERGを熱唱する癖がついた。はっきりと言える英語はKiss me。

そして誰もいない部屋で
多肉植物にヨガを教えるようにもなっていた。
同じ台詞を何度も何度も言い方を変えながら。


......人は確実に環境に影響される。


ただ、影響を受けたのは人だけではなかった。

まだギターと歌声が聞こえる夜の駅前。
聞いたことも見たこともない楽器を演奏している外国人。
目を合わせるとヤバそうなオジサン。
SHOW-YAみたいなお姉さんたち。


笑い声と怒号が交差する北口のロータリー。

あいも変わらず眠らない街だ。


ただ、不思議と私にとっては
穏やかな光景に見えるようになっていた。


いや、頭がおかしくなっていただけだとは思う。


とはいえ、
踏ん張ることが出来たのは
紛れもなくこの街のおかげだ。







庚申通り商店街
ここには私の働いていたライブハウスがある。
怖そうな兄ちゃんもお姉さんも皆優しかった。
何より奏でられる音楽がとても心地良かった。

ここのジェムソンのウイスキーが
世界と社会と政治と音楽を教えてくれた気がする。

今でも大好きなウイスキーのひとつだ。




北口の築150年はありそうな古い婦人科に通っていた。
おばあちゃん先生は言う。

あなたの子宮は全く機能していないねぇ。

いえば焼け野原ですよ。

でもね、芽は出るから。

水をやり続けなさい。頑張って。



きっと救われたわけではない。
ただ、このおばあちゃん先生が
婦人科史上一番優しい先生だということを私は知っている。




朝6時30頃。
馬橋公園では毎日太極拳に励むご老人達がいる。
師範は90歳越えのスーパー老師。

そして夏になればラジオ体操が小学校のグラウンドで開催される。
貧血解消の為にと恐る恐る行くと、
そこには総勢100人ぐらいのご老人がいた。

聞けばどうやら、参加スタンプを集めると区からお金がもらえるらしい。
定年後は杉並区民も悪くない。

薬の足しになれば幸せだ。





ライブハウスのマスターとベロベロになるのが高架下だった。

視界がぐるぐる回る中、
目の前に出てきたのは
酒でも料理でもなくグローブだった。
高架下で親子のようにキャッチボールをした。



朝が来るまで。






帰り道の大和町。
そこには明るいご夫婦が迎えてくれる居酒屋があった。
毎度ながら吸い込まれてしまう。

あたたかかった。

休みはご夫婦でゴルフにサーフィン、スノボーをしているらしい。
素敵なご夫婦だ。

お金があったら
店主達と一緒にゴルフをしたいなぁ。

そうは言ってもお金はどんどんすり減る。不思議だ。

そんな中、22回目の誕生日が来た。
いつものように店に入ると
テーブルには"オメデトウ"とケチャップで書かれたオムライスと、
床には家庭用のパターが敷いてあった。





私は泣きながらそこにホールインした。






















思い返しても涙が出そうになる程
温かく、優しく、そして面白かった。

こうして、

乗り越えられた夜と
迎えられた朝がある。

慌ただしいのに穏やかな光景。


私がここで出会った人達は皆、
どこもかしこも
果てしなく美しかった。































努力は報われ、晴れてヨガのインストラクターになり
一年が過ぎた頃、
突然人前に出られなくなった。

頭が真っ白なのかパニックなのか
謎の恐怖と止まらない不安で、
アッサリとぶっ壊れた。

恐らく、
メーターが振り切れたのだろう。

じきに電車に乗れなくなった私は
泣く泣く活動を休止し
こうして第三章が終わる。

満ち足りた3年間だった。



全ての仕事を辞めた私は
積み重ねた一切を捨て北海道に旅立った。



また来るよ!

と、風呂上がり。
高円寺の銭湯から。
私はその長い煙突に別れを告げた。

24歳、春のこと。

oki

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