中心のない国民と国家

生まれ変わることで手に入れた自由

組織にはそれぞれルールが存在するように国家にもまた法律というルールが存在する。日本は先進国の中でも異常なまでに国民に甘い国家となった。

権利は主張すればするほどに社会を圧迫し無視することは不自由であるとその言説は熱を帯びる。権利を主張することはまったく悪いことではないがわがままは受け入れられるべきではない。

しかし、もはやそれすらも判断できず言ったもん勝ちという風潮があるようでいやでしかたがない。

戦後に得た自由は無制限のものなのか。

「自由」とは無制限に主張できるものなのか。

無限大に広げられる「自由」はいつしか「欲望」を満たすための口実になってはいないか。子供が「欲しい」というモノを親がダメだと拒否することは子供にとって「不自由」だと考えるべきことなのか。

言論の場が各地に巻き起こる中、根拠のない無秩序な言論や中身のない空虚な言論がいつしか人の感覚を鈍らせ常識を改変し「自由」という名の無秩序を形成している。

誰もがこの現実に気づいているだろうし、どうにかしようのないこともわかってるだろう。

・精神的中心体の喪失と再編成

日本は国家としての「精神的中心体」を失って以降、新しい「精神的中心体」にそれぞれのものを据えてきた。

かつて全ての国民が同じ「精神的中心体」となるものを共有しこれを共有しているがゆえに同じ国民としての意識を持てた。

これは「国体」などと呼ばれたものでもある。国民国家として同じ感覚や文化を共有できているということは大変重要だ。

これが国家のまとまりを生み危機に対して団結できる理由になるし個人の危機に対しても救いになる。国民のアイデンティティとしてそれは世界に認知されるし自分が国家に所属してる証として孤独とも無縁だ。

かつて日本人は身も心も日本人だったのだ。厳密にはそう思えたのだ。

しかし、今日においてこれはない。

日本国籍を有しているから、日本で生まれたから、だから私は日本人。

この程度のもので、これ以外に日本人だと思える理由を感じないのではないだろうか。国籍の選択はしようと思えばできる。日本で生まれたからと言っても日本国籍でなければ受けられないサービスもある。

国籍などはあくまで飾り―名札―でしかないのだ。

戦後、日本人はそれぞれ新しい「精神的中心体」を探す必要ができた。国家・国民としてのアイデンティティを再構築する必要性ができたのは大変なことだ。

それぞれが新しく「精神的中心体」を探しそれを中心にものを考えるようになった。それは「宗教」であったり「金」であったり「自分」であったり。

人によって様々な形となって現在存在するだろう。フランスよりも個人主義の傾向が強いかもしれない。しかし、そこにはフランスとは違う国民性を有している。

きっと日本人はもはや団結できない国民になってしまったのかもしれない。

我々は同じ共通点を持った他人としか手を取り合えないのかもしれない。

それも長続きはしないかもしれない。

一時のもので儚いものだろう。

自然災害の被害者は団結するだろう。それを助けようとするボランティアも団結するだろう。

しかし興味のない人たちは、「人の命などどうでもいい、だって私はなんともないもの。」「それは得にならないからやらない。」など助けようとは考えない。

団結はできない。なぜなら興味がないから、仲間意識がないから、同じ国民という型の中ではあるけど他人には変わりないから。

冷たくなったといえばいいか、それだけで片付く話ではない。

日本はもはや国民国家ではないと言っても過言ではないのかもしれない。

今回のコロナウイルス件でも日本政府の対応はもちろん野党の対応も酷いものだ。グローバル資本主義の影響や経済の影響を気にして入国規制を先延ばしにしてきたのはいいことなのか。これはそれぞれによって意見があるだろう。

私はこの一件で日本国民のナショナリズムに変化がなかったことこそが問題だと思うのだ。これこそ日本国民が「精神的中心体」を失いバラバラになったことを如実に表す事例となったのだから。

私は日本に住んでいる。私は日本国籍を有している。私は日本で生まれた人間である。私は日本国に誇りを持っている。

私は組織のために、家族のために、そして国家のために働いている。

これは同時に自分の幸福のためでもある。

私は個人であって孤独ではない。国家の一員であり、組織の一員であり、家族の一員であり、祖先たちの歴史の中で今日の生を受けた一個人である。これは古い意見だとも考えられるが私はこの価値観が重要だと考えている。

・危機と呼ぶには遅すぎる事態

現在の政府に、もはや国民の代表としての資格はない。金を気にし、国民の健康のために何が最善かを導き出す指導力を失っている。

支持者の意見もわかるが代理がいないなら探せばいいそしていないなら作ればいい。この行動力こそが日本のためになるだろう。

コロナウイルスを利用し韓国は支持率回復させようとしている。日本が中国人と韓国人の入国規制をしたことを政治的な理由として考えている輩がいるならこれは大きな勘違いだ。入国規制など緩い。一切禁止にするべきだ。

国民の健康を損ねる窮地にも関わらずまだこのような発言をしていること自体が私は異常だと考える。例えどれだけの批判を浴びようと守るべきものを守る。この程度の決断ができずして世界第3位の経済国家の地位を維持できるはずもなく凋落していくことは間違いない。

ますます貧乏になることを国民が支持しているようで私は夢だと思いたくて仕方がない。全く持って愚かだと言うほかない。

この国は「精神的中心体」を失い、責任能力も失って拠り所を失った。悲劇も一周回れば喜劇となるだろうか。世界に笑われて生きていくのが好きならそれでいいだろう。私はそこまでマゾヒズムに傾倒してはいない。残念ながらそういう趣味の国民が多いのも事実かもしれないが。

不勉強なのかは知らないがあまりにも無知が多すぎる。それもこれも「精神的中心体」がバラバラになってしまったことが理由なら再編成が必用である。「令和」は「昭和」同様、部分的な悲劇を迎える時代になりそうだと感じる。

世界を知らぬ日本人は比較する力がないゆえにその当たり前のありがたさを忘れてしまったようだ。もはや待ったなしと誰もがいいながら変わらなかったこの国は亡ぶことで初めてそのありがたさに気づくのだろうか。きっと気づかないかもしれない。なぜなら国家が滅んでもまた新しい名札をつけるだけなのかもしれないのだから。

最後に「あなたは日本人ですか?だとしたらなぜあなたは日本人だと言えますか?」


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