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わからないけどすごいという感覚―「精神分析とは何か」ルイ・アルチュセール(著)
フランス現代思想を育てた一人である躁うつ病の革命者、ルイ・アルチュセール。本書は彼がジャック・ラカンに影響を受けたことに端を発する精神分析に関する彼自身の認識を公表したものです。
本書は講義形式でありながら難解で、訳と関係なく初学者が読むには厳しい一冊と言えます。
この時代の文章の書き方はあえて難解にしているのではないかというものが多く、アメリカのアラン・ソーカルは「知の欺瞞」という本でフランス現代思想の流れを汲むこの手の難解な書物は難しいだけで中身がないと批判したほどです。
本書は中身がないとは言いませんが著者の「精神分析」に対する期待と著者自身が編み上げた「哲学」への熱情がしっかりと表現されている本と考えます。
・学問のジャンルはいかにしてできるのか
本書は読む人によって関心する場が違うと思われますが、私は著者が熱を注いで語る「精神分析」は独立した学問の一ジャンルだという主張は興味深く感じたところです。
アルチュセールは「精神分析」を心理学の一部と考えるのではなく、人類学や社会学、心理学、哲学など多様な学問の影響を受けて存在している学問の一ジャンルであると言います。
さらに精神分析の理論化には哲学が深く影響しているとします。
「精神分析は元々、心理学の枠をはみ出て人文諸科学の領域の所々に影響しており、哲学が精神分析の理論化を助けたことで学門のジャンルとして独立したとみなすべきだ」
という主張は、そこに至るまでの例の数々はわかりづらいのもありますが、著者の熱情は強く感じられます。
・こじつけをこじつけにしない技術
正直、精神分析を心理学から独立した学問として扱うことに価値があるかどうかは私にはわかりません。
精神分析が独立した学問ジャンルになることで業界にどのような影響があるのか。誰にメリットがあるのか。これらは全く不明です。
ですが、フランス現代思想を担ったミシェル・フーコーやジャック・デリダ、ピエール・ブルデューなどを高等師範学校で教育した著者にとって、これは大事なことだったのだということだけがわかります。
世の中シンプルに語る方がコミュニケーション上、良いのは当然のことです。ですが、難しく語ることで相手とのコミュニケーションを一方的にするという技術もまたあります(好まれませんけどね)。
この一見こじつけに見える言葉をこじつけにしない技術というのは話し手の権威性もありますが、その場にいる人を圧倒することでも成立してしまうのではないかということは本書の内容とは別に、先に挙げましたアラン・ソーカルの指摘からも感じるとことです。
ですが、自分への戒めも込めて書くのであれば、やはり難しく話すよりもわかりやすく話す人の方が頭の良い人であると感じますね。
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