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“喉が渇いたら水を飲み 心が渇いたらお茶を飲む”

「茶」は、読んだり教えられたりして理解したり、出来るようになるモノでもない。

私の仕事は、ただの文化の遺伝子の運び屋だ。それが誰かの茶沼に嵌るきっかけの一つになれば幸い。一見無意味に思われがちだが、真剣に茶と向き合うのも仕事のうちだ。そして、粛々と伝えて使命を果たすだけ。

“虚の部屋で茶を啜る事は一つの宇宙で、大なるものと小なるもの双方を感じる事である。それは美でもあり又一つの道である。だから茶というものは単なる芸術ではなく、生き方を体現したものであり、心の処世といってもよい。さあ、共に茶を啜り人生を静観しようじゃないか。”
「茶の本」岡倉天心

味や香りの奥行きも一朝一夕でわかるものでもない。それは一つ一つ身体にインプットし続け、整えられた身体が感じるようになってこそ。

経験や技術、昼夜、季節や天気や誰とご一緒するのか、そして、数値に出来ない小数点以下の差異の積み重ねは、器や道具に助けられ、その場を包む一群の空気となる。その差異は、その人のすべての構成要素だ。

自分が惹かれるお茶は、どこかでこれまで大切にして来たモノと同じ。
目に見えない、言葉にしにくい、モノやコト。日々、感覚を積み重ねる。
とても時間のかかる事をし続ける。
技術と経験に培われた「細部を見抜く力」は、ある日、その場を味わい心を震わせる。

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