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表参道で髪を切る日が来るなんて。

朝、寝ぼけながら洗面所で鏡を見ると頭上に野良猫が鎮座していた。

モサモサ、ふさふさ、モコモコ、ばふばふ。
黒いかたまりは大きく膨れ上がり、ねじれながら渦を巻いている。

眠気まなこでその塊を見つめながら撫でてみる。
それは猫ではなく自分の髪の毛だった。

昨日までは感じなかった頭上の黒猫を見て僕は思う。
あぁ、髪切らなきゃ、と。


髪が伸びると頭上に猫が住み始め、もみあげは荒波のごとく暴れだす。
そんな髪質だ。どうせどこで切っても同じだろうと思い、この3年ほど美容室選びはずっとテキトウだった。

職場近くでメンズカット3,000円の店を見つけ、約2ヶ月に1度仕事帰りに髪を切ってきた。場所は恵比寿。恵比寿で髪を切っているだけで、それなりにいい感じだと思っていた。

しかし、髪を切っても誰にも気付かれなかった。

自分なりに気分転換をしたつもりだ。自己主張するつもりもないけれど、誰にも気付かれず話題にされないとそれはそれで少し寂しい。しかし自分でアピールするのはもっと寂しい。

そんな数年繰り返すうちに、次第に自分への興味が少しずつ薄れていっていった。

僕は髪のクセがとても強い。ある程度の長さになると「パーマかけた?」と言われるような天然パーマだ。髪が伸びると毛先で遊ぶどころか毛先に遊ばれ始める。

毎日のセットもどうにもならず、髪型を整えることをほぼ諦め「無造作ヘアー」を言い訳に、とりあえずの整髪料をつけて日々をやり過ごしていた。

そんな時だ。
友人が表参道の美容室を紹介してくれたのは。

担当している美容師さんに全幅の信頼を置き、毎回「おまかせ」で切っているという。僕の頭上の黒猫を見つめながら、きっとクセを生かした髪型、いやヘアースタイルを提案してくれるはずだと薦めてくれた。

価格は約7,000円。
今までの倍の値段だ。果たしてその価値はあるのか。


あった。

2020年、僕は表参道で髪を切り始めた。


オシャレだ。
表参道というだけでもはやオシャレ。

「おれ?表参道の美容室で髪切ってるよ?」

その一言だけで「コノヒトハオシャレ」というイメージを相手に与えることができるのだ。

まぁ、表参道=オシャレとか言ってる時点でオシャレじゃないんだけども。表参道で髪を切っていいのはジーパンのことをデニムと呼べる人だけ。何も考えずに車内BGMに洋楽を選べる人だけ。そう思ってる。

今まで3回通ったけれど、まだまだ慣れないのが正直なところだ。

入店前。緊張する。
ガラス張りの入口に、床も壁も真っ白な店内。「どうぞ私たちを見てください」と言わんばかりの自信に溢れた店内にこれから入らなければいけない。そんな空間で財布を出すのをマゴつくなんてオシャレじゃないし恥ずかしい。

「見ろよ!あいつ財布を出す手が震えてやがる!」
そんなこと言われたら恥ずかしくて涙が出ちゃう。

僕はいつも店の5メートル手前で立ち止まる。そして店から見えない場所で財布の中からメンバーズカードをひっそりと取り出すと、それをおもむろにコートのポケットへ忍ばせる。

これでOK。あとは店に入ってそのカードを何食わぬ顔で差し出すだけ。
スマートだ。スマート過ぎる。ここまでは表参道らしい振る舞いができていると思う。


次はオーダー(ヒアリング)。緊張する。
髪型の頼み方が分からない。そもそも髪型の種類なんてショートかロングかボブかボウズくらいしか分からないのに。学校で習ってないだろう。

なんでみんな知ってるんだ。どこで覚えるんだよ。メンズノンノか?ファインボーイズか?少なくとも週刊ベースボールには載ってなかった。

それでもこの美容室はそんな読書歴も理解してくれる。頭上に寝転ぶ黒猫をなでるように僕の髪を触りながら、髪質やクセを確認していくつかのポイントを聞いてくれる。

今までの美容室では「なんとなくこんな感じで」程度だったけど、もっと細かく、しかもカットしてからのまた髪が伸びるまでのこと、帰ってからのセットのことまで考えてくれている。

表参道のホスピタリティは伊達じゃない。好きになっちゃう。
この時点で、入店時の不安はだいぶ薄らいでいる。


しかしシャンプー。緊張する。
革のリクライニングチェアなんてそう座る機会がないんだから。勢いよく偉そうに座らないよう慎重さを忘れちゃいけない。高級フレンチのマナーのように、表参道にもきっとそんな見えない罠がきっとあるんだから。

「首の位置だいじょぶですか?」と言われましても。こちとら正しい位置が分からない。もしかしたら京都弁的な言い回しなのかも。「首の位置が大変ご立派どすえ」=「もうちょっと上まで持ってこいよ」みたいな。でも正しいのが分からないんだもの。とりあえず「ダイジョウブデス」と答えるしかない。

あの椅子に寄りかかると、いつもより少し声が高くなっちゃうのはなぜなの。

目隠しのガーゼをかぶせてくれるけど、何がどうしてどうなるのか、鼻息で少しずつズレてきてしまう。鼻の穴はそっちについてはいないだろう。なぞなぞなの?

完全にズレたら恥ずかしい。寝そべる僕を見つめながらシャンプーする君(美容師)。君が見つめるその先に、白いガーゼがふわりと浮かぶ。

そんなことが起きないように、徐々に呼吸を浅くしていく。シャンプー終盤はもはや打ち上げられた魚のように息も絶え絶え。

色々と気を使う。だけど気持ちいい。
表参道のシャンプーはとても気持ちいい。

今までの美容室は、とりあえずの行事としてシャンプーだった。だけど表参道の美容室は完全に「サービス」を提供している。

髪を洗うというよりはケアだ。マッサージもしてくれるしシャンプーの香りも良い。心なしか注ぎ方だって丁寧だし、そもそも水が違うんじゃあないか、水が。

これだけ丁寧にしてもらえると安心感が半端じゃない。シャンプーをしてくれたスタッフに毎回恋をしそうだ。男だろうが女だろうが関係ない。

繊細な指使いで頭上の猫を優しく洗い上げてくれたその人は、なんて素敵な人なのだろうと。頭上の野良猫は気付けばシャム猫に。

そしてふと思うのだ。
僕は前の美容室で何をされていたんだろう。髪を濡らされ、ガシガシと洗われ、少し生乾き臭のするタオルで顔をふいていた。

もしかしたら収穫されたもずくを洗う漁港の洗い場にでも放り込まれていたのかもしれない。



漁港から表参道への進歩を果たし、シャンプーが終わるとついに髪を切る時。気付けば不安も緊張もほとんど無くなっている。

この美容室に来てから、僕は雑誌を読まなくなった。

美容師と話すのがとても楽しい。自分の髪型のことを理解してくれながら、それに合うファッションのことも話してくれるから。

「メガネをかけてみたらどうか」「髪を伸ばしてもいいだろう」とか。野良猫天然パーマの僕に「パーマをかけたら?」と言った時は驚いた。その方が全体のバランスがとれるらしい。そんな提案をされたのは初めてだ。

自分の中に今までなかった選択肢や可能性がどんどんと出てくる。そして、ちょっとずつではあるが、これまで薄らいできた自分の容姿への興味や好奇心が戻ってきたように思うのだ。

どんな自分になりたいか。どんな自分がかっこいいか。

そんな気持ちをずっと忘れていた。
何も考えずに毎日着ている仕事服のまま適当に美容室に行き、適当に髪を切っていたんだ。向上心が湧くはずもない。

髪型の話だけじゃない。
休日の過ごし方や趣味のこと、好きなものの話。

そんな話をしていると自分を見つめなおすきっかけになっている気がする。自分はどうしてこれが好きなのだろう。何が楽しいのだろう、と。

前の美容室ではずっと雑誌を読んでいた。何かを探るように鏡越しに美容師を見て、耐えられずに雑誌に手を伸ばしていた。自分で選んだのではなく目の前に差し出されたものの中から雑誌を選び、さして首を曲げることもできずに目を細めながら1時間。読むというよりも雑誌を見ていただけだった。

今は違う。
興味や好奇心で自然と鏡越しに美容師の方を見て会話をしている。自分で意識したわけではなく、この美容室がそうさせてくれている。

会話をしているとあっという間に時間が過ぎる。
気付けば僕は新しい髪型に変わっているのだ。


髪を切る行為は同じはずなのに。
不思議だが、この美容室に通うようになって色々な人から「髪切ったね」と気付かれるようになった。「雰囲気が変わった」とか「今っぽくなった」とも。

気付いてもらえると恥ずかしいけれど嬉しい。自信が少しずつ湧いてくる。
毎日の髪のセットも今までより意識するようになった。もっと自分を格好よく見せたいと思うように変わったことで、服装も意識するようになった。


表参道の美容室で髪を切る。
それは毎回僕に少しだけ、自分を変える勇気を与えてくれているように思う。今まで疎かにしていた自分への興味を取り戻し、自分の背中を押してくれる。

まだ表参道らしい男ではないだろう。そこまでオシャレではないだろう。
でも、自分がこうありたいという理想を持ちながら、少しでもその理想に近付こうとすることが格好良くてオシャレなのだ、きっと。

オドオドする必要なんてなかった。

シャンプーで理想の首の位置を決めればいい。
目隠しが飛んでいかない呼吸術を開発すればいい。
……というか、そんなこと気にしなくていいのかもしれない。


頭上の野良猫が恋しくなる時もある。だけど今は野良ほど暴れないうちに、飼い猫で留まっているうちに僕は予約をしている。

なりたい自分に少しでも近づけるように。
僕はこれからも表参道で髪を切るだろう。

店の前でカードをポケットに忍ばせ続けて。



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#私が美容室に行く理由

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