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ぼくの声



あまり裕福ではない家庭で育ったからか、
お金は怒りと悲しみしか運んでくれないのだと
心底思っていた。


目に見えてお金がない

それは

目には見えないところに


影響を及ぼしていく



小学5年生のとき
心の貧しさに陥った。

どういうわけか
不安が止まらなくなったのだ。


漠然とした巨大な何かに
追われているような感覚。
まるで高熱が出ているかのような気分。

で、それは決まって
密集した全校集会やテストの時に起こる。

何故かめまいがして
必ずお腹が痛くなった。
やがて耳が遠くなっていく。

吐き気と痛みを抑えるツボを探すことに全集中するだけの時間だった。

毎度そうなることが、
ただの癖なのだと
疑問を持たなかった子供時代。


癖にしては厄介すぎる。


授業という空間には
異様な圧迫感があった。
黒板の字は二日酔いほど視界が歪んで見えた。



ふざけ散らし、皆皆様の授業を毎度妨害していたのは、

めんどくせぇんじゃ!!!と

授業を飛び出していたのは、

何かが私の中で
爆発しそうになっていたからだ。


成績が悪かったのは
恐らくテスト勉強をしなかったことが原因ではない。


テスト時間の1分1秒を必死に生きていたからだ。
考える暇が1秒となかった。


荒れ狂って見える素行の全ては
そうせざるを得なかった独自の防衛本能だった。

そう表現するしかなかった。

それが
不器用にも表現できてしまっただけだ。

そして、
救うはずの大人が気が付かなかっただけだ。


子供を案ずることなかれ。

そう思う。

子供の行動には何かしら
意味があると思っている。

何故なら言葉にしなくても
感情を行動で表現できるからだ。

きっと、わがままなのではない。

その表現をわがままだと評価する大人の浅はかな思考に着目すべきだと私は思う。


言葉ではないところを
表だった心でもないところを

ドブに沈んだその野球ボールを
素手で拾い上げ、
洗ってあげられるような
そんな人間でありたいと思う。



大人になった自分の足で巡り会えた、
価値観大どんでん返しの
愉快で素敵な人間達に

もし当時の自分が
出会えていたとしたら


きっと



助けてほしい




そう言えたはずだろう。







高校卒業と同時に
育ってきた環境から一人遠く離れたが、

何故か極貧生活は続いた。

成功哲学書と自己啓発本で知識は溢れかえっていたはずなのに
借金は不思議と1円も減らなかった。

だが、

本田健さんの
「ユダヤ人大富豪の教え」
という本には
だいぶ救われた。

勿論現実は何ひとつ変わらなかったが、

通帳の預金残高に
0を7個くらいボールペンで書き足して
モチベーションを保っていたことは確かだ。


今でもそのふわついた感覚だけは
リアルに覚えている。

















よし、人生ここからだ!!!!










だが、
そういう時に限って
車止めのU字の柵を交わせず
自転車ごとぶつかったりする。


痛みと悔し涙を払い
カットバンを買ってスーパーから出ると
自転車が撤去されていたりする。

















ぐ、ぐっそーーーーーー!!!!!














目に見えるものだけが全てではないのですよ。
見えないものはあなたに寄り添ってくれている。


そう言ってくれる、
優しいマザーからは

護身水を買う羽目になった。























ぐ、ぐそばばぁああああ!!!!!













こんな運だけを拾えるなんて
逆に強運な気もする


水といえば、
代表的なマルチ商法の勧誘もあった。
その入り口、靴を脱ぐ寸前で当時の恩師が引っ叩いてくれた。

メンターがどうのこうのいう投資、
合法ではないのであろう植物の栽培の話…

ある時は、まつ毛エクステの施術をしてもらいながら化粧品を売られた。

この良さをあなたが3人に教えるとどうのこうの…



騙しやすい人間一覧表に
私の名前が載っているのだろうか。


とはいえそんな数十年、
この一切に手を黒く染めずに済んだのは、
当時引っ叩いてくれた恩師の言葉があったからだ。


この恩師との生活はここに記録した。





巻き起こる不運の数々。
死に物狂いで生きた20代だった。


ある占い師には21歳で死んでいたと言われた。

そして
誰に手相を見てもらっても
そのくらいで
生命線が一度切れているという。
















なんちゅうこっちゃ。






















もはや、絶望の淵。

















そんな時だった。



岐阜県高山はまだまだ奥、
穂高のロープウェイ近くの歩道を
ひとりで優雅に散歩していた。


その日は爽やかな晴れだった。

山からすり抜ける穏やかな風に乗って
JUDY AND MARYを聴きながら
清々しい時間を歩いていた。

そんな昼下がり。












ふと
どこからか、
















"ほんとは何も要らなかった
もう大丈夫なんだよ
今も変わらず愛している"



















そう聞こえた気がしたのだ。














ほんまに。








その瞬間
じわっと何かが滲んだが

こんな私だ。
流石に冷静になる。


空耳が聞こえる程、
自分がバグっている。

ここにきて数日間、
ずっと異様に耳鳴りがしていた。

体調が悪かったこともあるし
また得意の変な妄想が行きすぎたのだろう。
多分そういう言葉が聞きたかっただけだ。




願望の空耳だ。





ジンときたそれをまた
穏やかな風に乗せて
遠く川の向こうに流した。

















数日後。





本当にたまたま、
目には見えないものが見える人に出会った。

勿論、初めは知らなかった。
今や絶滅しそうな
紙タバコの女性喫煙者仲間の一人として
目に見えて変わらない世界を皮肉ながらもくすくすと笑い合い、
互いのぶっとんだ経験談を共有した。

彼女が淡々と話す過去の人生録は
私とは比べ物にならない程薔薇道だった。

達観した捉え方。
悟りのような語り。

まるで別の世界を生きていそうだ。

別の世界…



長年、培われた勘が発動する。

…何か匂うぞ。


人間を疑い尽くすという十字架を背負わされた私は


早めの大手。



いざ、


玉将!!



















一寸のおじさんを見たことがありますか?

















彼女もまた、私のハッタリの
人を疑う心を見抜いたのだろう。















ははは!

大丈夫よ〜!
勧誘も騙しもしないから。

でもよく分かったね。

私がここに来たのはね、


龍がいるからなの。
















以下、心の声。

はいはい〜
また会いますか〜。
へーで最後は売るんじゃろーがい。

みんな初めはそうゆうんじゃて。

絶対ぜったい何も買わんけーな!!!


閉店。

ガラガラガラ、ピシャ。


心のシャッター以上。




いちいち反論しながら
話半分に聞き流していた。
















彼女は続ける。



でさ、
言っちゃうけど
狸のような毛の多い動物が
okiちゃんの肩に噛みついてる。

成仏できずにいるみたいよ。
悪いものではないけど…

何か心当たりがある?






と。
























感じたことのない
胸騒ぎがした。


















実は東京にいた頃
フェレットを飼っていたことがある。

可愛くて可愛くて仕方なかった。

愛おしすぎて名前が決められず、
数日間、ぼうちのおっちゃんのように

"ぼく"と呼んでいた。

いつしかそれが名前になった。


後から聞いた話、
母もまた同じ理由で"ぼく"というチワワを飼っていたという。

流石親子だ。



眩しい日々だったが
朝から深夜まで働き続ける生活と
それでも減り続ける残高と
相対するように膨れ上がる借金に
心はすさんでいった。

その子への感情がやがて辛さに変わっていった。

何もしてやれないことが辛い。
何もかもが乏しいことが辛い。

疲れ果てた愛の矢が
育てるという名の半紙に
親になる覚悟と太字で書かれた
命の重みで出来たお札の
そのど真ん中を突き刺した。


貧しすぎる心には
背負うものが大きすぎていた。

乾いた心に
生命の尊さが重くのしかかる。


破綻寸前だった。


…もう育てる自信が

ない。



その年の正月、
実家に連れて帰った。
その生涯を実家で過ごしてくれた。
父が溺愛していたこともあり、
ほっとしたが

実家に帰るたびに胸が痛く
その子に向き合うことが出来なかった。


数年後、不慮の事故で亡くなった。


私はそれを電話で聞いた。

その時、涙すら出なかったのだ。



飼い主としてやりきれない思いと
飼い主を放棄した自分が卑劣すぎて
悲しむことが許せなかった。


なんて卑怯な人間なのだろう
愚かで汚い。腐っている。

この先、あらゆる生命と何食わぬ顔で関わるのかと思うと
自分が酷く憎く思えた。


そんな自分を恨んでいた。






ドス黒い何かが喉まできた。




耐えきれない悲しみと
堪えきれない謝罪の念




思いの丈の全てを彼女に伝えた。















すると、














あの時、
高山で聞こえた空耳が


















彼女の言葉によって
はっきりと現実世界で












聞こえた。



















"あの部屋も、おもちゃも
大好きだったんだって。
遊んでくれるのがなにより嬉しかったって。


今も愛している。


そう言っているよ"














と。





























私しか知るはずのない世界

おもちゃは
キャリーバックのタイヤだった。

永遠に回していた。

キーホルダーのぬいぐるみに噛み付き、洗濯籠をぐるぐる回っている。

目を離すと隙間という隙間に入って危うく踏み潰しそうになる。

やっと捕まえた時には
埃だらけになっている。

おてんばっ子だった。

家に帰るまで
ちゃんと生きているか

ご飯は食べただろうか
下痢はしていないか
変なものを喉に詰まらせていないか
体温は大丈夫なのか

毎日毎日不安だった。

毎日の癒しに
笑って泣いた。

その愛おしい日々が

走馬灯のように
頭の中をぐるぐる巡った。
















私は彼女の部屋で
肩から崩れ落ちた。








涙は数日、止まらなかった。





















彼女から、
自分を責めると
成仏できないといわれ

思い悩むのを辞める決意をした。






そしてあの日以来、

ずっと治らなかった突き刺さるような肩の痛みが

嘘のように消えた。


























こんな親で本当にごめんね。

ありがとう。

私も愛していたよ。






























ずっとずっと
貧しかった心と身体。

そしてそれに付随するように
起こった出来事。


多分、
必要以上に寂しかった。

そして爆裂に
誰かに愛されていたかったのだと

今ならわかる。













もう大丈夫だ。












龍を見た彼女はその後四国に行った。

27歳の不思議な

奇跡の夏だった。





時は過ぎ、
三十路が始まろうとしている。


たいして状況は変わらない。


不思議だ!

なんちゅうこっちゃ!


勿論、寂しい日はある
道を大きく踏み外すこともある。

いや、そんなことばかりだ。



ただ、

がむしゃらに

生きるのをやめた。


多分明日くらいになれば
何かしらの支払いに恐れ慄く。

で、減っていく残高を見て
明後日も生きていることを

ただただ願うだけだ。

ミラクルな夢の日常など
待っていない。


期待の期の字もない。


ただ、どういうわけか
小5から続いた恐怖と不安は
知らぬ間に消えていた。


上手くいかないのもまた
人生なのだと思えた。



一生続くわけではない。


それくらい、
うすーくゆるーく
考えることにする。





















ひとりでもいい。





















私は確かに愛されていた。

それだけを知っている。


もう失くせるものは他にないのだから。

oki

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