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“通信制”大学生ライフを謳歌しているわたくしです。


今期は、『中高年の心理臨床』という科目を選択しました。

学ぶほどに、人生におけるいまの自分の位置づけと、これまでの人生について考えることが多くなり、心なしか物悲しくなることも・・・

「わたしは一生懸命生き抜いてきたのだろうか?」
「もっとできることがあったのではないか?」
「いまの自分で満足していないだろうか?」
「これからどうやって生きていきたいのか?」

そんな「?」が頭を駆け巡ります。

この科目、結構しんどいね(笑)


もちろん、夫婦の危機や親の介護、看取り、がんや認知症などの病、そして老いとの戦いに至るまで、中高年の課題が満載です。

わたしがまだ経験していないことも、こうやって学んでおくことで相手の理解に役立つと思い、自分事と置き換えながら読み進めています。


中でも強く惹かれた言葉が、
・ユングの「人生の正午」
・レビンソンの「中年の危機」
・エリクソンの「壮年期:世代性vs停滞」
という、いまのわたしに突き刺さるものです(笑)

団塊ジュニアの氷河期世代。就職活動で苦労し、働き始めてから不況に陥り、29歳⇒34歳⇒39歳と若年者の扱いがどんどん延びた世代です。

先が見通せない苦しい時代を味わいながら、気がついたら「人生の正午」を迎えている・・・

ふと、先日書いたnoteの「グラスの水」を思い出しました。

「まだ人生は半分も残っている。やりたいこともたくさんあるし、これからが楽しいんじゃないか!」

「もう人生の折り返しを過ぎた。残された時間でいったい何ができるんだろう。早くやらないと時間がないぞ・・・」

そんな、相反する声が聞こえてきます。

そして思わず本音が。

「まだ半分も人生が残ってるのか・・・はぁ~」


でも本当に正午なのかな?
何となくお昼は過ぎてしまったような感じがしてなりません。

たぶん私にとっての人生の正午は、30代後半から40代前半の「キャリコン取得~ファシリテーションとの出会い~学びの場をつくる」という活動に夢中だったころだと思うんです。

仕事ではアクティブラーニングを取り入れた独自の授業をつくり上げたり、ビジネスマナー講座で学外での講演を担当させてもらったり、ファシリテーションの学びから全国のみなさんとつながったり、と激動の数年間を過ごしたことで、大きなターニングポイントを迎えたと思っています。


ちょっと気になったので、『人生の時計』というサイトを見つけたので、さっそく調べてみました。その結果は・・・

13:58でした!


すでに正午を過ぎてますね。しかも眠気もピークの午後2時前(笑)

ちなみに正午は39歳ごろ。やっぱりターニングポイントと合致しています。


そう思うと、すでに「人生の正午」を過ぎ、心身ともに「中年の危機」を迎え、「次の世代」の育成に意識が向いている―――確かに人生の後半を歩み始めているんです。

「これから何ができるだろう?」

改めてそんな思いが湧いてきました。そして、

「人生の後半はどんな足跡を残せるのか?」

と、少しだけ自分に期待するわたしがいます。


いまわたしができることの1つとして、せっかく長野地区長という大役を任せていただいているので、任期中にCDAのつながりを取り戻すことかな?と思っています。

こんな素敵なイベントも一生懸命企画したんだし、少しでもみなさんとつながることができたらうれしいですね♪



明日も佳き日でありますように

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