大河原健太

絵描き。 木版画、シルクスクリーンなど主に版画技法により作品を制作中。 2017年に故…

大河原健太

絵描き。 木版画、シルクスクリーンなど主に版画技法により作品を制作中。 2017年に故郷福島県にアトリエ、「柊スタジオ」を設立。 俺は、残された時間で何ができるのだろうか。 絵本作りました→http://okawarakenta.tumblr.com/goods

最近の記事

時間が何かを盗むのか

スッキリしたと思ったら、次にスッキリしなければならないものが来る 子供テーマパークによくある、キャラクターの大きなバルーンの中にある、カラーボールくらい押し寄せてくる。 足りないものは無いのか、無いものが足りないのか。 面倒になれば 面倒じゃなくなるし、 必要になれば必要じゃなくなる。 その質量は0だった。 その質量はまったく0だった。 遠い遠いところで聞こえるうたを聴いている。

    • はじまる

      液体が液体を飲み干した20:19 炭が考える ここはどんな空間なのか ただ、黒いということは分かる 暗いんじゃなくて、黒いんだ 透明の板が、12,696枚が重なった黒さ 音は、色彩と等価になる 4プラス4が叩く 叩く まるで水みたいだ 頬杖をつく、煙が目に染みる、そして叩く、叩く 十分な時間が流れる 表現するのに十分な時間が流れる 少しだけ、必要なものを願う ほんの少しだけ。

      • 浮き輪

        今日は多分暑いんだ。 10秒でアイスは溶けた、 浮かんでいる。 輪っかが。 輪っかが水に浮かんでいる。 中身が空気だ。 流されたと思ったら、戻ってきたり、ゆらゆらしてる。 輪っか、輪っか、輪っか、輪っか、 そうだな。 帰りたいのかな。帰りたくないのかな。

        • 小腸の星座

          改造された窓からの景色は面白くもなんともなかったけれど、 時間は確かに刻まれていた。 正確かどうかはわからないけれど、変化だけは感じることができた。 それは小腸の星座が、季節とともに見えたり、見えなくなったりするように、ゆっくりと回転していたのだ。 体の内側にめくれるように潜り込み、 寝そべってみていた。

          待つことの湿度

          いつか届くはずだったTシャツ。 結果行われることがなかった運動会。 待ち続けていた。 昨日行われたことが明日に行われず、 明日に行われることは昨日終わっていたかもね。 間違えたことがあるとするならば、 それはきっと6月。 わたしは君を待っていたし、 待たせてもいたと思う。 半分先の未来を、焼き芋を齧りながら考えている。

          待つことの湿度

          鉛筆の尖り方

          みたこともない削り方で鉛筆を削ったら、どんな絵が描けるのだろう。 この世界に見たこともないものはあるのだろうか? 音楽と野菜のはざまで、文字同士が衝突しているような気がした。 あのときのあの人と、ぼくはどんな話を、したのだろうか。 思い出そうとすると、全てをひらがなにしたくなる。 砂漠と山の稜線の関係を思いながら 昨日と17年前を思いながら 死んだ月を思い出している。

          鉛筆の尖り方

          わからない

          昔の日記を読み返してみると、とても面白かったので。 未来の自分へ。 最近は、自分でも価値観がちょっと変わったと思う。 今までは、自分の環境をどう整えるかだったのが、周りのことを考え流ようになった。 誰もが何かに関係している。 誰にも会わなかった日にも、何か食べたり、動画見たりする。 誰かの仕事が、自分を生かしている。 これって結局、生かされていると同じことだ。 そう生かされてる。死のうと思わない限り。 考えていくと、ただ当たり前のことが、当たり前に起きる。

          わからない

          Offになるとき

          ここにいながらここにはいない 暗くなる速度と同じように 魂の瞼を閉じる 言葉は言葉のまま、固まった絵の具のように そのままそこにある 時間と空間が、混ざりながら タンパク質を分解する これを毎日繰り返している 不思議なことに黄色から青色へ向かう振動と全く同じ軌道を描いて 僕もここにいる 46階建てのビルディングぐらいあるスキャナーが、心の中にもあることを 全く忘れていたのだ 本当に、全く忘れていた

          Offになるとき

          アパート

          あの人のアパートに、忘れていった飲みかけのペットボトル。 そのことを思い出してみてから、そのときにおいてあった机の色と木目のことを考えた。 考えている時に目に映っていた楽天のバナーを、 クソみたいだなと思った。思うことを思い始めたのはそのあたりからだった。 光をみながら、光を発して、アパートに届くことを思った。

          巨人

          おれが巨人だった頃の記憶。 言葉は色とかたちに分かれていて、おれの友達は色とかたちを聞いていた。 シコーというおれの友達は、おれの話が好きで、よく水色と黄色の丸いかたちを聞かせてくれた。 ときどき眠れない夜は、ピンクとうすい紫が混ざったような色を、話すでもなく、聞くでもなく、見るでもない、なんとも言葉にしずらい行為でやりすごした。 例えるなら、走りながら疲れず、過去の景色の中にいるような。 そうだ、「いる」という言葉が似ていると思う。 昔巨人だった、おれの話。

          隙間から声

          まあ待て、まあ、待て。 一人夕飯、米粒の隙間から、聞こえた。 気にはなったが米粒を食いたかったこともあり、無視して米を食い続けた。 くしゃみがでるぞ。と。 明日は雨降りだぞと。

          隙間から声

          森の魚たち

          薄暗い朝、森の魚たちがまだ眠る時刻。 移動の速さは色によって伸び縮みして最後には8つの方向に分散して分かれる。 食事はカレーライスとたくあんと相場が決まっている15回目の夜は、 月の満ち欠けと胃袋の縁が連動していた。 早すぎることなどないと、森の魚が教えてくれた。

          森の魚たち

          夏にまた

          格子状のカーテンのようなタマゴの殻が、薄くある。 数を忘れたように見える鳥は、羽毛の突起によって数を作っている。 グラスの氷が46%溶けた夏にまた、子供達が肝試しに向かう。

          蜘蛛

          今、まさに昭和58年の夏に。 野菜の輪切りは垂直に切るとまな板を転がってしまうことが発見された。 斜めに切ることを是とされて以降の夏は 蜘蛛がたくさんでるようになったらしい。 でも安心してほしい、それはあなたが思い浮かべるおそろしい姿ではなく、 レモンの粒ほどの、思わず挨拶してしまいたくなるようなヤツだ。 昭和58年の夏以降、空の位置は高くなり、蜘蛛はかわいらしくなった。

          あのときの温度

          わたし、わたしだったの。 私はたしかに私だけど、私を私だと思っている私を判断する私はどこにいるの? 8月25日の私は、暑いの。12月25日の私はきっと寒い。 それは私なの? カーテンがない、部屋で。

          あのときの温度

          粘り気のする汁、首に。

          整えた先で、何かに当たったような感触を持ったまま 風の行く先を探してる。 あなたはそこにいるのでしょうか?そこにいるかそこにいた人。 おそらく、グラスの破片が同じにはなったことはないだろう。 1ページは横から見たら高さになった。 粘り気のする汁、首に。

          粘り気のする汁、首に。