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『海獣の子供』、海獣の映画じゃない件

カラオケに行けば米津玄師しか歌わない俗物、ジョーズ3世です。だって万人受けするんだもん。ヒトカラだけどさ。

この間、そんな僕らの米津玄師が新曲を発表なされた。なんと映画主題歌!

うーん、微妙! というのが最初に聞いた感想だった。妙な高音とファルセットが気持ち悪い。数回聞いているうちに慣れてくるけれど。

聞けば米津が原作『海獣の子供』の大ファンだったらしく、米津側から主題歌製作をオファーしたとのこと。すげえな、世の中ってどこがどうつながるか分かったものではない。

ん? 海獣……ということはラッコや、くじらや、

サメが出てくるんですか!?

こうしちゃいられねえ。腐ってもサメを名乗っているジョーズは、こうして劇場へと足を運んだ。なお、道連れは友人二名。女(水族館が好きで、こういう映画が好き)と、男(水族館よりもアクション映画の方が好き)。

(この先、映画『海獣の子供』の内容のネタバレを含みます! 注意!)

求めているものと違う

さて、水族館大好きな2人とアクション映画大好きな1人は意気揚々と品川の映画館に到着した。なんという偶然か、ここは隣に水族館もある(入らなかった)。

で、上映が始まった。江の島だか湘南だかに住んでいる中学生の女の子が、うまくいかない現実に悩んでいるところで、ジュゴンに育てられた(マジです)兄弟と出会い、夏休みの冒険に繰り出す……というストーリー。躍動感あるクジラも最初に出てくるし、ところどころはさまれる水族館の描写はとても絵が綺麗。水族館好きな人は大満足だろう。

ところが後半、兄弟の片割れである空が海中に消えて行ってから、なんだか登場人物の様子がおかしい。やけに抽象的なセリフしか言わなくなるし、最後の20分はそもそもほとんどセリフがない。

じゃあ何をしているかって言うと、この映画の筋をすごい大雑把に言うと、

①海の生き物が集まる「誕生祭」がある

②誕生祭の開催場所を示す隕石を主人公が預かる

③誕生祭が始まり、その場所に導かれた主人公のもとに兄弟の片割れ(海)がやってくる

この①、②のくだりはおさかなファン大歓喜のさかなさかなクジラサメイルカ描写が続くのだが、③がキツイ。

このブログで言及されているように、抽象度が高すぎて鑑賞者の読解力を必要とするのだ。

例を挙げればきりがないのだが、例えば、「そもそも誕生祭ってなんだよ?」という疑問。

作中では地球が子宮(もう意味わからん)、隕石が精子というメタファーが繰り広げられ、実際に受精卵やその発生過程を模した描写が繰り返される。そしてそこから宇宙のイメージが広がり、人体もまた宇宙として考えられるという作り手の宇宙論がキャラクターの口を通して鑑賞者に共有される。そして「我々が宇宙であり、同じ材料でできているのなら、我々は分かり合うことができるはずだ……」という超理論が展開される。

俺たちは宇宙だったんだ……。

おさかなさんキャッキャ(´∀`*)ウフフの映画を見に来たと思ったら、宇宙論が展開されていたのだ。その時ジョーズは悟った。

この映画、需要とテーマがマッチしてねえ。

おもしろいんだけど、海獣の映画ではない

一緒に見に行った友人は、両方とも寝てたよ。特に後半。だってほぼセリフナシで進む上に、絵面は暗い場面が多いから。

だから、水族館とか海の生き物が好きだから~って理由で行くと確実に後悔するタイプの映画だと思う。

しかし、ジョーズはもう一回見に行きたいタイプの映画だと思った。

原作者独特の宇宙論はわかりにくい部分がある。しかしそれは登場人物の(少ないが)セリフと、圧倒的なアニメーションによって読み取りやすくなっている。セリフと映像の意味を常に考えながら見れば、この映画は全く違った角度から見ることができるはずだ。

で、宇宙論が展開された後に改めて「海の幽霊」をエンドロールで聞くと、また感動もひとしおである。映画を見る前はよくわからなかった歌詞の意味や、サンプリングされたクジラの鳴き声(これも映画で重要なファクターになっている)にいちいち感動する。一粒で2度おいしい。

というわけで『海獣の子供』、おススメです。ただし映画マニアとか、抽象的思考や宇宙論に耐えられる脳みそ、そして前半の(ほぼ無意味な)1時間近くの日常描写や導入を我慢できるタフネスのある人に対して。

でもさあ、やっぱタイトルは詐欺じゃない?

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