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リリカル・スペリオリティ! #3 「佐藤リリカの憂鬱」

第3話 佐藤リリカの憂鬱

※前回までのお話はこちら

1.

 佐藤リリカは激怒した。ペットボトルを捨てるのに、本体とラベルを分別しなくてはならないことに。
「なんっでいちいちラベルを剥がさなきゃいけないんだよ!だったら最初からラベルなんか付けるな!」
 2Lペットボトルからラベルを剥がし、プラスチックゴミ用の袋に捨てた。袋の中でラベルの粘着質がくっついて、さらにイライラする。
「仕方ないですよ、新宿区のゴミの出し方で決まってるんですから。それにあなた、昨日ビニール傘見て『エコじゃないな』とか言ってたじゃないですか!」
 サタンは朝食を食べ終わり、洗濯物を干していた。今日はよく晴れていて、昨日雨で濡れた靴下やシャツもすぐに乾きそうだ。

 午前7時。朝は、ゴミ捨て、朝食、洗濯(晴れてたら)をサタンと手分けし、さらに自分たちの身支度までしなければならない。
 テレビからは、1年前に起きた連続強盗殺人事件の首謀者が逮捕されたニュースが流れている。なんでも、大規模な特殊詐欺グループによる犯行で、事件当時は連日世間を騒がせていたらしい。
 プラスチックゴミをまとめ、玄関に置いた。学校へ行く時に、ついでにアパートの1階にあるゴミ捨て場に捨てるためだ。曜日ごとにゴミを分別しなければならず、かなり面倒くさい。

「そういえば、チェイサーのことについて、本部から何か回答はあったか?」
 昨日の夜、サタンが言っていたチェイサーの件が気になって、すぐ本部に問い合わせた。あと30分で家を出なくてはならないが、確認しておきたかった。
 サタンの言葉を待ちながら、温めておいたヘアアイロンの温度を確認し、髪の毛に通した。この梅雨の時期は、髪の毛がうねって鬱陶しい。
「それが、僕たち調達部には情報が降りて来なくて。だから、秘書課の後輩からこっそり聞き出したんですけど、情報部の調査担当が1人、やらかしたみたいです」
 ベランダに洗濯物を干したサタンが、洗濯カゴを片手に戻ってくる。部屋が狭いので、カゴが大きく感じた。
「やらかした?」
 机の上に置いた鏡には、アイロンを通してもうねり続ける髪の毛が写っていた。『佐藤リリカ』の体を作る際に、日本の梅雨でも髪の毛が広がらない、という注文をつけておけばよかった。
「今回僕たちを作るために、省庁のシステムで色々なデータを集めたところまでは良かったんですけど、アクセス履歴を消す前に向こうの情シスに気づかれちゃったみたいで」
 サタンは、洗面所に洗濯カゴを置くと、ハンガーに吊っておいたシャツに手を伸ばした。緑のハスのような絵柄―サタンが通っている横浜緑ヶ丘高校の校章―のついたシャツだ。
「さすが国のシステム担当だな。でもそれだけじゃ足はつかないだろ?国外のサーバを色々経由させた上に、最終的には出所がわからないようにしたって聞いてるし…」
 本来、サーバを経由させなくてもチェイサーがこちらに辿り着くことはないが、海外からの不正アクセスに見せかけた方が、足がつきにくい。しかし今回は、その偽造工作が仇となったようだ。
「そうなんですよね…どうして『チェイサー』が我々の動きに気づいたのか、本部にもわからないそうです」
 サタンは、シワひとつないシャツに腕を通した。元々生真面目な性格なので、昨日寝る前にアイロンをかけたのだろう。
「まあ、そのやらかしたっていう調査担当はもうダメだろうな」
「はい…そうみたいです」
 サタンの顔が曇った。長いまつ毛が下を向く。
「どうかしたか?」
「いや、たぶん、そのやらかしちゃった奴、僕の同期なんですよ。そんなに話したことはないけど、情報部に入るために色々頑張ってたっぽくて。」
「…仕方ないだろ。任務の続行が不可となった時点で私たちは…」
「はい、わかってます。」
「…心配するな。今回、お前は見習いとして来ているだけだ。私に何かない限りお前に飛び火しない。そんなこと心配するより、次回任務が与えられた時のために日本の高校生ライフを堪能しておけ」
「でも僕、リリスさんに万が一のことがあったら、嫌ですよ」
「万が一のことがあったら、お前にも助けてもらうから。一応、お前の役目は私の付き添い、世話係、いや下僕…?」
「ちょっと!なんかどんどんレベル下がってますけど!」
 あと15分で家を出なければ、2人とも遅刻である。


2.

「3時間目の数学の山下、マジで何なの?いくら日直が前の授業の黒板消し忘れたからってさー、文字がいっぱい書いてある黒板に上書きするか普通?注意して消して貰えばいいだけじゃん!」
 園子はご立腹で、学校の廊下に園子の声が響き渡った。周りにいた生徒がこちらを振り返っている。
「まぁまぁ、消し忘れちゃった私が悪いから、怒んないで」
「リリカはまだ日本に来たばかりなんだから、慣れてなくて当然でしょ!」
 日直はその日の授業の黒板を、みんながノートに写し終わったかな〜、というタイミングを図って消し、その授業の記録を日誌にも書かなくてはいけない。今日日直だったリリカが、黒板消すの面倒くさいな〜とぼんやり思っていたら、次の授業が始まってしまったというわけだ。
「そういえばリリカ、次は美術の授業だけど、今日が初めてだよね?」
「うん、そうなの。体育祭の振替休日とか、私が風邪ひいて休んじゃったりとかして、何だかんだ初めてかも」
 本当は任務のための調査で休んだだけだが、そんなことは言えない。
「だよね!美術の鈴木先生、すっごく可愛いんだよ。髪が長くて、スタイルも良くて」
「へぇ〜そうなんだ」

 1年C組の教室から出て階段を登り、2階に上がって2年生の教室がある通りを進んだ。2年D組の教室を右へ曲がった左手に、美術室はあった。
 美術室に入ると、固まった絵の具や粘土など、独特の臭いが鼻をかすめた。
「今は外で校庭に咲いている花とか、建物とかを描いてるんだけど、リリカは今日が初めてだから、先生から絵の具とか筆とか、道具一式渡してもらえると思うよ。じゃ、またあとでね!」
 園子はそう言い残すと、画用紙を取りに行った。すでに授業を受けている生徒は、前回の授業までに描いた画用紙を美術室に置いているらしい。
 美術室の席は、2つの島に分かれており、それぞれ5列分、4人掛けの長机と長椅子が配置されている。教室の机や椅子のように動かすことはできず、生徒は出席番号順に座るよう指示されていた。
 リリカが前から2列目の通路側の席に着くと、隣には今井桜という生徒が座っていた。
「佐藤さん、今日が美術の授業初めて?」
「うん、そうなの」
 桜は、艶がかった黒髪をまっすぐに垂らしている。この梅雨の時期に、よくそんなストレートを維持できるな、と感心する。
「佐藤さんがどんな絵を描くのか楽しみだなぁ」
 桜がにっこり笑う。まさか、絵を描くのは今日が初めてです、とは言えない。

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