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リリカル・スペリオリティ! #4 「ダブルフェイスの精度」

第4話 ダブルフェイスの精度

※前回までのお話はこちら

1.
 「佐藤リリカ」。1ヶ月ほど前に上野桜丘高校1年C組に転校して来た女の子。母親は日本人、父親はアメリカ人、双子の兄が1人。転校前はアメリカの日本人学校に通っていたが、両親の仕事の都合で日本へ。
 海外から転校して来たとはいえ、高校1年生の、しかも新学期に転校生が来るのは珍しい。入学前に挨拶に来た際は、忙しい両親に替わって双子の兄が来たという。
 華蓮は、閲覧していた「1年C組生徒情報」というファイルをと閉じると、職員室の「取り扱い注意」と書かれた戸棚に戻した。生徒の個人情報に関わる内容なので、たとえ教師であってもここにあるファイルは持ち出しNGだ。
 といっても、華蓮の頭には「佐藤リリカ」に関する情報は既に刻み込まれていた。佐藤リリカは、警視庁公安部が長年追っている「デビルズ」の一員ではないか、と疑っていたからだ。
 しかし、公安部の上司の小林からは、「早々の判断はやめろ」、と釘を刺されていた。せめて、接触して話をし、確証を得るまでは。
 体育祭の振替休日や彼女の欠席が重なり、華蓮が担当する美術の授業という、「正式ルート」での接触は今日が初めてとなった。 

 華蓮は自分の椅子にかけてあった白衣を羽織ると、冷房の効いた職員室のドアを静かに締めた。
 4時間目の授業の出席簿を脇に抱えて、階段へと向かう。廊下には冷房なんてないので、梅雨のジメジメとした空気が充満していた。
 廊下ですれ違った生徒から挨拶されると、いくら潜入中とはいえ、自分は本当に教師をやっているんだなぁ、と不思議な気持ちになる。
 挨拶には笑顔で返しながら、心臓の鳴る音は美術室に近づくにつれてどんどん大きくなっていった。

 佐藤リリカ、一体どんな子なんだろう。デビルズだったら、絶対に捕まえてやる。
 華蓮は、手にかいた汗を白衣でぬぐい、佐藤リリカが待つ美術室の扉を開けた。

「4時間目の授業始めるよ〜」
 授業前でガヤガヤしている生徒たちに声をかけると、みなそれぞれの席へと着いた。
 先日から続いている風景画の授業。生徒たちは各々描きかけの画用紙を取りに、一度美術室に集合する。授業開始後に解散、各々の場所で描くことになっている。
 佐藤リリカと思われる生徒は、すぐ目に入った。
 少し紫がかった髪は肩の辺りでウェーブしていて、顔の鼻から頬にかけては可愛らしいそばかすが散っている。どこからどう見ても「普通の」女子高校生だ。
「佐藤リリカさん、いるかな?」
 華蓮は、知らないフリをして美術室をキョロキョロした。
「はい」
 佐藤リリカが少し高めの声で返事をして、華蓮の前までやって来た。
 色白い肌に、大きな瞳が真っ直ぐこちらを向いている。
 華蓮は、手元の水彩画道具に視線を落とした。
「これ、絵の具とか、筆とか、これから授業で使う道具ね。この後、一度解散して学校内の好きなところで絵を描いてもらうことになってるの。画用紙は、これを使ってね」
 受け渡す手が、僅かに震えた。ここで自分の正体に気付かれるわけにはいかないのに。
 心臓の鼓動が早まるのを感じながら、佐藤リリカの目をもう一度見た。デビルズなのか、それとも全く見当違いで、ただの転校生なのか…。
 思わず、佐藤リリカの長くて美しいまつ毛に目が行く。
 佐藤リリカは道具一式を受け取ると、静かに微笑んだ。
「ありがとうございます。…先生、園子ちゃんが言ってた通り、とってもお綺麗ですね」
 な、なぬ!?
 呆気に取られる華蓮をよそに、佐藤リリカは席へと戻って行った。緊張を断ち切るように、4時間目のチャイムが鳴る。
「じゃ、じゃあ授業始めまーす」
 佐藤リリカ、やっぱり普通の女子高生かも…。
 華蓮はフワフワとした気持ちを抑えながら、授業を始めた。


2.

 屋外で絵を描いている生徒たちの様子を見に、外に出た。
 校庭のトラックに沿ってしばらく歩くと、隅で1年C組の生徒たちが集まっていた。生徒たちの中心には、季節外れの桜の木があった。この木には、クラスの約半数の生徒が集まり、皆熱心に画用紙と向き合っている。

 その輪の中に、渡辺園子を見つけた。渡辺園子は持ち出し用のパイプ椅子に座り、その桜の木の幹をじっくり観察していた。
 しかし、佐藤リリカの姿はない。
「あれ?渡辺さん、佐藤さん知らない?」
 佐藤リリカは、てっきり仲のいい渡辺園子と一緒に絵を描いているとばかり思っていた。
「あぁ、鈴木先生。リリカ、『桜は難しそうだからいいや〜』って、別のところに行きましたよ。たぶん、その辺にいると思いますけど…」
 季節外れの桜と佐藤リリカを何となく結びつけてしまったが、勘が外れたようだ。
「ありがとう、渡辺さん。どこで描いてるのか把握しておきたいから、探してくるね」
 校庭をぐるりと囲む桜並木ーと言っても『季節外れの桜』以外はほとんど青々とした葉を繁らしているが、どうやらこの周辺に佐藤リリカはいないようだ。

 梅雨独特の、ムシムシとした空気で首周りが少し汗ばんでいる。次回の授業から、生徒に描いている間も適宜水分補給をするよう呼びかけなければ。
 校庭のトラックをぐるりと回り、大きな鉄格子の正門の前に来ると、校舎を見上げるような形でパイプ椅子に座っている佐藤リリカが見えた。
「あ、佐藤さん!」
 佐藤リリカは、前回までの授業にいなかったため、鉛筆で下書きするところから始めていた。
「…あぁ、先生!」
 佐藤リリカは下書きに集中していたらしい。肩をビクッと振るわせ、顔を上げた。
「ごめんね、びっくりさせちゃって」
「いえ、大丈夫です」
「どう?描きたいものは見つかった?」
 佐藤リリカの画用紙を覗き込むと、校舎らしき建物と、屋上から垂れ下がる横断幕が3つ描かれていた。
 校舎に対する横断幕の大きさがまちまちだ。
 だが、横断幕の「祝全国大会出場 上野桜丘高校弓道部」など、文字はきっちり描かれている。始めから細かい部分を描こうとしすぎて、全体像が掴めていないのかもしれない。
「絵って、難しいですね…。横断幕を描いたら窓の線が変になって、窓を描いたら横断幕と変にかぶっちゃったりして」
 佐藤リリカは淡々と言ったあと、華蓮に向かってにっこり笑った。
「そうね、絵の描き方って、学校教育の中でじっくり教わることがあんまりないしね。まずは、どこを切り取って描くか決めようか」
「切り取る?」
「うん。1番手っ取り早いのは、指で長方形の窓を作って、そこから見える景色を描く、と決めるの」
 両手の親指と人差し指を伸ばし、他の指を折り曲げ、横長の長方形を作るように重ねる。
 佐藤リリカも両手で窓を作り、「こうですか?」と顔をこちらに向けた。
「そうそう。1番描きたいものに焦点を合わせたら、窓から見える景色はどんなものが見える?」
「う〜ん、横断幕に焦点を合わせても、校舎の3分の2くらいは入っちゃいますね…。校庭も少し入るし、サッカーゴールも入ります」
 佐藤リリカは、驚いたような顔つきだ。
「描くものが色々出てきたね。そしたら、校舎はこれくらい、サッカーゴールはここにこれくらい、みたいな感じで大まかに描いていこうか」
 佐藤リリカは、華蓮が言った通り、校舎やサッカーゴールなどを大体の形で描き始めた。デビルズなのではないか?と身構えていたので、素直な性格で少し拍子抜けした。
「…うん、そんな感じ!そしたら、校舎と校庭の傾斜、えーと、つまり、ここから見える校舎の角度が、さっき作った手の窓とだいたい合ってるか確認してみて」
 佐藤リリカが再度手で長方形の形を作り、覗いた。
「う〜ん、角度がないっていうか、平坦かも…」
 たしかに絵の中の校舎は、実際よりも平坦に、水平に描かれていた。
「大丈夫大丈夫!まだ大まかに描いてる段階だから、いくらでも描き直せるよ!地面の線を少し斜めに引いて…」

 華蓮が時々アドバイスもしながらも、佐藤リリカは自力で大まかな下書きを完成させた。
「おお!なんか本当に、『絵』って感じ!」
 佐藤リリカの顔がパッと晴れ上がった。美術室で顔を合わせたときよりも、「人間」らしい。
 佐藤リリカ、こんな風にも笑うんだ…。
「後は、窓とか、横断幕とか、細かいところをちょとずつ足していけばいいから。また何かわからないことがあったら聞いてね」
 他の生徒を見てくるから、と言い残して、佐藤リリカの元を離れた。
 疑っていたのが少し後ろめたくなった。


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参考文献

野村重存(2017).『増補改訂 今日から描けるはじめての水彩画」.日本文芸社.

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